八方尾根の麓
前回のあらすじ
『売木絆』と『売木桜』を東京まで連れてゆくという任務を受けた『旧東軍』所属の霙と三河。任務の怪しさに疑念を抱きながらも、霙は引き受けることに。二人はとりあえずターゲットである売木桜に接触を試みようと東京から長野の奥地、『北城村』へ向かうこととなった。長時間に渡る移動に、二人は皇女暗殺事件について話を膨らませながら北城村へ赴くこととなる。結局、紆余曲折あって9時間以上もかかってしまったようであるが……
──────
「あー、先に越されたかぁ」
西側の一番星も徐々に姿を消してゆき、明るくなりつつある頃合。凍てつく冷気が吹き渡る北城村に、一人の女の声が響き渡った。
街とは異なり、ここは閑散としているためか予想以上に反響してしまうことに。静かな場所で、突然大声をあげてしまった
とは言ってもだ。目の前には半壊している木造屋、そして道路には血を流し横たわる数体の
時刻は午前6時前。おおよそ9時間の
後ろ向きの感情もなかったと言えば嘘になるが、自分にとって──霙にとって、何か得られるものだと考えここまでやってきたというのに……
やっとのことでたどり着いた先、目に見えたのは崩壊した家屋であった。正直なところ『ガックリ』である。
状況を察した霙は右手を額に当て、「やられたわね」と悔しそうに呟いた。長時間に渡ってここまで来たというのに、結果がこれではなかなか報われないものだと……いや、むしろ
だいたいこういうことは上手くいかないのだ。何事も『楽であろう』と思っていたものが、妙な障壁に出くわし、いらない苦労を費やしてしまう。何故だか嫌な
楽観しすぎず、気を引き締めて北城村まで来て良かった。そう思わないと色々やっていられないので、霙は気持ちを切り替え前を向く。
予想通り、北城村はかなり寒かった。本当に5月かと思えるくらいに寒く、とても長袖一枚の格好ではいられなかった。霙はあらかじめ寒さ対策として用意してきた、厚手の灰色の上着に袖を通す。
彼女らしい「全く、寒すぎるわ。何℃あるのよ」という愚痴も忘れてはおらず、ついでに霙の口から白い息がふわりと昇り立った。
蒼色の瞳を数回瞬きされ、深呼吸しながら赤い空を見上げた。息を吸う度に澄んだ空気が──とても冷たいが──肺に入って心地良い。朝焼けに映える八方山が美しく、幻想的で思わず息を飲むような気分になるが……
真下へ視線を落とせば半壊状態の木造屋。すぐに現実世界に戻ってしまう。
来た瞬間、嫌な予感があったが、どうやら売木桜の家は既にエイトの奇襲を受けてしまったようである。
壁は打ち破られ、木々は散乱し、屋根は
霙は少し離れた所で
──全く、観光に来たと勘違いしているのかしら、この人は……
心の中で思っている中、霙から送られる視線に気付いたのか、男もまた霙を見やり「空気が綺麗だな」と……
「そりゃ、山だからね。気に入った?」
皮肉を込めて返しておくことに。これでも霙の先輩にあたる人物だ。内心かなり尊敬もしている。
そんな尊敬する
「二番目か」
「そうね。渋滞に巻き込まれたり、ガス欠しかけたりすればそりゃ先に越されるでしょうね」
結局ガス欠も、辛うじて給油が間に合ったのでなんとか事なきを得たが、近くにガソリンスタンドが無かったらどうなっていたことやら。もっと時間がかかってしまっていたのは間違いないだろう。渋滞もそうだが、トラブルの連続だ。先があまりにも思いやられる。
呆れ口調の霙。それに間に受けたのか、三河は淡々と「
「そうね、安全運転お疲れ様でした」
さらっと流すような口ぶりで音の鳴らない拍手を送る霙。『もうこんな事態は慣れっこ』だと、彼女の顔にはそう書いてあった。
このままでは桜と絆を確保できないかもしれないという状況に差し迫っているのは、霙も分かっている。
側から見れば随分とのんびりしていると思われるだろう。だが、ここはあくまで自分の
変に焦ったところで、何も変わらない……どころか、状況が悪化してしまうということは、残念ながら呑気な発言をする先輩から教わったものだ。
