寒い部屋

「ちょっと待って。これ、どういうことかしら?」


 突然みぞれの足が止まり、足元へ注意を払う。後ろにいた三河も、霙にならうかのように、じっと黒目を下まで落として下方を伺った。


「これって……」


 二人の視線の先には倒れている化物エイトの姿。とはいえ、先のもの──外で轢き殺されていたエイト──とは全く異なる殺され方をしていた。

 

 胴が縦方向に裂かれていたのだ。一直線に、何かに斬られたかのように。


 二つに割られて沈黙するエイトであるが、腸や心臓とも思われる臓物がフローリング一面に広がっており、なかなかグロッキーな姿だ。子供が見たら怯えて泣き出してしまうであろうその姿を前に、霙は「うっ」と目を細めてしまった。


 北城村の寒い気温が無ければ、今頃腐敗によって部屋中が強烈な異臭に覆われていたことであろう。そうとなれば、とても近寄ることなんて出来ない状態であった。血を見ることには慣れているが、臭いだけは未だに身体が拒絶する。特に、強い腐敗臭に対しては……


 もし仮に腐敗によってにおいが立ちこもっていたとなれば、危うく隣の先輩単体で家内の探索に向かわせていた。とてもじゃないけど、悪臭の中まともに捜索なんてできやしない。


 こればかりは、気温の低い長野の環境が味方してくれたものであると、霙はひっそりと感じていた。


 それはさて置いて、この殺され方であるが、随分と興味深いやられ方をしているものだ。。


「斬られているな……」


 傍にいた男が、見たまま当たり前なことを抑揚のない口調トーンで言ってくる。耳にした霙は右眉を歪ませた。


「そんなの見れば分かるわよ。そうじゃないわ、これってどういうことなのよ?」


 心の整理がつかず、霙は思ったままに言葉を並べてしまった。徐々に声が大きくなる霙、彼女の意図が読み取れないのか、三河は黙って首を傾げた。霙はすっと綺麗な空気を吸い込み、自身を落ち着かせるようにして胸に手を当てながら「一回整理するわ」と瞼を閉じた。


「斬られている……ということは、誰かが斬ったってことよね」

「そうだな」


「この場でそんな芸当ことができる人間がいたってことよね」

「そうだな」


「誰だと、先輩は思います? 私は売木桜じゃないかと思っているけれど……」

「同じだ。恐らくそうだろう」


 ここにきて霙は何かに気づいたように両目を見開き、ざっとその場でしゃがみ込んだ。そして倒れているエイトを凝視し「売木桜が…… やったの?」と震えた声で呟いた。どことなく興奮混じりの声。

 独り言だと思われていたのか、その自問・・に対しての回答が三河から出されず、沈黙の時間が数秒続く。


 売木桜……かの売木夏希の妹であり、彼女もまた剣術をたしなんでいると聞いていた。それ故、この推測も十分腑に落ちる。桜が剣をもち、この未知の脅威と対抗したのであろう。



 戦ったの……? あのが……



 恐らく……いや、高い確率でそうとしか思えない。考えられる限り、この場で剣を扱える人間といえば売木桜ぐらいしかいないからだ。売木桜が化物エイトを倒し、その後にどこかへ逃げたのだ。


 

 霙は更に屈み込み、切断面を触れない程度にそっと縦になぞった。


 綺麗な太刀筋だ。迷いなく一直線に引かれている。

 刹那の一太刀で仕留めたのであろう。あの人が得意とする剣技の一つだ。

 


「この太刀筋…… 間違いないわ」



 霙は確信する。間違いないと。こんな夏希を彷彿おもわせる芸当。それが出来る人間、彼女以外に誰がいるのだろうか。ファン・・・である自分なら断言できる『売木桜が斬った』と。


 あの夏希の妹が……夏希に酷似した妹が剣で応戦したのだ。そして、夏希が得意としていた動きでエイトを仕留めたのだ。でなければ、こんな綺麗に斬れる人間、他に思い付かない。


「たまらないわね」


 霙の心は震えていた。ファンだからこそなのかも知れない。夏希のことをよく知る霙は『たまらなく』驚いていた。一瞬、夏希がやったものかと思えてしまうほどの完成度クオリティであったからだ。ただの妹なのに、ここまで夏希を再現してくれるなんて、予想だにもしていなかった。恐ろしさすら感じてしまう。


「あの売木桜が、戦った。この場で、軍人でもない彼女が……ほんと、どれだけ私の心を擽るのかしら」

「楽しそうだな」


 久々にここまで昂ったのかも知れない。既に霙の中で『任務を引き受けて良かった』といった前向きな気持ちで満たされつつあった。しかしながら、まだ何も終わっていないのが現状だ。


