蚊帳の外2

 北島きたじま 佳奈かなは今年で二七歳になる軍人だ。皇軍おうぐんに入隊して、十年以上のキャリアを持っており、二十代ながらもそろそろ『ベテラン』の領域へ踏み込もうとしているところであった。


 北島は、『皇軍エリート』と呼ばれる、上位百人の枠組へ入るほどの実力者であった。騎士ナイトよりも一つランクが下であるが、それでも加入が困難とされるエリートのメンバーであり、彼女もまた余りある実績の持ち主であった。


 エリートへ加入するまでの道のりは、他と比べてかなり早く、北島が一八歳の時に加入を果たした。


 若い若いとチヤホヤされたこともあったが、十年経った今となれば、なかなかそうもいかない。今では、若手を育成する立場に置かれながら、支部の重要任務を取りまとめる重役を任されていた。


 華やかな北島のキャリア。当時、若干十八歳での『エリート』加入は、軍内でも一目置かれていたのは確かであった。


 普通なら、ある程度のキャリアを積んだ皇軍の人間がなるような地位である。それでも、ようやく入れるか入れないかが『エリート』の世界だ。


 名だたる軍人が多数存在する皇軍において、上位百名にのしあがるということ自体が極めて至難であり、誰しもが入りたくても、入れるようなものではなかった。


 それでも北島の持つ恵まれた才能が彼女を後押しし、入隊して僅か数年で『エリート』入りを果たした。一八歳という若さで、超実力者の一員となる。



 だが……上には上がいた。


 北島と同年代である、静岡しずおか 蜜柑みかん


 彼女こそ『史上最強の騎士』と呼ばれるまでの強さを持つ、『天才』だ。



 異例中の異例、一六歳での騎士加入という、歴史的偉業を彼女は成し遂げた。これは、長い皇軍で初めての事例であった。


 群を抜いた身体能力と、明晰な頭脳を持つ静岡蜜柑。更にその容姿は、珠のように美しく、若いという話題性も相まって、蜜柑は瞬く間に時の人となった。『騎士ナイト偶像アイコン』と称され、蜜柑は時代の象徴とまで上り詰めることになる。


 そんな、圧倒的な天才を前にすれば、北島のキャリアがやや霞んで見えてしまうのは仕方のないことであろう。たまたま同年代に蜜柑がいたということは、北島にとっては本当に運の悪いことであったかも知れない。


 でも、北島はそんな蜜柑を決してねたむことはなかった。


 蜜柑は北島にとっての親友であり、戦友でもあったからだ。


 同じ年を重ねた一人の友達として、蜜柑は切磋琢磨し合った仲であり、北島自身も、ここまで強くなれたのは蜜柑のおかげであると感じていた。


 共に強くなったかけがえの無い親友。『彼女がいなければ』なんてことは、微塵も思ったことはない。むしろ、北島は蜜柑の功績を誰よりも喜んでいたほどであった。



 蜜柑と親友であること、同世代であることが本当に光栄であると常に実感し、北島もまた負けじと訓練を重ねていた。そんなお互いを刺激し合うような間柄が長いこと続いた。


 そうしていくうち、北島はある時から表に出ることを控え、あえて蜜柑の側で支えることを選択することになる。蜜柑という絶対的な存在を支える立場こそが、自分の役目であると、自覚したから。

 

 蜜柑を陰でサポートし、騎士である彼女を類の見ないぐらいに大きな存在にさせていくことこそが、北島の使命であると。


 超人的な能力を持つ蜜柑でも、一人でやれることは限られている。それでも、二人でなら乗り越えられると信じ、北島は蜜柑を支えてきた。蜜柑が成し遂げようとした大きな『目的』を果たすために、力を添えてきた。


──だからこそ、絶対に許せなかった。


 蜜柑が命を賭けて守り通したものが、壊されようとしたから。最も簡単に壊そうとするやからがいたから。


 どんな思いで、蜜柑が皇軍に賭けてきたのか、皇女に尽くしてきたのか、それを少しでも知る人間なら……


──こんなこと、できるわけがない。


 皇女暗殺事件により、使命を果たせなかった騎士達は全員解散させられてしまった。これにより、蜜柑は皇軍の隊員から、除外はずされてしまうことになる。蜜柑が失脚クビになった以降は、殆ど彼女と会うことはなかった。北島自身も、今蜜柑がどこで何をしているのか、全く検討もつかない状態であった。


