欠けた歯車

 


 話に一区切りついた段階で「さて、これからどうしましょうか?」と仕切り直すようにしてみぞれが立ち上がった。これに続くように三河みかわも腰を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。


「どうしましょうかって、自分で言ってなんなんだけど……『売木桜を追いかける』、それしかなさそうね」

「そうだろうな。なんにせよ桜と絆に会わないと話も始まらない」


 膝に置いてあった林檎りんごは箱に戻しておくことに。このまま誰にも食べられず、終わってしまうのは本当に勿体無い。けれど流石に軍人である霙が、民間人の家にある食べ物を食べようとする気にはなれなかった。

 

「名残惜しいけど、北城村とはここで一旦お別れね。とりあえず家を出ましょうか」


 先輩を外へと促し、霙も一緒に部屋を後にする。外に出ると、入った時よりも日は明るくなっていた。


 再び二人は地面に浮かび上がるタイヤ痕を確認することに。


「跡を見るに、古いノーマルタイヤであることが分かる。舗装されていない悪路や、残雪がある北城村へ赴く前提で準備していたら、もう少しいいタイヤを履いていくんじゃないか? あらかじめ行くことを想定されていないものと考えられるな」

「急いでいたってことかしら? 確かに観光目的ならもう少し準備するわね。偶然出会った観光客じゃなさそうね…… まぁ、どちらにしても、北城村の住人じゃない確率が高いわ。先輩、他には?」


「大型の車両だな。路面の削り具合や、轢かれたエイトの様相から大型の乗用車だと判断がつく。これはバスじゃないな……大型ワゴンか? かなり積載しているようにも感じられるが、桜と絆……二人を乗せるには十分すぎる大きさだな」


 間近で見ていて実感するが、土に彫られたタイヤ痕だけでここまで紐解けるなんて、逆に恐ろしさまで感じてしまう程の洞察力と推察力の持ち主である。時代が違えばこの人は、名探偵にでもなれたのではないかと思えて仕方がなかった。

 これも長年に渡る諜報活動で培った経験と技術によるものだ。林檎の件と同様、とても真似できるものではないと、霙は改めて認識する。


「南側から来ているな、スピードは大体時速六〇km程か? そこから、急停止しながらエイトを轢き殺して……このような有様になっている感じだな」


 指でなぞりながら三河は霙に対し、何がこの辺りで起きたのかざっくりと説明する。ざっくりといっても要所はしっかりと抑えているものだ。無論、現場にいたわけではないので、これも彼の『憶測』であるが、その正確さは誰よりも霙が保証している。


「──それで、この辺りで切り返して北の方角へ向かっているな……」

「なんで現場を見ただけで、それが分かるのかしら……不思議で仕方ないわ」


「土に削られたタイヤ跡や、各所で確認できる踏まれた雑草が全てを物語ってくれているからな。今回は跡が残りにくいアスファルト路面ではなかったから随分と楽だったぞ」

「そう……」


 『楽だった』と言われても霙は全く同意できなかった。その界隈に『楽』とか『厳しい』とか、そういった基準が存在することすら怪しく思えて仕方がない。


「──つまり、誰かが大型車両でエイトを轢き殺しながら登場し、絆と桜を助けた……可能性があると? そういうことでしょ、先輩」

「そうだな」


 霙は「ふぅん」と口を尖らせ、つまらなさそうに土を蹴った。


「なんだか、ピンチの中、誰かが現れて桜と絆を救ったようなシナリオが思いつくわね。私たちの前にヒーローなんて全然現れやしないのに、羨ましいわ」

「もうそんな歳じゃないだろう」


 どうしてこの先輩は、このあたりのセンスが無いのだろうとつくづく感じてしまう。ここは軍人らしく『お前がヒーローになるんだよ』ぐらいの叱咤激励を後輩・・に見せて欲しかった。


 ジト目で見据える霙。これに対して三河は全く居心地の悪さを感じなかったのか、何もフォローを入れることはなかった。それどころか、気ままに奥に聳える八方山まで身体を向け、綺麗な山景色を目に焼き付けようとする様子が伺える。


 霙は「はぁ」と息を吐き一言。「追いかけるわよ」


 追跡はお手のものだ。霙自身、そこまで追跡は好きではないが、ずっと二人で任務をこなしていたとき、こういうことは本当によくあった。その為、いつの間にか自分達の得意分野となっていた。


 僅かな手がかりだけで、相手の居場所を『探り』、『追いかけ』、『捕まえる』…… 旧東軍の中では霙達が一番長けていたものであった。 

 


 だから……私達を向かわせたってこと?


