第3章 〜欠けた歯車〜

篇首:陽の当たらない部屋

 その場所は、何があろうと日の光は一切入らないようになっている。


 東京都の某所の地下深く。重罪を犯し『死刑』を宣告された人間のみが死を待つ部屋、それがいくつかも存在する場所がある。殺されるために生かされる、例えればそんな場所なのかも知れない。


 通称『特別収容所』、そこに収容された人間は、門を潜ってから死ぬまで一度も空を見ることは叶わないという。そこに収用された人の数多くが「空を見ることができない」ことに強い苦言を呈したほど、日のが恋しくなる場所のようだ。


 当然ながら、一般の人は立ち入りが禁止されている。軍人であっても、本軍の人間ですらも踏み込むことが許されない。皇軍おうぐんの中である程度の地位につく人間、或いは『死刑囚』のみが立ち入ることが許されるいわば『禁域』のような所であった。そんな特別な場所であるが故か、興味深い人間からは「内部はどうなっているのか気になる」との声を受けることも少なくない。無論、公にも公開されないため、その内装を知る人間もごく僅かだ。


 特別収容所の廊下は、意外にも綺麗に清掃されていた。黒色の大理石で敷き詰められた床は、艶やかなを帯びており、白い蛍光灯のあかりが写り込むほどしっかりと磨かれていた。


 両脇には丈夫なコンクリートで造られた壁がある。何も掛けられていない、灰色の壁が一面廊下に沿って広がっていた。中にいる囚人がどう暴れようとも、抜け出せないように頑丈な造りになっており、とある死刑囚からは「やりすぎだ」との皮肉を受けたそうだ。


 そんな細い廊下であるが、定刻になると、ある音・・・が響き渡ることになっている。まるで時報のように、ある時間になると必ず音が成り立つ。だが、その音は囚人たちを震え上がらせる『恐怖の音』でもあると言われていた。


 コツ、コツ、コツ……と


 石畳の廊下を踏み込む、無機質な足音。上質な牛革で出来た革靴だ。耳を澄ますだけでも、皇軍の軍人は高級取りが多いことが伺えると、ある死刑囚は語っていた。

 毎日聞いている囚人は、日を追うごとに、足音だけでどのような素材で作られた靴なのか分かってくるそうだ。


 

 午前9時、監視官が定例の巡回を行う時間である。


 この時ばかりは「生きた心地がしなかった」と死に際に、とある囚人から吐き捨てられた。それほど、この靴音が死刑囚の背筋を凍り付かせるものであった。


 そう、この監視官は部屋の前で足を止めた時…… それが最後・・なのだ。


 監視官が足を止めた部屋の人間が、初めて「今日死ぬことを知る」。扉を開けられ『死刑執行』の一報を受け、そのまま執行所まで連行されるとのことだ。それから20分もしないうちに。この世から去る運命を辿る。


 だから、この場所にとって午前9時はまさに地獄のような時間であった。


 音を聞くだけで、身の毛がよだつような気分にさいなまれ、自分の部屋を過ぎ去れば、それだけで「ほっ」と肩を撫で下ろす。そんな緊迫した時間が毎日永遠と繰り返されるのだ。毎日毎日、休みなく……


 だが、今日の足音は異様であった。


 コツ、コツ、コツと打ち鳴らす靴音はいつものと変わらないが、そのが明らかに異なっていた。


 普段なら、1人、多くて2人の足音のはず。しかしながら、今日は5人ほどはいるであろう足音が、冷たい廊下で木霊こだましている。足並みは揃っていないのか、その調べはかなりまばらであった。


 

 硬い大理石の廊下の上には5人の男。黒いスーツを身に纏い、どれも屈強な体つきをしていた。身長は平均して180cm程であろうか、大柄な男達である。年齢層も幅広く、20代後半から50代前半までと思われる。それぞれ同じような短くさっぱりした髪型に、目にはサングラスだが、右腕には青色のさぎのエンブレムを付けており、彼らもまた皇軍の人間であると伺えた。


 そんな男達が一人を中心にして、矢印のような形で横並びになり、静かな廊下を黙々と歩き進めていた。

 

 誰一人として、言葉を交わさない。だが、全員前を向いており、それぞれ同じ目的があって揃っている人達であると考えられる。


 200mほどある長い長い廊下。その最奥にある赤色をした扉の前で男達は歩みを止める。重い扉には『220番』と掲げられていた。


 通称『赤い部屋』、この国で最も重たい罪を犯した人間のみが収容される、特別中の特別な部屋だ。ただの『殺人』程度ではここにれられない。過去に放り込まれた死刑囚の数も、長い歴史の中でごく僅かであった。ここに入った人間は罪を犯した人間なのにも関わらず、歴史に名を残すような犯罪者ばかりだ。いわば、国にとっての『一番の厄介者・・・』が留置されている。


「──ここで間違いないな」


 番号札まで目線を上げながら、一人の男がそう呟き、右の男と目を合わせた。サングラス越しのアイコンタクトを受けた右の男もまた首肯し「間違いない」と口にする。


「まさか、俺たちが爆弾処理・・・・を頼まれるなんてな」


 左の男が物珍しそうに番号札を見やれば、中心の男からひじつつかれた。

 

「今は口を慎んでおけ。土産話・・・なら後でいくらでも聞いてやる」


 左側にいる男が一つ咳払いをして、気を引き締める意味があるのかえり元を正す仕草を見せた。


 その後、中心にいた男が静かに息を吐き、右ポケットから鍵を出す。鍵ホルダーには力強い筆圧で『要騎士決裁』書かれた札が添えられており、どうやら鍵を使うだけでも『騎士ナイト』からの承諾が必要であったもののようだ。今となっては騎士も不在であるため、それも過去の名残であるが。


