幕間:奪われた皇女の遺志6


 まさか、こんな陵墓ところで剣を振るだなんて思いもよらなかった。


 円を描くようにして剣を下ろしながら、蜜柑は一呼吸置く。


 ローブの中に忍び込ませるかのように、蜜柑も武器・・を隠し持っていた。大した理由はない、強いて言えば「自衛・・のため」だろうか、秋香のことを悪く言えないと密かに思ってしまう自分がいた。


 片手に細身の剣……レイピアと言われるまでは細くないものの、綺麗な白銀色が特徴的な両刃の剣だ。

 以前からずっと使い続けている、刃渡り80センチメートルほどの蜜柑が愛用している武器であった。

 元々は両手で構えていたが、今ではこうして片手で構えることが多くなっている。もう片方の手を余らせて、のリスクをヘッジできるようにするために。


「一体、どれだけいるのよ…… キリがないわね」


 射抜くような眼差しを浮かべ、蜜柑はそう呟いた。斬っても斬っても湧き出て来るような錯覚を覚える。そんな中顔を上げれば、いつの間にか光に群がる羽虫のように自分が囲まれていることに気づいた。


 墓所にも、広場にも……


「──冗談じゃない」


 俯きながら、吐き捨てる。


 戦いながらも、蜜柑はあることを思い返していた。秋香が墓所から去る間際に口にした、彼女の言葉を……


『夜道には気をつけろよ』


 曲がりなりにも、『夜道に気をつける』ような立場でないのにも関わらず、秋香は蜜柑にそう言った。

 頭の中で何度も繰り返される。まるで、木霊のように何度も何度も……


「秋香の言っていたことって、こういうことだったの……?」


 頬についた血を拭いながら、邪推する。あの食えない女のいつもの戯言ざれごと、気にする必要なんてないとそう思っていた。


 けれど、この事象を目の当たりにしてしまえば、流石に聞き流せるようなものではなかった。あの女が仕向けたと疑うことだって十分可能だ。

 

 突然現れた未知なる生物。蜜柑もその存在を全く知らない。秋香と何の関係があるのか分からない。だが、理解する前にやることがあるだろう。


 疑念・・を残しながらも、蜜柑は広場で唖然あぜんとし身体を硬直させている光里まで駆け寄った。血染めのローブがひるがえる。


 そして光里の肩を叩いた。


「怪我はない!? 急いで逃げるわよ」

「う、うん……」



 化物を蹴散らしている間に、わずかな隙が生まれた。どさくさに紛れることができれば、なんとか逃げられるだろう。それに…… 戦っていて分かる。


 ──狙いは、じゃなさそうね。


 剣を振った中での確かな感触だ。明らかに狙いは自分ではなかった。それに、光里でもなさそうである。何が狙いかは予測できないが、突発的に現れて無差別に攻撃を行う敵なのであろう。そう判断し、蜜柑は敵に対して背を向けて走り出した。


 獲物がいなくなれば、猛獣も静かになる。そうであれば良いのだが。

 今は光里という子供もいるため、あまり無茶はできない。彼女の命を第一に考えて、逃げるべきと蜜柑は判断した。


 数歩ほど、足を進めた時であった。




 何かを打ち壊すような大きな物音が2人の背中を震わせた。


「何なのこの音!?」


 ハンマーで壁を壊すような、地鳴りのような音だ。そんな音が静かな公園中を轟かせ、蜜柑と光里は同時に振り返った。


「待って、静岡さん!! 皇女様のお墓が!!」


 光里が気づき、墓所に向かって指をさす。蜜柑の目にも、今何が起きているのかはっきりと目に映っていた。


「嘘っ……。そんな……」


 見開かれた目、その瞳孔が小刻みに震える。あの静岡蜜柑ですらも、絶句する程の光景が目の前に広がった。

 


 公園を木霊した轟音。それは、あの化物が皇女の墓石を破壊する音であったのだ。


 

 静かに佇む小さな墓石が……


 巨体によって、叩き壊される……


 爪によって、削られる……


 足によって、蹴り壊される……


 まるで、建物を解体するかのように土煙を上げながら、強い力によって墓石が跡形もなく破壊されてゆく。


「皇女様のお墓が、壊されてる!」

「まさか、狙いは……」


 ──狙いは…… もしかして……!


 考える前に蜜柑の身体は動いていた。土を蹴り上げ、光里から離れたかと思えば、圧倒的な速さで墓所まで迫る。


 まさか、いや、こんなことは……


 考えたくもない憶測。一瞬の間に蜜柑は思考を巡らせ、解答にぎ着く。


 ──狙いは、皇女様の……! どうして私は!!


