母に起こっていた異変

 尚希に呼びつけられたのはレイレンだった。



 尚希が電話を切ってからレイレンが屋敷に飛び込んでくるまでにかかった時間は、たったの数分。



「どっ……どういうこと!?」



 混乱してそう言ったレイレンにいつものふざけた様子は全然なく、それ故に彼が本気で焦っていることがうかがい知れる。



 そんな彼を目の前にすると、尚希が自分に話すと告げた〝あのこと〟というのが決していい話ではないということが察せられた。



 レイレンに今の状況を説明してやれと尚希に言われたので、仕方なく鎮魂祭から何があったのかを話した。



 自分が鎮魂祭に関わっていたことから知らなかったレイレンは、衝撃の事実にひどく動揺したようだった。



 途中何度も声を裏返してこちらに掴みかかっては、冷静な尚希に「いいから聞け。」と言われ、椅子に引き戻されていた。



「―――どう思う? これが隠し通せる状況だとでも?」



 話にひと区切りついたところで、尚希が厳しくレイレンに問いかけた。



「………」



 対するレイレンは無言。

 尚希は剣呑に目を細める。



「オレは、実を呼んでるのはあの人だと思うんだけど? それなら、実の状態に辻褄つじつまが合うと思わないか?」



「………っ」



 そう言われたレイレンの表情が、どこか追い詰められたように歪む。

 実は、そんなレイレンを不安げに見つめた。



 自分が誰かに呼ばれている気がすると告白した時、レイレンの表情に一番の衝撃が走った。



 もはや声をあげる余裕もないらしく、その話をしてからのレイレンは、真っ青な顔で視線を下げるだけだった。



 尚希もレイレンも、自分が呼ばれている原因に心当たりがあるのだ。



「別に、話したくないなら無理いはしない。ただ、オレが勝手に話すことには文句を言わないでくれよ?」



 いつまでも黙っているレイレンに、尚希が最終宣告とも受け取れる発言をする。

 それでますます追い込まれる、レイレンの顔。



「レイレン……」



 実はたまらずレイレンを呼ぶ。



 レイレンのこんなに苦しそうな様子など、今まで見たことがない。



 普段は散々憎まれ口を叩いていても、レイレンだって大事な人だ。

 そんな人をこんなに苦しめてまで、無理に事情を話せとは言えない。



 そう思ったのだが、結果としては自分が声をかけたことがとどめになったようだ。

 レイレンは自分と目を合わせると、深く息を吐いて肩を落とした。



「急いで対処してたんだけど……もう、間に合わないか……」



 薄い唇から零れた声には、諦感が滲み出ていた。

 そして、彼は重く告げる。





じつはね……―――セリシア様が、病で床に伏せているんだ。」





 その意味を理解した瞬間、頭が真っ白に染まった。

 ざっと血の気が引いて、寒気が全身を襲う。

 氷でできた手に、心臓を直接鷲掴わしづかみにされた気分だった。



「そんなに……悪いの…?」



 からからに渇いた喉で、どうにかそれだけを絞り出す。



 ちょっとした風邪なんて生易しいレベルじゃないのは、今レイレンがたたえている表情の深刻さから一目瞭然だ。



 レイレンは、沈痛な面持ちでまぶたを下ろした。



「起き上がれないくらいに衰弱はしているけど、死ぬってほどではない……はずだった。病っていっても、ここの病だから。」



 トン、と。

 レイレンの指が胸を示す。



 それが意味することは言うまでもなく―――心の病。



「いつから……」



 次なる実の問いかけ。

 それに、観念していたはずのレイレンがまた口をつぐむ仕草を見せた。



「レイレン! ここまで言ったなら、全部教えて!!」



 危機感にかされて、実は声を荒げる。



 体調を忘れてベッドから起き上がると、数秒遅れて強烈な頭痛が頭を揺さぶってくる。



 それを意地で押し殺し、レイレンの手を握った。



「お願いだから…っ」



 悲痛な懇願。

 すでに泣きそうな顔をしている実に、レイレンは息をつまらせて悩ましげな態度を見せる。



「レイレンさん。これ以上隠したって仕方ないさ。実には、知る権利があるだろ?」



 レイレンの背を押したのは尚希だ。



 尚希の言葉を聞いても何度か躊躇ためらうレイレンだったが、長い時間を経て、ようやく声が音になる。



「聞いた話によると、部屋にこもって仕事ができなくなったのが一年前。病状が悪化して寝込むようになったのが、半年前らしい。」



「―――……」



 もう説明はいらなかった。

 それを聞けば十分だ。



「……明らかに、母さんが倒れたのは俺のせいだね。」



 辿り着いた結論が、胸に鋭利なナイフを突き立てる。



 心の病だと聞いた時点で思い当たる原因なんてそれしかなかったが、時系列を聞けば余計に胸がつらい。



 この世界で一年前といったら、ちょうど自分が母と再会した時期じゃないか。

 どう考えても、自分との再会がきっかけで母が倒れたとしか思えない。



「実……それは……」



 レイレンが眉を下げる。

 ふと、そんなレイレンの前に誰かが立った。



 次の瞬間、派手な音を立ててレイレンの体が椅子ごと吹っ飛ぶ。



 突然のことに、実も尚希も目を見開いて固まった。





「答えろ。どうしてそんなに大事なことを、これまで実に黙ってた?」





 レイレンを殴り飛ばした拓也が、完全にわった目で彼を睨む。



「実を守るためには、言うわけにはいかなかった。こんな話をしたら、実は躊躇ためらわずに城に乗り込むでしょ。城の奴らは絶対そこにつけ込むだろうから、ここは実には何も言わずに、僕らでどうにかしようってエリオスと決めたんだ。」



「ふざけるな!!」



 拓也はより一層苛烈に怒鳴ると、レイレンの胸ぐらを掴んで引き寄せた。



「そんなの、優しさじゃない! 大事な家族のことだろう!? 本気で実のことを想うなら、隠さずに教えてやれ! それがどんなに悪いことでも!! こんなに時間が経ってから教えられて、今実がどれだけ自分を責めてると思ってんだ!? もっと早く知っていれば、母親を一年も苦しめずに済んだのにって…。こいつのことだから、絶対にそう思ってるぞ!?」



「そう思わせないために、実が知らない裏で解決しようとしてたんだよ……」



 苦し紛れなレイレンの言葉。

 それを聞いた瞬間、拓也がカッと顔を赤くした。





「それでセリシアが助からなかったら、それこそどうする気だったんだ!? お前らは実に、を味わわせるつもりなのか!?」




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