 そんな鍵をいくつかある鍵穴に差し込んで、一つ一つ丁寧に開錠を行う。その様子を後ろの4人が怪訝な顔つきで眺めていた。


 カンッ……といった、金属音が廊下を走る。


「いいか、入るぞ……」


 全ての鍵を開錠し終えると、中心にいた男は緊迫した顔つきで後ろの4人へと目を配らせる。察した男達は同時に頷き中心の男へ合図を返した。それぞれ役割が分担されているのか、後ろにいる一人の男は口元を結んだ顔つきで黄色の麻布を手にしていた。


 鍵を開けた中心の男が、大きく息を吸い込み…… ドアノブに手を掛ける。

 

 そして、力強く押して扉を開こうとする。かなり金具が錆びついているのか、ギギギ……っと耳障りな異音が発せられるが、かまわずサングラスの男は扉を開き、そして一歩中へと歩みを進めた。


 後ろの男達もそれに倣い、後に続く。


 

 何もない、質素な部屋だ。中にあるのは生活に最低限必要な器具のみが揃っており、部屋を囲うのは灰色をしたコンクリートの壁。耐火性は高いが、防火を狙って作られた部屋ではないだろう。見渡すだけでも息が詰まってくるほど、窮屈に感じられる。


 『赤い部屋』と呼ばれているが、ただ扉が赤いだけであったと、左側の男はそう思考する。


 そんな何もない部屋の奥で壁によりかかるようにして座り込み、こちらに目を向けている人影があった。上下灰色の囚人服を着ている女性であるが、精気が感じられない。ただただ力無く壁にもたれかかり、時を過ごしている廃人のようであった。


 鋭い目つきで様子を伺っているが、何もしてこない。それどころか、全く動かずにいるため、本当に生きている人間かどうか一瞬分からなかった。


 人影を確認した男は、一歩前へ踏み出し女性を見下ろす。


「──時間だ」


 人によっては言葉を受けて発狂する囚人もいるという。我を失って暴れ回ることもあり、監視官に抑えられて部屋を出るケースも少なくない。


 だが、この女は違った。驚くこともなく、騒ぐこともない。ただ微動だにせず、そのまま沈黙を貫く。彼女が発する静かな呼吸音のみが、男の耳まで届いていた。


 身体と顔は一切動かない。黒い瞳だけがゆっくりと上まで持ち上がり、それで初めて「聞こえている」ものであると男は認識した。


「立て」


 続く男の言葉に、死刑囚はよろよろと立ち上がり、睨むようにして男の目線と合わせる。立ち上がって分かる、女性にしては大柄な身体つきだ。恐らく身長は170cmほどであろう。

 

 しかしながら、立ち上がった瞬間、男達によって彼女の頭は麻布に覆われた。両手には手錠が掛けられ、その上に白い布のようなものによって強固に巻かれる。素早い連携と手慣れた手付き、一瞬の出来事であった。


「来い」


 麻布に覆われ、前が見えないはずの女に男は冷徹にそう述べる。ほぼ同時に別の男に背中を押され、女はつたない足どりでふらふらと前へ進んだ。言葉を発することなく、俯きながら。


 そして、すぐに2人の男によって、銃口を突きつけられる。容赦する気はないのか、至近距離なのにも関わらず黒色の『短機関銃サブマシンガン』。「変な気を起こすなよ」と牽制のつもりか、そんな言葉を口にして女の肩を引っ張った。


 その後部屋を出て、廊下に入る。麻布で頭を覆われた長身の女性、それを5人で囲うようにして屈強な男達が立ち並び、歩き進める。


 銃を持つ男達が、仰々しく警戒をするが、全く抵抗を見せる様子はない。何も発さず素直に男たちに従い、彼女は自力で歩いていた。


 200mに渡る廊下、突き当たりを右に曲がったところにある部屋が死刑執行所だ。多くの死刑囚がここまで微かな希望を抱いているが、右に曲がることが分かった瞬間、絶望に追い込まれると言う。


 そして、今日も漏れなく……


 一番前を進んでいた男は…… に曲がった。


 少しだけ、女の足が止まる。


「動け」


 銃口で女の脇腹を殴り付けると、女は静かに動き始めた。

 左に曲がるとすぐにエレベーターが見え、男達は全員そこに乗ることに。無論、麻布を被った女も一緒だ。

 

 エレベーターは2階ほど上に進み『地下3階』で扉が開かれた。扉が開くとほぼ同時に、全員がエレベーターから降りて、更に奥へと進んでゆく。

 

 連れられた死刑囚は、終始無言であった。エレベーターの中でも、何も口にせず、結局部屋・・に至るまで、誰一人として彼女の声を耳にするものはいなかった。


「ここだ」


 全員の足が止まると、一番前にいる男が右手を掲げて扉をノックする。先程の収容室から打って変わって、漆加工が施された木材の扉。扉を叩けばコン、コンと心地の良い音が聞こえるあたり、かなり高級な材質だ。


「入れ」


 扉の向こうから返事が聞こえる。やや嗄れた声から察するに中年の男であろうか。それを受けたスーツ姿の男は「失礼します」と口にしながらドアノブを手にした。


「──連れてきました」

「そうか」


 全員が部屋の中に入り、横並び一列になる。最後の男が厳かに扉を閉めた……


 その瞬間、女の頭に被されていた麻布が勢いよく外される。


 バサリ……と黒色の髪が床に向かって這うように伸びた。まるで、吊るされた蛇のように。そして、あの独特な眼差しが、鋭く、矢を射るような視線が女から放たれた。


 女の顔を見つめ、ややあった後に男は懐かしむかのように「ふっ」と口角を持ち上げ、そしてこう述べる。


「久しぶりだな、売木夏希・・・・

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