 それでも、北島はやり方を変えなかった。蜜柑がいないのであれば、自分が蜜柑の意思を、願いを叶える存在になると。蜜柑が守りきれなかったものを、守ってやると、あの日に決意したから。

  

 蜜柑が居ない皇軍で、蜜柑の意思を叶えることができるのは、自分しかいないと。

 蜜柑の信念とイズムを承継できるのは、自分しかいないと。


 だからこそ、目の前でその秩序・・が壊されようとする中で、黙っているわけにはいかなかった。


 北島はタクシーの中で、苛立つように足を揺らす。異様な緊迫感を醸し出す北島の様相を察したのか、運転手も余計な口を挟むことはしなかった。ただアクセルをフルスロットルで踏み、公道を走り抜けていた。


 目的地は国防省だ。



 国防省……本国の軍事を取りまとめており、本軍の指揮・・及び管轄・・を行っている機関だ。そして、皇軍の場合は管轄・・のみ関与が許されている機関である。皇軍の指揮権は──今は不在であるが──原則本国皇帝のみとされている。皇帝不在の場合は特例を用いて皇軍騎士ナイトが唯一指揮を許されているとされ、国防省はあくまで管轄のみで指揮権はないはず。


 今でこそ、皇女が死して空位が続いている為、便宜上国防省が面倒を見ているが、それでも指示できる箇所ポイントがかなり限られているはずだ。それなのに、三年間でその関係──皇軍と国防省──がズブズブになり、実質国防省が指揮権を持っているような状況が、ここのところ続いてしまっている。


 皇帝が不在であり、強い利権が絡む皇軍は、隙を見せれば簡単に腐ってしまうような組織であった。

 十万の軍人を持つ大組織を、北島の力だけで腐敗を全面的に食い止めるのは、流石に無理があった。その為、許容できるところは辛うじて目を瞑り、国防省に運営を任せていた。


 国防省から格好のエサと見なされ、利用されるのは本当に癪に触ることだ。それでもまだ『禁域』に触れずにいたから北島はなんとか堪えていたが……



 これは、流石に調子に乗り過ぎだ。



 空を泳ぐ五台のオスプレイ。あの中のどれか一台に、四季よつきと例のブツが搭載されているはずである。それを傍目に、北島はタクシーを降りて走り出した。「釣りはいらない!」と紙幣を座席に置いたまま、勢いよく飛び出すようにして。


 その後、北島は国防省の門を強引にまたぎ、『エリート』の特権を惜しみなく使っていくつものセキュリティゲートを潜り抜けた。いつも最後には門番に「異例の対応でお願い!」と一言添えながら、疾風の如く上の階層へと登ってゆく。


 下手すれば、始末書ものかも知れない行為だろう。けれども、こんなところで手段を選んでいる時間なんてなかった。唖然とする門番なんかに気にも留めず、北島は上へと向かい走り続けた。


 そして、北島が目的であったある部屋まで辿り着くことに。


 自分がエリートの立場でなければ、確実にここまで来れなかっただろう。こればかりは、真面目に仕事に取り組んでいて良かったと思うところだ。


 北島の前には荘厳な雰囲気を抱かせる、厚い木材の扉が閉まっていた。荒れた息で汗を拭いながら、金具が外れる勢いでその扉を開き、声を上げた。



「ちょっと!! どういうこと!?」


 鬼の形相を顔に浮かべたまま、北島は大股で奥まで歩き進んでゆく。


 奥で腰掛けていたのは一人の男……中年層と見られる男であった。急須を手に持ち紅茶をくんでいる最中であったが、北島は構わず追い詰めるようにして男へと迫った。


 口元にはトレンドマークの髭に、整髪剤によってほぼほぼオールバックの髪型をした体つきの良い男だ。上下黒色のスーツ姿であるが、国防省の内部にいたのにも関わらず、青鷺のシルエット──皇軍のシンボルマーク──を右腕に付けている。


