蚊帳の外3


「──富士だ」


「な、なんですって……!?」


 霆の言葉を聞いた瞬間、北島の目が見開かれ、驚愕の表情へと移り変わる。


 富士の山……かつての皇女が愛した日本一高い山。その霊的さも感じられる程美しい山景色は、人々からも長年に渡って親しまれてきた日本の象徴でもある。この国に暮らす人間であれば、誰しもが知っている場所だ。


 北島は知っていた。あそこに何があるのかを。この状況下で夏希を富士へ向かわせる理由なんて、たった一つしかない。


 いつの間にか、自分自身の身体がけ反っていたことに気づく。霆がやろうとした行為そのものに、拒絶をしてしまったからだ。

 

 それはあまりにも罪深いことだ。道徳的にも、倫理的にも、人としてあまりにも罪深いことをこの男は淡々と遂行しようとしているのだ。


「嘘でしょ……あそこに夏希を向かわせた!?」


 その声は震えていた。予想を遥かに上回った愚行を前に、おののいてしまったからだ。恐怖とかそういうものではない、人道的にやっていいことと悪いことがある。人としての情けがあるのであれば、こんなことは絶対にできないはずだ。


「あぁ、皇女と再会するためにな」

「再会って、貴方!? 正気なの!?」


 富士山麓、あそこにはもう一つの皇女が眠っている場所だ。以前、化物エイトによって襲撃された八王子市の公園にある陵墓の他に、富士山麓にも分けられた遺骨の一部が埋葬されている。かつて、富士山を愛した皇女の遺志に従って密かに埋葬されたのだ。


 この事実は、皇軍の中でも関わったごく一部の人間でしか知り得ない情報だ。北島すらも、このことに関しては直接関与しておらず、富士の麓に皇女の遺骨があるなんて話も小耳に挟んだ情報であった。実際に確かめたことがないため、詳細な場所までは分からないが、どこかにあるのだろう。


 富士の麓にある、皇女の墓へと夏希を赴かせる。その意味が、どれほど罪深いことなのか、ただでさえ、死刑囚を収容所から釈放するという、とてつもない重罪を犯しているのにも関わらず、重ねてこのような愚行をするなんて……


 言葉を失う北島を前に、霆は淡々と話始めた。


「君も存じているだろうが、先日、八王子市にある皇女の遺骨が略奪うばわれてしまった。化物エイトによってな。可哀想なことだ、死しても尚狙われる立場に置かれているだなんて、生前の皇女様も思いも寄らなかっただろう。死んで埋葬されたとしても、依然として平穏を過ごせないだなんてな。皇女を偲ぶ私にとっても、本当に気の毒な話で、心が痛むばかりだ」


 本当にそう思っているとは思えないほど、平然とした口調で言葉を並べる霆。時折、皮肉じみた表現を用いており、当然北島の頭にも怒りに似た感情が湧き上がったが、歯を食いしばる程度に留まらせる。

 

 同じ皇軍の人間…… 皇女へ尽くすと誓った人間とは思えない、不快極まりない発言を重ねてくる。いや、ここまで言ってくるものかと、唾棄したくなる程だ。


「それと、夏希を向かわせた事と、一体何の関係があるのよ!」

「簡単な話だ。皇女様の遺骨は……理由は分からないが狙われているのだ。八王子の墓所の件から、これは明白だろう? だから、皇軍に所属する軍人として、守ってやらねばと思ってな。富士の麓にあるもう一つの遺骨をな…… 化物に取られる前に、動いたまでだ」


 霆のやりたい事は、分からないでも無かった。八王子の陵墓にある遺骨が奪われたのは事実だ。国民の反応を懸念して『皇女の遺骨は無事であると』されているが、これは皇軍内でも大問題として扱われていた。


 失態中の大失態。唯でさえ皇女を死なせてしまい、皇軍の存在意義が問われている中で、あろうことか『遺骨を奪われる』。これが国民の耳に知れ渡ってしまったら、皇軍はたちまち反感を買い、解散の危機に追い込まれるのは間違いないだろう。