 

 黒色のSUVに乗り込みながら、霙が思う。まるで、最初から想定されているような流れを感じて仕方がなかったからだ。捜索に長けた自分達を向かわせた意味が、ここになって現れてきている。


 ただ、少女を捕獲するだけであれば、他の人間でも十分事足りるはずなのに……


 自分達を派遣させた意味って……?


 よほど外せない任務なのだろう。元々自分達が引き受けるものはそんなものばかりだ。国の事態を左右するような重大任務だって過去にこなしたことがあるくらい。それ程、自分達は『上から買われている』ものであると、自覚している。


 だからこそ・・・・・、怪しさが際立つのだ。あの桜と絆を二人を『連れて戻る』ということが、旧東軍にとって……


 大きなものと位置付けられているから……


 ただでは済まないと思われているから……


 自分達を赴かせているのだろう。そうとしか考えられない。


 横でハンドルを握る男。時折センスの無い発言をするが、これでも名を馳せる実績を持つ男だ。あの三河恭一を利用もちいてまで、成し遂げたいことがあるのだろう。どうしても、やらねばならないことが。


 楽であれば、それに越したことがない。だが、少し考えてみれば分かること。自分達が頼まれるということは、桜と絆にそれ程の価値があると……見なされているということだ。


 自分すら知らない二人の価値。それを認める人間が、同じ目的で狙ってくるということか。


 では、その価値を知る人間は一体誰なのか……? その価値を知った人間は、どんな人間なのか……?


 

 ──いずれにしても、すんなりと終わらせてくれないだろう。


 相変わらず、上層部が何を考えているのかは分からない。今までは言われたまま、任務をこなして来た。課せられたものに対してしっかりと片付けるような、都合の良い駒を演じてきたが……



 今回だけは、操り人形になる気なんてさらさらない。


 都合良く使われてたまるものか。



 公私の利益が一致するのであれば、『私』を優先してやろう。これが真相を隠し続ける上層部に対しての、霙が見せた一つの抵抗であった。


 はまりかけた沼であると分かっている。三年前に起きた『皇女暗殺事件』という底なし沼であるということを。誰も関わりたく無い、禁断の沼であるということも。


 だが、沼につき落とした人間を、『誤ったものだ』と霙は心中で嘲笑った。あろうことか、いなずまみぞれを向かわせるなんて、本当に愚かな選択をしたものだと。後悔させてやりたいものだと。


 立場を活かして徹底的に『楽しませてもらう』。霙は任務を受けた当初より、はなからそう決めていた。

 

 関わるのであれば、必要以上に関わってやろう。自分の知識欲を満たす為に、ありとあらゆる手段を使ってやろうと。


 小刻みに揺れる助手席。思わず霙の口角がふっと持ち上がってしまった。誤魔化すようにして霙は「ちょっと」と隣の男へ声を掛ける。三河はこちらへ一瞥もせず「どうした」と返してくれた。


「静かなのも飽きたからラジオつけるわよ。いいかしら」

「構わない」


 知らず知らずのうちに、笑みを溢してしまうほど昂ってしまったらしい。ここは、一つ心が落ち着けるクールジャズを聞きたいものである。霙は前に身体を倒して、カーラジオまで手を伸ばした。


 国営の流すラジオは戯言ばかりで大変つまらないものばかりだ。偏った報道ばかり続ける国にはもううんざり、聴く気なんておきやしない。教育にも悪影響を及ぼすものとすら思っている。


 だから、霙のお気に入りのチャンネル、その殆どは音楽しか流れないものであった。


 今日も例の如く、お気に入りのチャンネルまでチューニングを合わせてみるが、残念ながら『ザー』といった雨のようなノイズ音しか聞こえなかった。察した霙は「うっそぉ」と声を上げ、しゃにむに合わせようとするが、繋がらず……