 そんな男であるが、北島の様子に驚きの顔一つ見せず、紅茶を淹れるのを辞めることはない。綺麗なガラス造りのティーポットを手に持って作業を続けたまま、こちらに視線だけを移すだけだ。


 北島と目線が重なると、男は額にしわを浮かべ、口を開いた。


「北島君か。どうしたのだ……? そんな顔をして……せっかくのお化粧が台無しになってしまうぞ」

「とぼけないでっ!! 外の騒ぎ、貴方の仕業でしょう!?」


 低く、芯の通った聞きやすい声であった。滑舌も良く、決して耳障りではないが、あたかも茶化すような口ぶりであり、北島は勢い強く噛みついてしまった。


 どうして、四季よつきといい、この男といい、皇軍の人間はこうも飄々として、洒落を好むのだろうか。いや、この男は四季とは違い、場を弁えない洒落込みを始める奴だ。北島の感情も十分分かっているから、あえて煽っているのであろう。


 ここに来る前から既に苛立っていたというのに、この言葉だ。感情を逆撫でするかの発言であり、額に青筋を浮かべ、男へ詰め寄った。


 男は全く怖気もせず「まぁ、落ち着きたまえ」と、やんわりとした口調で北島をなだめる。またそれが北島の苛立ちを加速させる要因となった。


「さて、なんのことか…… と、するりと抜けたいところだが……そうもいかないものかな。まぁ、とりあえず、せっかく『エリート』の北島君が来てくれたのだから、もてなさねばな。紅茶かコーヒーが用意できるが、君はどちらがいい?」


 ガラス造りの急須を北島の前に置き、選択肢を与えるかのように男は手を広げた。


 北島は「いらないわよ!!」と唾を飛ばし、机上を手で薙ぎ払う。勢いで横へ飛んだ急須が床に落ち、中の液体を散らしながらパリンと割れた。


 一連の流れを静かに見ていた男は「おや」と顎に手を当て、わざとらしい怪訝な顔つきを浮かべた。


「随分とご立腹だな。その様子じゃ、良い男が捕まえられなかったようだな。そんなに気合を入れてお化粧したのに、残念なことだ。その男は見る目がないな。君は綺麗な女性だと、私は思うぞ」


 男の勝手な憶測とはいえ、半分当たり、半分外れという微妙なラインを突いてくるものであった。そんなプライベートな話をしにきたわけではない。北島はカッとなり「黙りなさい!」と怒鳴りあげ、両手で机をバンッと力強く叩く。北島の犬歯が露わになり、力が入っているのか、小刻みに震えていた。


「貴方、何をしたの!?」

「どうして私がやったと? 私は、ここで紅茶を嗜んでいただけだが……」


 男が静かな口調で割れた急須を見やれば、北島は「隠した気になってるの!?」と勢い強く踵を返す。


「こんなことをやるような人間……貴方しかいないからよ。いなずまさん。そうでしょう!?」


 いなずまと呼ばれた男は「ほぅ」と感嘆し、音の鳴らない拍手で北島を称えた。


「私も疑われるようになったな」と男は顎髭を撫でる。「そうだ、正解だ。一応私が関与・・した。もう少し難易度が高いクイズじゃないと『エリート』には歯応えがなかったかな?」


「隠す気なんて微塵も感じられなかったわ! よくもそんなことをいけしゃあしゃあと言えるわね」


 北島は両手を腰に当てて、呆れるようにそう述べた。何が『クイズ』だと言いたくもなる。こんな騒ぎを起こす国防省・・・の人間なんて、どう考えても霆しかいない。当たっても何も嬉しくないクイズだ。

 現に、何も隠そうとせず打ち明ける霆の姿勢が全てを物語っている。遊んでいるとしか思えない。



 いなずま 降雪こうき。皇軍の隊員でありながらも、国防省に席を置く男だ。本来、皇軍の人間は国防省と兼務できないはずなのに、三年前の事件からこの男のような存在が少しづつ出始めてしまった。霆は『エリート』でも『カテゴリーA』でも無い。それなのにも関わらず、こうして暗躍しているのは、政府とのパイプを持っているからだ。