 誰もが思っていなかった大事故の発生に、皇軍がまたも危機にひんしてしまった。現在、表にさざなみを立てないように、秘密裏で調査で動いているが、何かの拍子に表出てしまったらそれこそ終わりであろう。


 だから、これ以上の失態を重ねることはできない。それを防ぐべく、富士にあるもう一つの陵墓へ人を派遣させる。それだけは、同意できた。悔しいが、自分も人を指揮れる立場であるなら、きっとそうしていただろう。


 だが、当たり前であるが、これだけで北島は納得ができるわけがなかった。


 それだったら、北島を始め、『エリート』の誰か一人でも向かわせれば良いというのに、この霆という男は、あえてそれをしなかった。それどころか、あの夏希を派遣させたのだ。皇女を殺した夏希をだ。全くもって意味が分からない行為だ。


 汚職に汚職を重ねることに、躊躇が無いのだろう。


「だからって、どうして夏希を!? 彼女は死刑囚なのよ!? 分かっていてそれをやっているの!?」


 北島が問い詰めれば、霆は咳払いをし、前を見つめた。


 北島自身、問い詰めたところで、その回答をはなから期待なんてしていなかった。隠したいことがあれば、飄々と誤魔化し、踊らせたい事実があれば、素直に答える男だからだ。


 北島もそれは分かっていた。聞いたところで返答が来るのであれば、これほど楽な事はないと。ましてや、相手は皇軍所属の人間だ。素直に答えてくれるはずが無いと。


 それでも、こればかりは聞かずにいられなかった。


 だが、その後に出た霆の言葉は、思わぬものであった。


「願い叶えるためだ……」


「ね、願い……?」


 あまりにも、想定外なワードが出てきたことで、北島は唖然としてしまった。

 北島の反応に、霆は眉をヒクつかせ「そうだ、願いだ……」と呟き、更に続けた。


「君は……何かを……例えば、『願い』や『夢』を言ったものを……人に託したことはあるか?」


 まっすぐな瞳でこちらに目を向け、男はそう語る。『人に夢を託した事はあるか』と。漠然とし過ぎた問いかけに、北島は身体を硬直させたまま、「な、何の話……?」と眉間に皺を寄せ、尋ね返した。


「自分では成し得なかった、成し遂げることが出来なかった夢を、願いを、人に託したことはあるか? 或いは、その人が掲げる大きな夢を叶えようと、全てを捧げたことはあるか?」


 『人に託した夢』……北島はすぐに蜜柑の顔が脳裏に浮かぶ。戦場に似合わない愛らしい顔つきをしているが、彼女の背負っていたものはあまりにも大きかった。だから、北島は蜜柑を支えようと決意したのだ。


 蜜柑が成し遂げようとした夢。その大望を耳にした時、北島は『蜜柑に夢を託そう』と心に決めた。自分の人生を振ってでも、蜜柑について行く。これが北島の選んだ道であった。


 でも……だからといって、この男にわざわざ教えてやる義理なんてない。北島は静かに「私のことなんてどうでもいいわ」と虚を張った。


 霆は白々しく額に手を当てながら「残念だ。君ならわかってくれると思ったがね」と肩をすくめる。心の中を読まれたような気がして、北島の不快感が増していった。


「君と同じように、私にも『人に託した願い』があるのだよ。霆降雪という男では絶対に叶えることができない願いがね」


「それを叶えるために、今日の大騒動を起こしたっていうの!? ふざけるのも大概にしなさいよ! 一体どれだけの人間が、貴方のわがままに振り回されて迷惑を被っているっていうのよ!? 子供じゃないんだから、誰にも迷惑をかからないやり方で叶えなさいよ!」


 霆は苦笑いで「厳しいな、北島君は」を手を広げた。虚を突かれたわざとらしい表情を浮かべ、こちらを茶化してくる。本当に、掴みどころのない男だ。

 