 察して己を悔やむ。はじめから彼ら・・の動向を読めなかったことに。

 

 ここは皇女の墓所。そして大量の未知の敵……これをどうして不運な出来事と片付けてしまったのだろうか。

 

 道理で相手をしていて手応えが無かったわけだ。狙いはしっかりと決まっているのだから。


 気づいた頃には時すでに遅し、長方形の形をした墓石は瞬く間に変形して原型が無くなるほどになっていた。

 

 そして黒の影が墓石を打ち壊し、カロートへ手を入れ始めた。湿った汚らしい巨腕が、まさぐるようにして皇女の禁域へ踏み込んでいく。


 誰も踏み入れてはいけない神域が、あんな醜い化物の手によって、侵されている。


 その光景を目にして、蜜柑の中でぐっと感情が湧き上がる。


 ──それを、譲るわけにはいかないっ!



「やらせない!!」


 右手に持つ剣を振り上げて、蜜柑は柵を乗り越えた。鬼のような形相、犬歯を露わにしながらくだかれた墓跡ぼせきまで飛び込む。



 生前、彼女は静かに眠りたいと言ったのだ。その意向を蜜柑は知っていた。


 日々の業務に追われ、自分と向き合う時間が少なかったから。だからせめて、死ぬ時だけは静かに陰で眠りにつきたいと……あの時、若いながらも枯れたような表情を見せる皇女の顔は、今でも覚えている。


 一晩たりとも、安眠できる日が彼女にはなかったから。墓に納められる時だけは、ゆっくりとした時間を過ごしてきたいと。落ち着いてを見ていたいと……


 そんな、皇女の細やかな願いを、夢を…… 死した後も尚、踏みにじるというのかっ!!


 許されない、許すわけにはいかない、そんなこと…… 絶対・・にだ!


 激情に火が灯る。業火のように、蜜柑の中にあった感情が沸々と燃え滾らせた。

 

「──っ!?」

 

 墓石へ接近する道中、突然蜜柑の懐へ化物が入り込む。


 吸い付くように蜜柑に群がった化物が、蜜柑の喉元をかっ切ろうとしているのだ。蜜柑は咄嗟に足を止めてその一撃を躱し、そして剣を振り抜いた。まるでかまいたちのような音速の一撃、化物の腹はたちまち剣によって斬られ、血を噴出させていた。


 墓所へ迫ろうとする蜜柑をさえぎるかのように、複数の異形が蜜柑との距離を詰めてゆく。


「邪魔よ! どきなさい!」


 脚を止められてしまい、蜜柑は感情を露わにした。普段は表に見せない蜜柑の感情。顔を赤くし、目を血走らせながら、鋭く睨みつける。ただ、向こうには聞こえていないのか、凶音とともに、蜜柑に向かって群がって来た。


 傍目で墓所を見やると、カロートの中に腕を突っ込んでいた化物が、勢いよく腕を引っこ抜く姿が視界に入った。しかしながら無理に引っ張ったのか、その衝撃で墓石は跡形もなく崩れ落ち、ただの残骸と化してしまった。


 腕には小さなつぼのようなものが、抱えられていた。その側では表情は分からないが、蜜柑にとっては嘲笑っているようにも見える化物の不快な顔が、添えられている。



「あれは……」


 皇女の遺骨だ。皇女の遺骨が、異形の手に持たれているのだ。 


 そうだ、狙いは皇女の遺骨だ。あの化物はあれを略奪うばうために、ここまで来たのだ。


 自身が、生涯かけて守ろうとした皇女の遺骨が……今まさに、略奪うばわれようとしているのだ。


 『皇軍騎士ナイト』の目の前で…… 見ているそばで……


 略奪うばわれる……!!



 ──だとしたら……



 剣が強い力で握られる。何が目的で奪うかなんて知り得ない。

 だが、それを静岡蜜柑の目前でされたのであれば、やることなんてただ一つだ。今が騎士ナイトであろうとそうでなかろうと関係ない。


 何が何でも取り返す。


 自分が皇女の側に居続けた人間、『静岡蜜柑』であるなら……あのような事、絶対に──




「きゃあ!!」


 広場の方から目が覚めるような悲鳴が、蜜柑の鼓膜をつんざいた。それは、激情に呑まれそうな蜜柑を、冷静クールダウンさせるものでもあった。


 ざっときびすを返し、勢いよく声の元へと振り向けば、つまづき、倒れ込んでいる光里の姿が視界に入る。蜜柑がいない間、なんとか逃げ回っていた光里であるが、足に合わない古い靴が不運を招いたのか、光里は白いワンピースを土だらけにしながら転倒してしまったのだ。


 皇女の墓所に気を取られ、光里からずっと離れてしまっていたが……


 そうだ、今は光里も……!