 言ってしまえばこの男は皇軍の腐敗の象徴だ。皇女暗殺事件をいいように使って、自分自身を利権の要とすることに成功した男である。その影響力はあまりにも計り知れないものになり、北島ですらも手に負えなくなってしまった程だ。


 皇女がいない今、特別収容所に在する死刑囚を動かすことが出来る人間なんて裏ルートを熟知している霆しか思い当たらなかった。


 北島は一呼吸置き、再度机に両手を押し付けた。


「どうして、こんなことを!?」


「──どうして夏希を!? 夏希を、外へ出したの!?」


 夏希の名を出した瞬間、霆の肩が少しだけ竦んだ。恐らく、一瞬だけはぐらかそうと試みたことが伺える。だが、北島の瞳から何かを感じたのか「察しが良いな」と事実を認めた。

 

「確かその件は、表沙汰になっていなかったはずだが……。『エリート』である君にも教えないように、仕組んでおいたはず……流石、静岡蜜柑に長年連れ添った仲と言ったところだな」


「答えになっていないわよ!! 真面目に答えなさい!!」


 『特別収容所』から渡された『超危険人物』だなんて、紐解く限り夏希以外思いつかない。むしろ、これで外す人間が皇軍の中でどれだけいるのであろうか、逆に問い正したくもなる。あんなもの、隠しているどころか、お察し下さいと答えを教えているようなものだ。当人は隠せると目論んでいるのか、疑いたくなる。


 馬鹿にするのもいい加減にして欲しいところだ。


 詰める北島を前に、霆は粛々とティーカップに口を付けた。あくまで自分の調子ペースは崩さないと主張するような仕草。ここまでくると頑固ささえも察してしまうぐらい、タチの悪いものであった。


 一口だけ紅茶を口に含めば、男はサラッと流すように北島に向かって


「──化物退治だ」


 と述べた。


 さながら、ティータイムを楽しむかのような穏やかな口調であるが、耳にした北島は「化物退治!?」と眉を顰め思わず復唱してしまった。『何のことだ』と言いたげな口調で。徐々に目つきの鋭さが増してゆく。


「──君も聞いているだろう、最近物騒な化物が国中を彷徨うろついていると。害虫駆除に人手が必要だと思ってな」

「舐めないで。嘘をつくならもっとまともな嘘をつきなさい!」

 

「嘘? 本当だとも。街中に現れたエイトは非常に凶暴だ。相手をするにはそれなりに力を持った手練れでないといけない。素人を向かわせるわけにはいかないだろう?」


 あの売木夏希が手練れであることは認める。彼女なら凶暴であるエイトを相手にしたってやられることはないだろう。


 だが、これはあまりにも酷すぎる冗談であった。エイトの数なんて多すぎて、夏希一人でどうこうできる話ではないし、そもそも夏希を関わらせてまで行うことではない。


 いや、それ以前にこんなもの、あの『売木夏希を外に出した』言い訳にならない。どれだけ、重いことをしているのか、この男は気づいていないのか?


 

 

「貴方、自分が何をしたのか分かっているの!? 例え、霆さん、貴方でもこれは許されないわよ!」

「なんのことか? 私はあくまで関与・・したまでだ」


 全く持って話にならない。のらりくらりと躱されてしまう。

 焦ったさを感じた北島は、爪痕が付くほど力強く拳を握り、そして落ち着かせるように手汗をズボンで拭った。


 ぼかそうという魂胆が見え見えだ。こんなところで男の戯言に付き合っている暇なんてない。化物退治以外の目的があると確信し、北島は更に言及した。


「夏希を、夏希をどこに向かわせたのよ! 答えなさい!!」


 ここが国防省内でなければ、胸ぐらを掴みたいところだ。そんな感情をぐっと堪え、霆へと問いかける。


 推し黙る霆。しかしながら、厳かな目つきで静かに口を開いた。


「──富士だ」

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