 テンポを狂わされた北島は、大きく息を吐き、沸き上がった激情を落ち着かせた。


「狙いは……貴方の本当の狙いは何なのよ」

「私の本当の狙い? それは先程言っただろう。人に託した夢を叶えるために力を添えただけた。それだけのこと。これ以上の理由なんてない」


「貴方……元から食えない男だと思っていたけど、ここまで酷いなんて思いも寄らなかったわ」


 依然としてシラを切る霆。そんな主張を認めたわけではないが、これ以上聞いたところで何も得られないのは確かであろう。諦めた北島は軽蔑の眼差しで男を見下ながら、「もういいわ!」と席を離れようとした。


 身体を向きを変え、背を向けた時であった。


「北島君は……訊き方を間違っていないかね? ずっと言っているだろう、私は関与しているだけだと。君は何か勘違いをしていないか?」


 霆の口から発せられた試すかのような口ぶり。この男は、こういった戯言が絶えない奴だと分かっているのに、それでも釣られて振り向いてしまった。


「──どうして、誰の願いに加担しているのかと訊かない? らしくないぞ、北島君」


 口角を持ち上げながら、霆は顔の前で腕を組んだ。


 まるで、自ら墓穴を掘るような発言だ。わざわざ触れないでおいた所を、あえて自分から触れさせようとしているのだ。場合によってはこの件の黒幕になる可能性がある恐れがあるのに……


 言いたくて仕方ないのだろう。願いを託した相手のことを。


 北島は呆れながら、男を見やった。


「答えてくれるのであれば、尋ねるわ。貴方は一体誰の願いに加担して、夏希を富士へ向かわせているのかしら?」


 霆は右手で二本指を立て──俗にいうピースサインだ──「二人いる」と答えた。


「一人は亡くなった皇女、ひかり、そしてあともう一人は……」


「──売木夏希だ」


 


 どういうこと……?



 北島は全く理解が出来なかった。それに驚くこともなかった。夏希の皇女……この件に関わる二人の人物であり、誰が出るかと思いきや、これには逆に新鮮味も無く、拍子抜けであった。


『霆が夢を託した二人の人物、夏希と皇女』

『それを叶えるため、夏希を皇女のもとに向かわせた』

『化物退治という、大義名分を用いて』



 流石に、ほんの数秒でこれを考察するのには、無理があった。それに、口にするのはつかみどころのない男、霆降雪だ。嘘や誤魔化しが多く含まれる情報であり、謂れのない発言を繰り返して、北島を踊らせようとしているのだろう。


 北島は抵抗するかのように、厳しい顔つきで押し黙る。これが沈黙の空気を更に重たくする要因にもなった。



 しかしながら、そんな時が止まったかのような空間を霆は「そういえば」の一言で元に戻す。まるで、空気を自在に操るかのように、部屋の中は完全に霆のもの・・となっていた。



「君は先程から誰がレベル10任務を発令したか、しきりに気に掛けていたな。皇女亡き今、一体誰がこんなことを……と」

「そ、それは、貴方の仕業しわざでしょう? お陰様で皇軍はパニック状態よ!」


 問いかけに対し、出遅れないように北島が捲し立てた。拍子に言葉が少しだけどもってしまう。


「何を言っているのだ? 私はあくまで関与・・しただけだ。私なんかではない。レベル10を発令出来る人間は君もよく知っているだろう? 本国皇帝のみであると。私が本国皇帝に見えるかね?」


 不満気に喉を鳴らしながら、右手でスーツのえりを摘み、身の潔白を主張する霆。「まだそんなことを言っているのかしら」と、腰に手を当てた。


「どうせ、妙な手を使って別のルートでも用いたんでしょう? 皇帝のみが許されるレベル10の任務を、皇女無しでやるやり方とか。貴方の恐ろしさはよく知っているもの」


 負け時と皮肉混じりで返してやれば、霆は愉快そうに「そんなわけないだろう」と身体を揺らした。目元にいやらしい皺が寄せられる。


「エリートの君が、まさかそんなことを言うだなんてな。皇軍の試験であれば、落第点だぞ。皇軍におけるレベル10の指揮は本国皇帝のみであり、それ以外は許されない。例え、国防省省長であろうとな」


