寒い部屋2

 

 霙は顔を持ち上げ、再び部屋の隅から隅まで目を配らせた。何か見過ごしているものはないかと……


 するとまた、あるものが冷蔵庫の側に置かれているのに気がついた。大きな紙箱にその上からちらりと見える赤く丸いシルエット……


 近寄って一度確認してみれば、中には新鮮な果物くだものがいくつか箱に詰められており……これはどうやら果物の詰め合わせのようである。


 霙はその中にあった林檎りんごを一つ、綿を掴むようにして手に取った。


「……物色とはいただけないな」

「失礼ね」


 手に取った瞬間である。向こうから機械のような声が飛んで来た。


 まるで、泥棒を注意するかのようで、警告を受けた霙は逆に苦笑いを浮かべてしまった。別に腹が空いているというワケではない……ワケではないが、何故だか霙は吸い寄せられるように手に取ってしまったのだ。


 顔の上まで林檎りんごを持ち上げ、地球儀のようにくるくると回しながら見つめ続ける。果物についてそこまで詳しく無いものの、素人目でも分かるくらい、上質な果物くだものと見た。

 

 赤い皮はとてもつややかであり、水々しい。かなり新鮮な状態であると思われる。北城村の寒い空気が、果実の新鮮味を保たせてくれたのであろう。現に今も、外の空気は冷蔵庫よりも冷たいくらいだ。

 

 林檎だけではなかった。箱の中には、桃、梨、葡萄ぶどうといった他の果物も沢山詰められており、どれも美味しそうであった。だが、このまま放っておけば、果物達はどう考えても腐っていく運命を辿ってしまうものと思われる。

 

「でも先輩、このまま誰にも食べられずに終わってしまったという可能性もあるわよ。それだったら食べてあげた方が果物にとっても親切じゃない?」


 放置された果物。きっと桜も絆もすぐには帰ってこないだろう。

 

 まるで、泥棒の言い訳のように聞こえる霙の言葉。彼女自身、何も考えずに発したものであり、これも適当に思い付いた理屈であった。それにしては思った以上にまとまってしまい、頭の中で自画自賛をしてしまうことに。

 

 言葉を受けた三河は、表情を変えないまま黙って両手を胸の前で広げた。『勝手にしてくれ』という意味であろう。


「まぁ、冗談よ。それにしても、綺麗な林檎ねぇ。先輩、最近果物を食べてるかしら? 健康のためには一食に一つ『果物を食べる』といいそうよ」

「口にするようにはしている。軍人も長生きする時代になってきたからな」


 明らかに不健康そうな生活をしている三河と一緒に、健康について語っても仕方ない。霙は「ふっ」と鼻で笑った後、林檎を掲げながら近くにあった椅子に腰掛けた。


 霙が膝の上に林檎を乗せたタイミングで「青森産だな」と三河が一言。どうやら林檎を見ただけで何処の産地か分かるらしい。林檎について詳しくない霙は、本当に青森産かどうか知り得なかったが、多分正解であろう。現状で活かせるヒントかどうかは謎であるが。


 もちろん、これは彼のつちかった知識と経験が働いたものであり、たまたま彼が単に林檎好きであったわけではない。勿論それも、霙は十分分かっていたが……


「林檎鑑定士になれそうね」

 

 と褒めておくことにした。見ただけで、どこの林檎か分かる人間なんて、なかなか少ないだろう。ただ、彼は口数が少ないので、八百屋には向いてなさそうだ。


「この果物達も……多分手紙と一緒で零佳が送ったものね。それに違いないわ、果物の質が上等だもの。零佳の目利きは確かだからね」


 八百屋や魚屋の前で懸命に目を血走らせていた零佳を思い出し、背もたれに身を預けながら霙は悠々と語り始めた。質を見極める技術で、零佳に勝った人物を見たことがないと。


 だが、そんなことを言われても三河は零佳についてあまり知らない。いつものような仏頂面であったがその目は『何の話だ』と言いたげなものであった。彼女の言葉を返さず、三河は黙ってその場でしゃがみ込み、詮索を再開した。椅子で休憩する霙とは違って。


 ただ、これといった何かが他に見つかりそうにないと諦めたのか、彼もまたすぐに霙の元まで歩み寄ってくることに。


 そして、霙の隣にあった茶色の椅子へと静かに腰掛け、軽い腕のストレッチをし始めた。風音とともに、彼から発せられる細く長い呼吸音が聞こえてきた。完全にくつろぎへとシフトしてしまったようである。


 外からは小鳥のさえずりが始まり、その歌声に花を添えるようにして葉擦れ音が重ね合う。まるで自然が奏でる演奏会のようであった。


 せわしない日々に追われていた二人にとって、久方ぶりに感じる穏やかな空気感。こんな緩やかな世界もあったと、忘れかけていた何かを思い出しながら、霙は自然の奏でる音楽に身を任せていた。


 霙は目をつむり、深呼吸を一つする。とても……長閑のどかな空気だ。寒いのがたまにキズであるが、本当に居心地が良い。東京まちなんかには戻りたくないと……そんな感情すらも芽生えてしまった。


 暫しの静寂の中で一先ひとまず自然を堪能した後、霙は欠伸を一つ溢し、口を開いた。


「先輩の言っていた通り、空気が凄く綺麗ね。本当、頭の中が浄化されるくらい澄み渡っているわ。自然も豊かで景色も美しい…… 都会まちより不便かも知れないけど、老後だったら済むのに丁度いいかも」

