千切れた絆2

「売木絆を殺せ」



 目元にしわを浮かべながら、男は吐き出すようにその言葉を言い切った。


 売木夏希に対して下した『売木絆』の抹殺命令を。

 

 



 やや重苦しい沈黙が続いたが、それを最初に打ち破ったのは夏希であった。


「それが…… お前からの願い・・か?」


 全く表情を崩さず、淡々と述べる。自分の妹を殺せと言われたのにも関わらず、夏希は『だからどうした』と言わんばかりの調子で口を開いた。

 

 誰がどうということは関係ない。余分な前置きもいらない。自分が何をすればいいのか、彼女が知るべき情報はそれのみ・・で十分であった。受けた任務ミッションを確認するべく、夏希は男と顔を見合わせた。


「そうだ」と首肯する。「『売木絆』を殺すんだ。お前の手によって」

 

 野望に満ちた視線を浴びせようとも、夏希から次なる言葉は返ってこなかった。押し黙る夏希に何かを察したのか「気持ちは分かる」と半歩ほど引き下がった。


「躊躇する気持ちがあるのは分かる。血は繋がっていないとはいえど、かつては同じ屋根の下で暮らした家族・・なのだからな。だけど、夏希、これは君にしかできないことなのだよ」


 言葉をかけても、何も反応しない夏希。つまらなく感じたのか、挑発じみた調子で「もしかして……」と更に切り出した。


「今更、君が人を殺すことに対して戸惑うなんてことはないだろう。軍人であった……『皇女を殺した』君が今になって……」


 発してすぐ、少し挑発しすぎたと男は後悔した。しかしながら、夏希を動かすにはここまで言い切る必要があると男は知っていた。だから、男は過剰なまでに彼女の心情を煽ろうと試みた。


 見据えられた夏希の眼差しが、男を捉えて離さない。その目は何を訴えているのか、男にも理解し得なかった。


 男がフォローを入れようと、再び口を開こうとしたが──


「絆を殺せばいいんだな」


 女の言葉によって遮られた。


「あ、あぁ……」


 夏希の出た言葉……あまりの物分かりの良さに、男は逆に驚いてしまう。逆上するまではいかなくても、少しは小言を受けることを覚悟していたが、ここまで従順とは思わなかった。


「随分と楽な仕事だな」


『たかだか小娘一人、殺せないのか』、夏希は思わずとも、男にはそう聞こえて仕方がなかった。男は分が悪そうに喉を鳴らす。


「分かっているだろう。それは君の手で殺さないと意味がない。売木夏希の手で殺さないと成り立たないのだ」


 想定していない反応をされたのか、男は早口で捲し立てた。


「別に、あの娘を殺すなんてたわいも無い事…… 軍の人間を使ってしまえば、すぐにできることだ。だが、これじゃ君が報われない。『妹を守ってでも皇女を殺した』君が報われないんだ。この意味が分かるか?」


「──そうだ、君が絆を殺さないと、桜を守れない。他ではない、君がやらねばな」


 徐々に男の言葉に力が入る。


「そんな、家族が見たら驚くほど惨めな姿になっても、国民から暴言を吐かれてでも、妹達から恨みをかってでも、守ろうとした妹なんだろう? だから私はあえて君にお願いするんだ」


「……お前には関係の無い話だろう。戯言ざれごとが多すぎる」

 

 静止するようにして、夏希は口を挟んだ。言葉を遮られた男は、一呼吸置くようにして肩をすくめる。


「あぁ、もっともだ。綺麗事ばかり言っても仕方ないな……。君があまりにも興味を示さないものだから、つい一方的に話してしまった。そこは詫びよう」


 男は口元に手を添えながら「綺麗事でなく、ここは正直に話せばな」と独り言のようにつぶやいた。夏希が何も求めていないのにも関わらず一人勝手に話を進める。


「──君は興味ないかもしれないが、もう少し中年の話に付き合ってくれ。話し相手があまりいなくて寂しい思いをしているからな。も皆成人になったっきりあまり相手してくれない」 