「ったく、こんな山奥じゃ、繋がるチャンネルも限られているわね」

「そうだな」


「でも、何か聞きたいわよ。先輩の声だけじゃ眠たくなるったらありゃしないわ」

「そうか」


 そんなやりとりを続けながら、チューニングを弄っていると、雑音と共に男の声が聞こえてきた。腐る程耳にしている無機質な成人男性の読み上げる声だ。


 普段なら、いつものように無視して別のチャンネルに合わせようと試みるところであるが、今日に限ってその手が止まってしまった。



『──繰り返します、臨時ニュースです。黒い色をした未知の生命体……通称『エイト』と呼ばれる生命体が全国各地にて姿を現しております──』


「おやぁ?」と霙が嬉しそうに不敵な笑みを浮かべる。ニンマリと、まるで悪事を企む代官のように。


「ようやく吐瀉ゲロったわね。ほんと、どれだけかかったのかしら」

「隠すのは流石に無理があったようだな」


 ファーストコンタクトから既に三日以上の日時が経っていた。その間、自分ら『旧東軍』がどれだけ被害を食い止めるために健闘したことか、皇本軍くには知っているのだろうか。どうせなら報道するなら、自分達を褒め称える報道もしてほしいところである。絶対そんなことはしないだろうが。


『──体長は2メートルほど、大きな爪を持っている個体が多く、攻撃性が高いのが特徴です。国民の皆様には自分の命を守っていただくべく以下のことを遵守していただきたいと思います──」


 続くナレーターの言葉に「遅すぎるってのよ!」とヤジを飛ばした。言ったところで返ってこないなんて事も重々承知している。けれど、口が先に動いてしまうのだ。

 ニュースを聞きたくないのはこういうヤジが止まらなくなるからでもあった。


「でも、先輩……国が吐瀉ゲロったってことは……ついに皇軍様が動き出すってことよね」

「ああ、その可能性は高いな」


 国の報道は皇本軍の動きと連動している。つまり、国民に知らせると同時に皇本軍も何か、対策を始めるということだ。むしろ、これが決まったから、ここにきてようやく一斉に報道されたものと思われる。


『──今後、政府は皇軍と協調しエイト対策に乗り出す方針であり、今日未明にも対策会議を臨時で開く予定です。そのため引き続き続報を待つような状況になりますが、国民の皆さんはくれぐれも不要な外出を控えますよう、重ねてお願い申し上げます』

 

「──朝早くからご苦労様。さぁて、動いてくれるとなれば私達も用済みね。楽しみね、先輩。皇軍様がエイト対策をしてくれるそうよ。やれやれって感じだわ、これでようやく熟睡できる夜が訪れるわね」


 霙が満足そうに背もたれに寄りかかる。

  

「具体案はこれから練るみたいだな」

「そうね。見せていただこうじゃないの、皇軍様の実力とやらをね」


「──楽しそうだな、霙」

「そうかしら? いや、むしろ先輩、これ程楽しいことはあまりないわよ?」


 皮肉屋にとってはネタに事欠かなくなるからである。あと2週間は何もせずとも口が回りそうだ。


「……けれど」


 霙がふと顔を引き締め、声を落とした。


「これで全てが動いたわね。私たちがその歯車・・でなければ良いのだけど」

「そうだな」


 まるで、他人事のように同意する三河。知らずに巻き込まれているという自覚が無いのではなく、巻き込まれすぎて感覚が狂っているのだろう、きっと……

 

 それとも、彼自身がその今の状況を楽しんでいるかのどちらかだ。


「さてさて、どうなることかしらね、三河先輩。『そうだな』以外で答えてください」

「皇女が亡き今、皇軍の存在意義が問われている今を考えてみれば、未知の外来の敵であるエイトほど、彼らの存在意義を証明するうってつけの相手はいないだろう。国民を脅威に陥れるエイトほどな……」


「確かに。自分達の意義と力、その両方を見せつけることの出来る相手として、これ程『美味うまい出汁』はないものね。美味おいしくすする計画を立てるのに、時間が掛かったということかしら?」

「邪推すればそうなる。だが、結局被害を被るのは何もできない一般人だ。ドサクサに紛れて妙なことをし始めなければいいがな。そうされると色々厄介だ」



 霙は車窓から流れゆく景色を見つめながら「言えてるわね」と呟いた。


「まぁ、でも大方方向性が固まったってことでしょ。エイトを組んだシナリオ・・・・が。皇女暗殺事件と同じようにね。どのようなことを見せてくれるのか、楽しみで仕方ないわ」

「そうだな」


「──今頃皇軍は大騒ぎでしょうね。こんな朝早くから振り回されるなんて、たまったもんじゃないわね」

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