これも慣れた状況だ。過去に何度も何度も出くわしている。ここはしっかりと現場を見極めて次の行動を考えるのが重要だ。
ゴールを見落としてはいけない。霙は先輩からの教えを心に留めながらその場でかがみ込んだ。
そして、路面で倒れたエイトに視線を合わせる。
血はすでに黒く固まっているが、やられてからそこまで時間は経っていないだろうと推測する。腹と見える箇所はタイヤ痕のようなもので潰されており、何者かによって
「こちらも、随分と派手にやったわね」
巻き添えを食らったのか、側で散るようにエイトが倒れている。かなりのスピードで突っ込んだものであろう。
ロードキルなんて豪快なこと、自分達ですらあまりやらないのに、思い切ったものだと感心してしまう。原始的であるが、この
なんとなく状況を理解した霙は再び立ち上がって、左右を見渡した。
その後、傍で空を眺めていた三河へ「先輩」と呼びかけながらちょいと手招きをする。
「うーん、とりあえず中でも探ってみましょうか」
「そうだな」
急いで追いかけるよりも、ここは一旦
霙が歩き出すと、三河も後に続いてゆく。
木造屋の壁には、大きな穴が開かれていた。お陰様でわざわざ玄関から入る必要は無く、手間も省けるが……
「なんだか、泥棒みたいね」
正規ルート以外で家屋へ侵入する度に思う。どうにも慣れないと。以前までは口にするたび後ろの男から「育ちがいいんだな」とフォローされたことが多かったが、それも最近無くなってしまった。
試しに電気をつけようとしたが、つくことはなかった。これだけ壊されているのだ、拍子に配線までやられてしまったのであろう。
だが、時間も丁度日が昇る頃だ。程よく明るいので懐中電灯も必要なさそうである。
「これはまた、やってくれたわね」
家内はとても荒れていた。家財や食器といったものは無惨に散乱しており、分厚いテーブルは真っ二つになっていた。あれだけ、新しく調達したものであろうか、4cm程の厚さなのに、容赦なく2つに割られていた。こうして酷い光景を見れば見るほどに、
「それにしても……随分と寂しい家ね」
天井を見上げながら、霙が思わず口にしてしまった。確かに霙のいう通り、女性2人が暮らしていたとは思えないほど、随分と質素な家だ。時計、椅子、テレビ、そして冷蔵庫……その他散らばった家財から読み取ってみて分かる、生活に必要な最低限のものしか揃っていない。なんとも華のない部屋だ。ぬいぐるみ一つも見当たらないのだ。
同じ女性である霙だからこそ、思ってしまう。本当に女性の家なのかと。それぐらい、その日暮らしのような生活が続いていたのであろう。
部屋模様に関しては経済的余裕が無いとして分かるが、現実問題この薄い壁で造られた古家だ。
まして、桜と絆は軍人である霙とは異なり一般の子供だ。かなりの苦労を強いられたのであろう。それを思うと
それはさて置いて、部屋に入っても人の気配を感じない。桜と絆の二人が、この家の中の何処かに隠れているわけでもなさそうである。既に二人は殺された……? なんて可能性も当然考えられるが、何故だか霙の中ではその推察だけは『絶対にない』と断言できた。根拠のない自信だろうが、その可能性までいちいち考えていたら仕事にならない。
「誰もいなさそうね」
「そのようだな」
だとすれば、二人は
そうだとしたら、一体誰がという話にもなってくる。北城村の住民であれば良いが、自分達のように目的を持った同じ
とは言ってもだ、桜と絆がそう易々と怪しい人間について行くとも到底思えないが…… 一体何が起きたのか、考えれば考える程複雑になり、霙はため息を吐いてしまった。
霙は一旦、思考を止めて探索に専念することにした。しかしながら、すぐにある物が霙の目に留まった。
「──ちょっと待って、これ、どういうことかしら?」
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