 ここは一旦落ち着こうと、霙は肩の力を抜いて大きく息を吸った。空気が美味しい・・・・・・・


 血を流して倒れる化物は見ていて心地良いものではないが、調査は継続つづけないといけない。この後、桜達を追いかけることになるだろうが、恐らくもう北城村に戻ることはないと考えられるからだ。


 ここは、入念に調べないといけない。そう思いつつ振り返れば、わざわざひざを折って綿密に調べる三河の姿が目に映った。ネズミを追うかのような低い視線で、しっかりと調査をしてくれている。この人、悪い人ではないが、どうも言葉数が少ないのがたまに傷だ。


 霙も顔を上げ、何か面白いものはないかと周辺あたりを見渡した。すると、すぐさまあるものが視界に映り込んだ。


──手紙?


 二つに割られたテーブルの下に何か紙のようなものが落ちていた。ハガキ程の小さな紙であり、木屑に紛れて埋もれていたため、見落としそうであった。


 霙は落ちている手紙まで近寄り、そのまま手に取る。あまりにも木埃ほこりまみれていたため、二、三回払い落とそうとすれば、拍子で宙へ舞ってしまった。霙は舞い上がった砂煙を、煙たそうにぱたぱたと手で振り払った後、舐めるようにして紙を調べた。


 これは……


「これ、もしかして……先輩!」


 何かに気づき、霙は奥でしゃがみ込む三河を急かすようにして呼びかける。そんな霙の様子とは裏腹に、三河はのっそりと立ち上がり「どうした」といつものペースで歩み寄ってきた。その間、無言の霙から仰ぐような手招きを4回ほど受けたが。


「これよ、これ!」

「……手紙か?」


 二人で一枚の手紙を囲うようにして肩を並べる。


 霙が手に持つもの、それはメッセージが添えられた一枚の写真であった。大自然の中、桃色の和服姿をした女の人が佇んでいる写真。その裏面には、体調を憂う優しい言葉が一緒につづられていた。


 霙は写真の中で立っている人物を鑑定するように眺め、そして息を飲んだ。


 大きな山の前で、母親のような優しい笑みを見せる女性。忘れもしない、この人は……


「この女の人……間違いない、零佳れいかよ」


 写真の中に映り込んでいた一人の女性。それは霙のよく知る人物であった。売木零佳……売木桜の姉であり、夏希の妹であり、そして自身──霙の親友でもある人物だ。


 霙自身も、あの事件以来零佳との連絡が途絶えてしまっていた。以前までは定期的に会っていたものの、事件を跨いでから3年もの間、零佳と会うことはなく霙も『いつか、どこかで会える』と思いながら過ごしていたのが現状であった。

 

 長い間、零佳の顔を見ることはなかったものの、それでも写真の中にいる女性が零佳だと断言できる。かつて、一緒に時間を過ごした友達……売木零佳であると。


 この写真は……『皇女暗殺事件』以後に撮られたものであろう。最後にあった時から随分と大人びでいるように見えた。ただでさえ、大人びて見える零佳であるというのに、歳を重ねて更に美しさが増しているように伺える。とても自分と同い歳──24歳──のように思えなかった。


 零佳の顔を見るたびに、自分が子供っぽすぎるのではないかと勘違いしてしまうのは、昔と変わらない。そんな懐かしさを噛み締めつつ、霙はしばしの間、写真を眺めていた。


「売木零佳か……」


 隣に立つ三河が、何かを思うようにして彼女の名前を口にした。彼女もまた、桜や絆と同じ売木姉妹の一人だ。


 ここに来て零佳の顔を拝むことになるなんて、思いもよらなかった。そもそも彼女の生死すら不明な状態であったのだ。そんな零佳が、今もどこかで生きている……これが分かっただけでも霙にとっては十分すぎる収穫であった。このあたりで一息ついて余韻に浸りたい……ところであるが、今日はそうも行かないだろう。


 霙は呼吸を整えながら、もう一度、脳内の整理に走る。相変わらず空気が冷たく澄んでおり、頭を働かせるにはいい環境だ。寒い思いをしているのだ、多少自然の恩恵を受けても罪にはならないだろう。


 静寂の間が空いた後、霙は「そ、う、な、る、と」とジェスチャーを混じえながら口火を切った。


「売木桜は、零佳と連絡が取れていたということになるわね」


 確認のために三河へ視線をやると、彼も黙ってうなずいてくれた。彼の持つ真っ黒な瞳孔がこちらへ向けられる。


 確か、桜はあの事件以来、絆以外の他姉妹と離れ離れになってしまっていると聞いていた。その情報にのっとれば、桜と零佳もお互い連絡も取れない状況にあったと思われていたが…… この手紙を見る限り、どうやらそうでも無かったようだ。何らかのタイミングで連絡が取れるようになったのだろう、経緯は不明であるが。


 となるとだ、他の姉妹とも繋がりがあるということが……?