 そんなこと、誰もが知っている常識だ。さも当たり前かの事を繰り返す霆に苛立ちを覚え、北島は姿勢を前に傾けた。



「それと、例外が認められれば、やむを得ず皇軍騎士ナイトが代行権を使って発令が出来るというルートもあるわ」


 小馬鹿にする霆へ、北島は声を大きくして反論してみせる。入門試験でもやっているつもりか、それを知った上で霆を疑っているのだ。付き合っている時間なんてないと言うのに。



 だが、それが正解だったのか霆はまたも音のない拍手を送り、北島を称賛した。


「そうだ、例外を用いれば皇女がいなくても出来る。そのルートがしっかりと認められているのだよ。そして、もう一つ問題だ北島君。皇帝の死はその例外・・にあたると思うか?」


 指揮の代行が可能となるのは概ね『皇帝がやむ得ない理由で不在になる時』だ。そうと考えれば、皇女の死は指揮の代行権を発動できる条件として妥当性があるものだろう。




 それでも、絶対に不可能だ。


 今は騎士ナイトがいない。たとえ、例外の対応となっても、代行権を持っている五人の皇軍騎士ナイトが『皇女暗殺事件』により解散させられてしまったからだ。


 一応、北島は『どうせ役に立たない』と思いながらもその件に関しては知識があった。


 皇帝の代行をする時は、可能であれば五人全員の騎士ナイトの承認を得るのが望ましいとされる。しかしながら、緊急事態の時もあるため、その承認に必要な騎士の数は制限されていなかった。全員が揃わなかった時であるなら、『できる限り多くの』騎士の承認が求められるものと……


 そういう決まりになっている。


 そう、やろうと思えば騎士ナイト一人で代行することだってできるのだ。『皇女も、他騎士もやむを得ない理由で不在』な時、初めて騎士一人が皇軍の指揮を代行することができる。




「──まさか、いや…… そんなことって……」


 霆から投げかけられた問題・・、その意図を、その裏を読み取ってしまい、北島の身体が小刻みに震え始めた。


 騎士ナイトが誰か残っていると言うのか……


 三年前あのとき、全員が解散させられたはずだ。それも不当な除隊ではない、しっかりと決まりに則り五人全員が軍から追い出されたものだ。


『在任中、皇族が人為的な要因により殺されてしまったとき』、その時に職務につく騎士ナイトは全員、除隊クビになり、再入隊も認められない。そのはずだ。


 それに即したため、あの輝かしい功績を持つ静岡蜜柑ですらも、追放されてしまったのだ。

 

 だが、霆がここに来て言及すると言うことは……


 徐々に青ざめる北島の顔つきを読み取ったのか、霆は「エリートは察しが良くて助かる」と言葉を添え、机の引き出しに手をかけた。


  

「一体誰が、レベル10を発令したのか……そんなことを気にする君に、是非見てもらいたいものがある」


 そう言って取り出されたのは一枚の紙であった。


「──任務発令に関する書類だ」


 北島からは裏向きにしか見えないが、透かしでもそれが何の書類かが分かった、右上に青い鷺が掲げられた一枚の書類。それは北島も過去何度も見てきた『任務発令書』であった。


 先程、情報室で見た黒塗りにされていた集約書類とは別に、どのような任務を誰が・・発令したのかよく分かる、簡潔にまとめられた一枚の紙がある。それが今、霆が持っているものだ。


 それ即ち、あの紙に、今回の騒動を引き起こした黒幕の名が記されているものと考えても良いだろう。


 一体誰が……?


「せっかくここまで来た北島君に、何も手土産が無いじゃ、少し寂しいだろう。だから、特別にこれを君にね……」


 ひらひらと餌を釣るように紙を靡かせる霆。北島はたまらず手を伸ばし、目前で書類を広げた。


 そして、下部に記された発令者の署名を目にした瞬間、驚愕のあまり、言葉を失い、手を震わせてしまう。


 手に力が入らず、ひらりと書類が落ちてゆく。



「嘘……でしょ……」



 


 床に落ちた一枚の書類。一番下には直筆で





『売木 夏希』の名前が記されていた。



 




──ごめんなさい、蜜柑。貴方が必死で培ってきたもの、もしかしたら守れないかもしれない。


 

 この時、北島は久々に絶望したと言う。 

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