 と前置きを据え、間髪入れずに話し始めた。


「……先日、皇女の墓が何者かによって荒らされてしまった。君が殺した皇女のお墓がね。かなり大御所のようで── おっと、ここはあまり関係のない話だったな、少し飛ばそう。せっかちな君のためにね」


「──その墓荒らしによって皇女の遺骨が盗まれてしまったんだよ。これもまた、嘆かわしいことだ。一応、公では盗まれていないことになっているが……問題はこの墓荒らし集団だ」


 ほんの少しだけ、夏希の呼吸が止まった。


「──この墓荒らし集団……結構な数の上かなり攻撃的なのだ、聞くところによると、全国各地に現れては無差別に人を殺そうとするらしいのだよ。危ないことだ、君の妹も無事か心配だな」


「その話が何と関係がある」

 

 男は両手を腰後ろで組んだ。息を吸う音が聞こえる。強い目つきで夏希を睨んだ。


「──売木絆の存在について詳しい君なら、十分察しがつくだろう」


「──っ!」


 詰めるような男の言葉を前に、夏希は静かに目を伏せた。


「始まってしまったのだよ目覚め・・・が」


「──だから、『売木絆』を何が何でも殺さないといけなくなってしまった。残念な事だろう、だが仕方がない事なのだ。桜に託された時から、彼女はそうなる運命だったのだよ。あれ・・を生かしてはおけない。人々の平穏を取り戻すため……いや、国の存続のために、彼女の息の根を止めないといけない」

 

 男は「ふぅ」と肩を落とし、「つまり、そういうことだ。君の家庭問題で済む話では到底無くなってしまったのだ」と愚痴のように溢した。


「あんな罪深いもの、だからあの時処分・・しておけばよかったのだ。だというのに……あぁ、すまない、少々話過ぎたな。そうだ、聞いての通りだ……」


「──だが、こっちの方はもっと君にとって関係の無い話だろう。『国の存続』なんて、特にそうではないか? いや……私にとっても、こんな小さな・・・話よりも『悪夢にうなされる少女』の方が気がかりだ。君もそうだろう?」


 問われた夏希は、夏希は全てを理解したかのように、俯いた。


「……随分と私を買うな」


「当然だとも。私情を挟んで申し訳ないが、私は君のファン・・・だからな。こんな中年に言われても嬉しく無いだろうが、君の実力は熟知しているつもりだ。だから、君は全てを遂行できる人間であると、私は信じてやまない」


「──だからこれは、私から、ファンとしてのプレゼントだ。私はもう一度、君にチャンスを与えているんだ。売木桜を守る最後のチャンスを」


 そう言い、男は声の音量ボリュームを下げ、夏希へ囁いた。


「──いいか、夏希。桜にとっては呪いだ。売木桜に一生涯取りく呪縛のような存在だ。あんな呪い……斬ってしまえばいいんだ。己の手で、そうすることで初めて、桜は解放される」


「──確かに、大事な妹は悲しみに暮れるかもしれない。守るべきものを失ったと絶望するかもしれない。でも、洗脳は解かれ、誤った道を進むことは無くなるだろう。のような、呪われた運命とは別の……」


「──もし、仮に失敗したら…… 分かるな。必ずは死ぬ。君が死ぬよりも先に、間違いなく。だから君しかいない。君の大事な、大事な妹を……『売木桜』を守ることが出来るのは」


「──助けてやってくれ」


 話を終えると、男は夏希と数歩ほど距離を置く。そして暫くは、夏希の言葉を待っているのか口を閉じたままであった。


 重い沈黙が大部屋にのしかかる。ややあって、夏希がゆっくりと口を開いた。





「あぁ…… 分かった。私が必ず絆を殺す」


 


 表情は何一つ変わらなかったが、その声は確かな自信を感じるものであった。あの頃の……何を任せても完璧にこなした夏希を思い出し、男は「頼んだぞ」と思わず声を震わせてしまった。


 


「──その前に夏希。もう一つお願いがある。聞いてくれるな…… 何、大したことじゃない、仕事前のウォーミングアップと思ってくれればいい」

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