千切れた絆

 そこは、空調がきいていたのか、部屋の空気は妙に暖かく快適な湿度を保った大部屋であった。


 同じ収容施設内にあるはずなのに、全くそうとは思えないほど居心地が良い広い部屋。先程みたいに壁はコンクリートで覆われていなかった。しっかりと焦茶色をした木の板が敷き詰められている。そんな自然味溢れる内壁であるが、そこには畳ほどの大きさをした絵画が掛けられており、手前にある机の側には赤い花瓶かびんとそれに植えられた造花、見る限りでは明らかに死刑囚を招き入れる部屋ではないだろう。


 そこへ、正装姿の男5人と、場所に不似合いなみずぼらしい死刑囚1人が横並びになり、入室してきた。

 

 死刑囚の両手には手錠、その上は白布で固定されており、身動きできない状態だ。しかしながら、特段暴れる様子もなくここまで従順に来たようである。


 最後に入室した男が静かに扉を閉め、それを合図と捉えたのか、女にかぶされていた麻布が取り上げられた。


 だらりと長い黒髪が床に向かってただれ落ちる。


 その様子を、椅子イスに腰掛けながら伺っていた男が目を丸くして、ほくそ笑んだ。


「久しぶりだな、売木夏希なつき


 久々に会えて嬉しい…… そんな気持ちすらも汲み取れるかのような声色トーン。普段から人前で指示をすることが多いのか、若干しゃがれながらもはっきりと伝わる低い声であった。

 

 呼ばれた夏希は、眩しい顔一つ見せず、無表情で前を向いたまま。視線の先には深い藍色をしたスーツをした中年の男が椅子に座り、顔前で手を組み口角を上げていた。


 50代半ばであろうか、白髪混じりの頭髪は整髪剤によって綺麗に整えられており、年相応に貫禄がある。口髭を蓄えているものの、よく似合っており清潔感も十分感じられた。軍人なだけに、ガッチリとした体型をしており、腹周りも同世代と異なり引き締まっている。それだけで、十分すぎる雰囲気を醸し出しているが……


 見るからに周辺まわりの男達とは生地が違う、滑らかな生地をしたスラックスを履いていた。しっかりとアイロンがかけられており、生地から見ても他の男達よりも、上の位置に在する人間だと読み取れる。爪先まで手入れがなされており、全容を見るに身だしなみには気を抜かない男であると伺えた。


 そんな男が、夏希の顔まで視線をあげるや否や「疲れた顔をしているな、まぁ、仕方ないことか」と小声で溢し、目を向ける。


「少し、痩せたか? 部屋の居心地があまり良くなかったみたいだな」


 アイスブレイクのつもりだろうか、男はその場で手を広げて見せるが、夏希は沈黙を保ち続けていた。


『少し……?』後ろで聞いていたサングラスの男がその表現に違和感を覚えてしまう。今、目の前にいる人間が本当にあの売木夏希なのか…… と、心の中で疑問を呈してしまった。


 かつて、美しかった漆黒の黒髪。それも今となっては浮浪者のように杜撰ずさんな状態であり、所々白髪が混じっていた。絹のように滑らかであった肌も、まるで砂漠のように荒く、頬もこけている。


 あの正義感が感じられるほど、生き生きとした瞳も、魂が抜けたかのように虚空を眺めており、焦点が合っていない。目の下には黒いクマができており、3年の間に10歳以上も年齢を重ねてしまったのかと思わせてしまう程の変貌ぶりであった。


 3年間、死の淵に立たされ続けたストレスが恐らく彼女をそうさせたのであろう。


 一体誰が、目の前の女を売木夏希と信じることができるのだろうか。


 あまりの豹変に、かつての夏希の面影はすっかり無くなってしまい、全くの別人と化していた。


随分・・やつれたの間違いじゃないのか……?』背後の男はそう思うが、相手は上司な故か、変に口を挟むことはしなかった。怪訝な顔つきで、前方で座る男の様子を伺う。

 

 椅子に座る男は空気を読んだのか「まぁいい」と口にして、夏希の後ろに佇む男達へと目を配らせた。


「すまないが君たちは少し…… 下がってくれないか?」


 命令を受けた男達は、「はい」と背筋を伸ばし、粛々と部屋を後にした。走るなんて無作法なことはしない、一人づつ音を立てず、順番に退出する。去り際の一礼も忘れてはいなかった。