「光里!!」


 手を伸ばし、蜜柑は光里まで駆け寄ろうとするも──


「ダメ!!」


 四つん這いになりながら、光里は顔を上げた。否定する言葉を強く言い放ち、蜜柑に目を向ける。


「皇女様を守って!! 皇女様が奪われちゃう!! 静岡さん、わたしじゃなくて皇女様を!」


 光里の言葉を受け「はっ」となり墓石があった方へ見やれば、骨壷を手中に収めた化物が、残骸と化した墓石を離れるようにして背を向けていた。


 今飛び込めば、なんとか間に合うはずだ。身を投げ出すように、前に進めば、皇女の骨壷を救えるのかも知れない。


 だが、光里の背後にもゆらゆらと影が忍び寄ってきていた。彼女にトドメを刺そうと、黒い化物が重い足取りで光里まで近づいて来る。

 

 それを分かっていたのか、光里はあえて強い口調で「早く!! 静岡さん!!」と声を振り絞っていた。


騎士ナイトである貴方なら、きっと皇女様を……!!」

「光里……」

 

 自分の立場をよく知っていた光里だからこそ、覚悟を決めたのであろう。そうだ、彼女の言う通り『騎士ナイト』は絶対守らないといけない。何があろうと、皇女を優先しないといけないのだ。


 例え、自分の前で子供が殺されようとも、それが皇女を守ることに繋がるのであれば躊躇なく見殺しにする。それが騎士ナイトに課せられた使命なのだ。


 そう……。


『もう、負けられない』




「光里…… ごめんね」


 その言葉は光里の耳に届いたのだろうか、光里はその場で蹲り頭を抱えた。あの大きな爪で身を斬られたらとてつもなく痛いだろう。どんなに防いだって耐えられないのなんて分かっている。だけど、光里は怖くて頭を抱えた。


 自分が決めた覚悟なのに、何故だが光里の目には涙が溢れていた。


 あの戦う人間が静岡蜜柑であるのであれば、やるべき行動はすでに決まっている。

 そんな蜜柑の行動を、自分が邪魔してはいけないのだ。どうせ、誰にも知られず終える命。大好きな皇女と静岡蜜柑のために死ねるのであれば……本望だ。


「これで…… いいんだ、わたしなんて……」


 蹲っていても、音だけで分かる。自分の身体を抉ろうと爪を振りかざしていることを。せめて、蜜柑の気を逸らさないために、声を出さずに死んでやろうと思う。自分ができる最後の抵抗として……


 あの静岡蜜柑を最後の最後、この目で見ることができただけでも、自分にとっては夢のような出来事であったと、死の淵ながらも光里の心は幸せで満たされていた。


 ──けれど、最後に……に会いたかったな……


 祈るように呟き、光里は異形の手によって切り裂かれる…… その時であった。





 聞き慣れた斬撃音が耳に入り、光里は一瞬身体を強張らせた。激痛を覚悟していたのに、一向にそれ・・が来ない。


 光里は違和感を感じて、恐る恐る見上げれば、側で剣の柄を持つ蜜柑の姿が視界いっぱいに広がった。


「──ど、どうして……!?」


 光里の口から困惑の声が漏れてしまう。


 理解ができなかった。どうして蜜柑がこちらへ来ているのか、どうして自分を守ってくれるのかを。あろうことか、蜜柑は皇女でなく光里を選択えらんだのだ。


「貴方を……見捨てておけないからよ」


 刺さった剣を蹴るようにして抜けば、柔らかな黒髪が宙に揺れる。戦う人間とは思えない程の綺麗な顔立ちが、光里の目線を釘付けにして離さなかった。


 しかしながら、蜜柑がここへ来てしまったということは、皇女の遺骨は……


「だけど、静岡さん──!」

「逃げるわよ、走れるかしら?」


 続く言葉を遮るようにして蜜柑が割り込み、そして手を差し出す。蜜柑の思いを受け取るようにして、光里は手に取り立ち上がった。


 その瞬間、2人の目にしっかり見えた。骨壷を抱え、颯爽さっそうと広場を去ってゆく化物の姿を。


 蜜柑は無言のまま光里の背中をそっと押し、2人はそのまま駆け出し、広場を後にする。


 目的を達したのか敵は追ってこなかった。


 


 ──────


 これにて幕間は終了です。次章より3章に入ります。

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