──いや、その可能性は低いわね。


 思わず独り言を呟きそうになったが、なんとか心の中で押し留めた。


 北城村に到着した時、慌てて桜を追いかけなくて良かったと、霙は心底感じていた。こういう重大なヒントを見過ごしてしまう可能性があるからだ。つくづく、自分達の調子ペースを維持し続ける重要性を認識してしまう。急いだっていいことなんかないのだ。


「ところで、ここはどこかしら?」


 撮られている場所は何処なのだろうかと気になるところでもある。写真の背景には壮大な山景色で、とても引き込まれるものがあるが、全く心当たりがない。これだけで場所を特定するなんて無理な話であろう、もっと他に良いヒントがあればもう少し絞れるのだが……


 写真を裏返し宛先が書かれていないか確認してみるも、北城村のこの家宛『高山 桜様』と丁寧な字で書かれているのみであった。恐らく、これは桜の偽名と思われる。

 しかしながら、それ以外に何処にも零佳の住所らしきものは記載されていなかった。写真をめんこのように何度も何度も裏表を繰り返して見てみても変わらず。その行為にある程度キリがつけば、霙の口から「はぁ」とため息じみた吐息が出てしまった。

 

 ようやく零佳の居場所を突き止めることができるかと思いきや……この辺りで限界そうだ。


「これだけじゃ、分からないわね」


 とは言っても、何かの手がかりになることには変わりはないはず。手紙をやりとりしていた形跡があるのなら、他にも同じような零佳からの手紙が部屋の中に残されていることも十分考えられる。桜が零佳へ返事を送るためにメモした宛先や、零佳の住所が記載された手紙など、探せば出てきそうだ。


 二人がかりで、やろうと思えば零佳の住所の特定もできそうであったが、今日の目的はそれではない。真面目にやりすぎて時間ばっかり潰してしまうのは元も子もない話だ。


 肩をすくめる霙。その隣で先程から静かにしていた三河がおもむろに口を開いた。


「この山は、恐らく福島にある磐梯山だな」

「磐梯山……?」


 あまり耳慣れない山名に、霙はオウム返しをしてしまった。そんな霙の反応リアクションを受け止めた三河は「あぁ」と頷き、更に続ける。


「東北にある活火山の一つだ。富士のような整った三角の頂を持つことから、地元民などから『会津富士』とも呼ばれている山だ。アングルからして北塩原村から撮ったと思われるな。どちらにせよ、北城村と同じく美しい星が見える場所には違いないだろう」


 写真にある山景色を見るだけで、ある程度の場所まで絞れるあたり、この人の調査能力は計り知れないものがある。もう慣れたが、初めてその洞察力の良さを知った時は本当に驚愕した。この辺は霙よりも遥かにある三河のキャリアがものを言っている。流石といったところか。

 

 でも、あまりに褒めすぎるのは、なんだか自分の信念ポリシーに反するような気がしたのでいつものように


「星見スポットはくまなく抑えているのね、立派だわ」


 と返しておいた。現にこの男、相当星空鑑賞が趣味のようで、北城村のように星が綺麗な場所で仕事をするとなれば、隙あらば空を見上げていることが多い。実際、星が楽しみなのか知らないが北城村に行くと聞いた時、いつもは仏頂面のくせして、その時だけは少しだけ興味を示していたこともある。ほんの少しだけであったが、彼が興味を示すような素振りをするなんてそうそうないことだ。


 引退後はプラネタリウムの語り手でもやれそうである。そっちの方が寡黙な彼には性に合っているのではないかと霙は密かに感じてしまった。


 それにしてもだ、福島県だなんて、えらく遠くまで行ってしまったものである。


 一体どうして……? なんで零佳が福島に……?


 霙の頭の中で幾つかの疑問点が浮かび上がるが、そこを洗うのは後程にした方が良さそうだ。零佳について、とても気になるところであるが、それこそ『桜と絆を保護する』という本来の目的を見失ってしまうことになるだろう。何処かで折り合いを付けなければそれこそキリが無い。今は売木桜の方を優先すべきだ。


 霙は別れを惜しむかのようにして、零佳の写真をそっと棚に置いた。いつか本物・・と会えることを信じて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る