 最後の一人が退出し終えたことを目視で確認すれば、男は『パンッ』と一本締めのように手を鳴らした。


「さてと、これで2人きりで話ができる。あんな人数で睨まれては緊張してしまうのでね。君も話しにくいだろう」


 先程まで重たかった声色が若干軽くなっていた。とはいえ、年相応に砕けすぎない口ぶりは維持している。相手が死刑囚とはいっても、それなりの礼儀で対応する様子であった。


「それに……あまり聞かれたくない話だからな」


 夏希は直立したまま、動かない。瞬きだけが男の目から見える唯一の動き・・であった。動かぬ夏希の表情で何かを読み取ったのか分からないが、男は木でできた椅子の背もたれに身を預け


死刑ころされると思ったか?」とあごをしゃくりあげた。


「本来なら…… そうしたいところだが、生憎今日じゃない。国にとっては残念だが、君にとっては嬉しい一報だろう。安心してくれたまえ、今日は君の執行日じゃない。それだけは断言しよう」


 安心・・させるつもりがあるのか知らないが、男は手を前に広げてゆっくりと上下に揺らした。

 

 夏希の右眉がぴくりと動く。ほんの僅かな動きだが、それに手応えを感じたのか、男は「3年ぶりか?」と呟きながら大袈裟に手を広げた。


「どうだ? 外の空気を吸うのは。久しぶりだろう。世間はあれから、君のせいで大騒ぎだ。3年経った今でも尚……面倒ごとが絶えなくて……色々助かっている・・・・・・・・


 夏希は右目をすぼめ、熱弁する男に対して軽蔑するかのような視線を送っていた。


「売木夏希、会いたかった。できればここで握手をしたいところだが……」


 言葉を詰まらせながら、男は夏希の顔から手元までゆっくりと視線を下げてゆく。不自由にされた両手を伺い、男は「その手じゃ無理そうだな」とそっと声を落とした。

 


「……どういう……つもりだ」


 

 小さな声であったが、確かに男の耳まで届いた。風邪で喉をやられたかのようなかすり声……夏希の肉声が男の鼓膜を響かせる。


『ようやく喋ったな』、そう言いたげに男は満足そうな顔を浮かべた。「そう気を揉むな」という夏希への言葉を添えながら。


「順を追って話す。それに時間もたっぷりあるからな。焦って本質を見落としてしまうのは愚の骨頂こっちょうであると『皇軍おうぐん』で習わなかったのか?」


 講師のような淡々とした口調でそう言うと、男は「さて……」と切り出しながら椅子から立ち上がった。 


「君を呼んだのは私からあるお願い・・・を受けて欲しいからだ」


 机から離れ、夏希の前まで歩み寄る。夏希の身体よりも一回り大きい、彼もまた180cm程の体格。腕周りの太さを見るに、かなりの筋肉質と伺える。

 現場から離れているとはいえ、彼もまた皇軍に所属しているのだ。やろうと思えば超人的な動きだってできる力を持っている。


「とはいっても、今の君には拒否権なんてない。それは自分でもわかっているだろう。君は本来生きてはいけない存在だ『死刑囚』だからな」


 視線を落とせば、両手に巻かれた手錠と白い布が目に入る。自分の立場を考えれば、拒否したところでこれ以上失うものなんてない。死ぬことなんて、既に確定しているのだ。


 だが、そんな立場である夏希に対してあえて『お願い』という表現を彼は用いた。死刑囚である夏希を引っ張り出してでも、成し遂げたいことがあるのだろう。


「……なんだ」


 目の前に佇む男。それを追い払うかのように、夏希が吐き捨てる。意図が伝わったのか、男は夏希の元から離れ「そう、お願いだ。聞いてくれるな」と続けながら奥の絵画に向かって歩き始めた。まるで牛歩のような足取りで、ゆっくりと。


「私は、ある『悲しいニュース』を聞いて、とても嘆いている」


 夏希へ背中を見せながら、そう語る。『嘆いている』と。



「とある少女の話だ。とても純粋で、正義感が強く、人にあまり弱みを見たがらない少女がいた」 

 

「──だが、そんな少女はある事件をきっかけにして、もう一人の妹・・・・・・とともに極寒の地へ引っ越すことを余儀なくされてしまった。お陰様で家族と離れ離れになり、大好きな姉達とも、もう二度と会えないのではないかと……そんな寂しい思いをしながら、もう一人の妹・・・・・・と健気に暮らしているそうだ」