「余計な光もないからな。ここなら星もよく見えるだろう。俺は霙よりも先に引退する可能性が高いからな。先にゆっくりさせてもらうぞ」


「何言ってるのよ」


 確かに、三河は霙よりも歳上だ。年齢を考えればそうなのかもしれないが、言っても今年で27歳……24歳である霙と3年ほどしか歳が違わないのだ。お互い、引退後の話をするのにはまだ早い年頃であろう。


 それに……



 先輩は絶対引退できないわね。先輩の力を借りたい人間が、この国中で何人いると思っているのかしら。


 

 実績も相まって、彼はそう簡単には引退させてくれないだろう。彼がそうしたくても、周りがそうさせないはずだ。いつか平和な世の中が訪れてくれれば、話は別であるが。


 目標ターゲットである桜と絆が見つからない。行方も分からず、現在生きているかどうかの情報も得ていない状態でもある。他者から見れば、危機的な状況下に置かれた二人だ。

 こうしている間にも、桜達の身に何かあってもおかしくないはず。


 椅子に座りながらのんびりと会話を広げているヒマはないはずだ。


 ──そんなことぐらい。分かっている。自分に置かれた状況ぐらい……何なら誰よりも熟知しているものと二人は自負しているくらいだ。それでないと、軍人なんかやってられない。


 だが、それでも二人は調子ペースを崩さなかった。いつものように、落ち着いた空気感を保ち続ける。


「売木零佳は、夏希や桜みたいに剣を扱うのか?」

「零佳が……?」


 ふとした時、三河から素朴な質問を投げかけられた。霙は背もたれに預けていた身を前へと倒し、あごに手を添えて考え込むような仕草を作る。


 過去の事を思い返してみても、零佳が刀を持っていた印象が全くない。勿論、霙自身も、桜や夏希や他の姉妹が剣術を習っていることは知っていたけれど、それでも零佳の話となれば別だ。


 言われてみれば確かに、彼女も売木家の人間であり、他の姉妹のように剣術を嗜んでいてもおかしくない話だ。とは言っても、零佳の場合は……どう考えても……


「零佳が夏希さんのように剣を振るうなんてこと……見たこと聞いたこともないわね」


 あくまで友人としての見解だ。長い時間一緒に過ごした仲であっても、零佳が刀を持っている姿を一度も見たこともないし、話にも上がらなかった。零佳はそういう人間ではないと霙も分かっていたから、無意識のうちにそこは触れなかったのかもしれない。


 だが親友とはいえど、零佳について全てを知っているわけではない。あまり自分について話したがらない人間であるため、知らないところで刀を振っている可能性だってあるのだが……


 あの零佳が剣を扱って戦う……? 


 とても想像がつかなかった。むしろ、零佳はそういったものとは真逆に位置するような性格だ。


「そりゃ、夏希さんの妹だから剣について多少触れていたかも知れないけど…… そんな素振りは一切無かったわね。だってあの子、本当に争いを好まないわよ。虫も殺せるかも怪しいくらいだし」

「そうか……」


 最後はちょっと言い過ぎたと感じるところがあるが、そう表現しても過言でない程、彼女は物静かな性格であった。


 自然と平和を愛するお淑やかな女性であり、物騒なこととは縁が無い人間だと思っていたくらいだ。時折、霙が売木家に伺った時でも零佳はずっと家事ばかりしていたのを覚えている。そこから伺えば売木家の中でも、きっと彼女はそのような役割を担う人であったのだろう。家事炊事といった面で妹達を支える役割であると。


 夏希とは全く別のやり方、別の道で家族を支えていくと、恐らく零佳自身も決めたのであろう。


 それ故、剣とはあまりにも無縁な人物であり、剣術と零佳では紐付けることができなかった。


「はっきり言って分からないわね。彼女がどれ程の実力か……。夏希さんの妹だから、剣術の才能はあったのかも知れないけど…… でもきっと、彼女自身でそういう道を歩まないことを決意したんだと思うわ。あえてね」


 あの売木夏希の妹だ、もし仮に彼女がしっかりと剣の鍛錬をしていたら、彼女もまた夏希並の強さを誇っていたのかも知れない。或いはそれを上回るくらいの……

 改めて潜在能力ポテンシャルを考えてみれば、彼女ほど未知数な人間はそうそういない。


 だが、霙は『もったいない』なんて思わなかった。それが零佳が決めた道であるのなら、その道を歩んだ人間が『売木零佳』であるのだから。


 三河は「そうか」と理解したかのような言葉を口にしながら、棚に置いてある零佳の写真まで手を伸ばした。


 磐梯山の麓で麗しく佇む零佳の写真。彼女の持つ吸い込まれるような神秘的な眼差しが、こちらを見ているようであった。


「あまり、夏希に似ていないな」

「それ、本人の前で言っちゃダメよ。それをご近所から言われて、何度零佳が愛想笑いを浮かべていたことか……」


 三河は「あぁ、そうか……気をつける」と少しだけ眉を寄せた。


「ちなみに、彼女の双子の妹である『弥生やよい』さんと似ていないって言うのはOK。それなら、零佳も千回ぐらい言われている言葉だからね。言うならそっちにしなさい」

「複雑なんだな」


 霙は最後に吐き流すようにして「そう、女の子は複雑なのよ」と言葉を添えておいた。どちらにせよセンシティブな話題なので、わざわざ踏み込む必要はないことだろう。


 破られた壁から、八方山の颪風が吹き流れる。その風を受け、黒髪を靡かせた三河が「ふむ」と一言。


「覚えておこう」

「覚えなくていいわよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る