 まるで、おとぎ話を朗読するかのように、わざとらしい抑揚をつけながら男は語り続ける。夏希は『誰の事だ』とあえて言及せず、静聴していた。


「──同情したくなるだろう・・・・・・・・・・? だけど、『悲しいニュース』はここではない。最も嘆かわしいことが他にあるのだよ。その少女に降りかかる、悲しい出来事が」


 男の足が絵画の前でピタリと止まる。そして、顔を上げ右から左へ舐めるようにして絵画を眺めた。


 誰がえがいたのか不明であるが、畳ほどの大きさの油絵……相当高額なことが伺える代物だ。

 

 その絵には、緑を基調とした壮大な山景色が壁一面に広がっていた。四方八方に広がる尾根を構えた雄大な油絵。下には印字された銀色の金属板に


『名山【八方山】』と標題がなされていた。


 顔を右へ傾け、男は傍目で夏希を一瞥して口を開く。


「──その子は夜な夜な悪夢にうなされてるらしいのだ。かわいそうなことに」


 

「夢……」


 夏希が両眉をひそめた。とても小さな掠れ声であったが、男が「そうだ」ときびすを返すあたり彼の耳まで届いてしまったのであろう。


「『絆を頼んだぞ』と…… 」


 一瞬、夏希の目が見開かれた。


「──故も知らぬ男から、血の繋がらない妹・・・・・・・・の面倒を頼まれる夢だ」


 男はくるりと向きを変え、遠目で夏希を見据える。「恐ろしい悪夢だ」と厳かな口ぶりで更に続けた。


「毎日、毎日夢をみてしまうものだから、その少女はすっかり洗脳・・されてしまった。『絆を守る』ようにと。洗脳された少女は、自分の人生の全てを犠牲にしてでも、血の繋がらない妹を守ろうと必死になっている。必死になるが故であろうか、血の繋がらない妹が頭から離れず、その少女は毎日悩み疲れてしまっているのだ。そして時として命をすら投げ出すこともいとわなくなるくらいに……」


 男の口は止まらない。


「嘆かわしいことだ。純粋な少女なだけに、簡単に染められて・・・・・しまった。永遠に果たせぬ使命だというのに押し付けられ、少女は身を滅ぼそうとしている。夢に踊らされ、少女は自分自身を失おうとしてしまっている。惨めな話だが……救えないこともない」


 八方山が描かれた絵画の前で、男は不敵な笑みを浮かべた。


「助けてやってくれ、夏希」


 だが、確かな信頼を託すような口調だ。言い慣れているのであろう、表情と言葉の感情が全く一致していなかった。

 言葉を受けても尚、夏希は無言のまま、返事をしない。ただ、風もないのに、夏希の黒髪が少しだけなびいた。



「自分しかいない、今そう思っただろう」


「黙れ」


 静かに男を威圧する。噛み付くようなレスポンスの早さ、出会って初めて、夏希が感情を表に出した瞬間であった。

 それでも男は襟元を摘みながら「そうだ、それでいい」と夏希に対して期待するような口ぶりを見せた。


「その悪夢から少女を解放することが出来る人間、それはどう考えてもお前しかいない。売木夏希、お前にしかそれは成し遂げられないはずだ」


 そう述べながら、男は絵画から離れ、元いた机の右側から回り込むようにして再び夏希の元へ歩み寄る。


「夏希、少女の洗脳を解いてくれ。そして二度と悪夢を見ぬよう、全てを断ち切ってくれ」


「……で、私はどうすればいい」


 詰め寄ろうとする男へ低く、冷徹に夏希は言い放った。予想外の反応をされたのか、男は「ん?」と戸惑うような声を漏らしながら首を傾げる。


「お前の願いを聞いた私は、結局どうすればいい」


 低い声色で再び投げかける。男の演説に鬱陶しいと感じたのか、いつまでも本題に入らない事にとうとう嫌気が刺したのかは不明であるが、夏希がここに来て願い・・に興味を示し始めたのは事実であろう。


 受けた男は驚いたような表情を作りながら「簡単なことだ」と右手を前に差し出し、さらっと息を吐くようにこう述べた。


「その諸悪の根源を抹殺すればいいだけだ。そうすれば、少女は救われる。お前の手によって殺せば、必ずその少女は解き放たれる」


 含み笑い。男の企むような顔が、我慢できずに表に出てしまった。興奮を抑えようと必死になっているのが見て分かる。側から見ても怪しい表情、だが男は構わず続けた。


「そうだ…… 売木夏希……」


 




「『売木絆を殺せ』」

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