幕間:奪われた皇女の遺志
幕間:奪われた皇女の遺志
こちらから幕間に入ります。幕間の扱いは基本的にスピンオフです。その為、読まなくても本編に影響はありませんが、読むと影響があるかもしれません。
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いつもなら闇に溶け込むように静かに佇む小さな墓石が、今日は月明かりに照らされていた。
広い公園内の隅にぽつんと一つ陵墓がある。電灯の光すらも届かないくらいの奥、ひっそりと隠れるようにして墓石が置かれていた。
偉大な人間の墓であるはずなのに、普通の人と殆ど変わらない大きさの墓だ。生前、豪華絢爛を好まない彼女が、何も着飾っていない小さな墓で静かに眠りたいという意向を示した経緯がありこのようになっているとのことであった。
故に側から墓石だけ見れば普通の墓と感じられる。しかしながら、それを保護するかのように囲われた柵と木々が特別感を引き立たせており、『ただならぬ人』を埋葬したものと勘付かせる仕組みにはなっていた。
今日の天気は終日快晴であった。5月の初旬とは思えないほどとても暖かく、快適な日和であったと言う。そして現在もその流れに続くかのように空には
闇に同化しようとする冷たい墓石を、月明かりが妨げようとする。
東京都内、八王子市にある公園。公園と呼ばれているが、遊具は存在していない。人々が快適に運動ができるよう、木々が植えられた広場がいくつか存在しており、都会の中にも関わらずここだけは緑に満ち溢れていた。老若男女問わず、人々から親しまれた
中央付近には待ち合わせ場所としても使われる、銀色の大きな時計が立っていた。高さは
この暗さから推測するまでもなく、午後の9時頃を意味しているものだ。
夜になれば点在している電灯が灯る。とても明るいとは言えないが、それでもウォーキング程度は出来るだろう。もっとも、治安の良くない
今となっては閑散とした公園であるが、これでも日中は多くの人がこの場所に訪れており、
それもここ最近の話である。ある『特集』が次々に報道されたことがきっかけであろう、思い出したかのように人々が足を運び始めた。足を運んで、墓へ
『嫌な思い出』『思い出したくないもの』そのはずだ。けれど、それ以上に思いを
そしてそんな墓所へ、夜なのにも関わらず今日も訪れる人影が一つ……
その姿は白色のローブを身に
背筋の良い姿勢で直立しており、墓所の石碑へ手を添えている。その様子は祈るようにも、皇女へ何か問いかけるようにも見えた。
純白のローブが穏やかな風に
フードで隠れていても分かる。日本人離れした綺麗な顔立ちを持つ女性であった。珠玉と称されるほどのきめ細やかな白い肌に、整った眉。硬く結ばれているが、血色の良い口元は艶やかさを引き立たせていた。
その可憐さと凛々しさを併せ持つ容姿は、一世を
『歴代最高の
そう呼ばれて人々から支持され、皇女に全てを捧げてきた。皇女からも絶大な信頼を寄せられ『
少年少女は皆、騎士に憧れる。その憧れを一身に受け止めながらも期待以上の活躍をし続け、ありとあらゆる名誉を手にしてきた女性であった。
長い間、皇女の傍で戦ってきた『騎士の偶像』。歴代で最強との呼ばれたこともあったが、それも過去の話である。
今となっては『堕ちた騎士』などと
3年前に起きた『皇女暗殺事件』。これにより
絶対使命を果たすことが出来なかった
あの『歴代最高』と呼ばれた蜜柑が一気に転落した瞬間である。
『歴代最高』が『歴代最低』へ、一瞬にして変貌を遂げた。絶対に犯してはいけない失態を
だが、彼女に悔やむ余裕なんて無かった。その日からは走り抜けるような日々が始まる。元騎士という厄介な肩書を背に持っただけに解散してもすぐに自由にはならなかったのだ。
正直、自分がこれまで何をしてきたのか思い出せない程
こうしてゆっくりと皇女の陵墓へ訪れることが出来たのがここ最近になってのことである。元騎士でありながらも長い間、
ずっとずっと訪れたかった皇女の墓。忠を尽くして仕えた主との再会。
3年という時間が経ち、心も体も落ち着いた時にようやく彼女と出会うことができた。
姿形も違う、言葉を語らない皇女。変わり果ててしまった皇女。
『どの面下げてここまで来たんだ』と言われても仕方ないと自覚している。3年前の栄光の時代に比べて、今の自分はどれだけ落ちぶれてしまったのか、どれだけ無様になってしまったのか痛い程分かっている。
それでもあの静岡蜜柑ですら、皇女の最後に立ち会うことが出来なかったのだ。だから、こうして静かに二人で語り合う時間が欲しかった。
心の中で、
もう何日目だろうか…… 蜜柑はここのところ毎日皇女の墓参りをしていた。人が多い日中だと落ち着いて皇女と向き合う事ができないから……蜜柑が現れるのはいつも夜の時間であった。
柵の前にある石碑に手を置き、10mほど先にある小さな墓石を見つめる。そのまま暫く無言のまま弔うといった行為の繰り返しである。
夜の9時ごろから……終わりは決めていない。心の気が済むまで、静かに弔うのだ。日によっては深夜12時を回ることだってある。
そして、今日もいつものように蜜柑は石碑に手を置いていた。何を思うのかは彼女のみぞ知る話であろう。過ごした時間が長いだけに、皇女への想いも
晴れの空に、暖かな気温。ここでなら、なんの煩いも無く皇女と対話することができる。
『平和の象徴 ここに眠る』と刻まれた石板。無言でそっと撫でた……
──その時であった。
「ピクニックにしては随分と寂しいんじゃないか?」
凛とした声が横槍のように蜜柑の耳に入り、祈りが中断される。二人の時間を邪魔する気があるのか、随分と芝居じみた
女性にしてはやや低めの声だ。だが、蜜柑にはその特徴的な話し方に聞き覚えがあった。耳馴染みであることを密かに残念に思う。
ふっとひとつ息を吐きながら蜜柑が石板から手を離した。邪魔者が入ってしまったことを
──やはり、この
向こうから歩み寄ってくる人影を目視し、蜜柑は目を
痩せ型の体型に赤がかった髪色が特徴的な女性であった。暗い中でも『赤がかった髪』と判別できるのは蜜柑の記憶が補正してくれているからである。
全身タイトな生地でできた衣類を着ており細身に見え、平均的な女性の身長よりもやや高めだ。蛇のような眼差しを持つが顔立ちは悪く無く、言い寄ってくる男達を蜜柑はよく見ていた。
口元には火のついた
綽々とした顔つきで右手を掲げ「やあ」と挨拶をしてきたが、蜜柑は無言を貫く。じっと目を据えたまま、蜜柑はフードを深く被り直した。
蜜柑と過去接触のある人間だが、仲が良いというわけではなかった。相変わらず何を考えているか分からない、読めない女だ。読めないからこそ危険な女であると認識していた。
現に蜜柑は気配を感じ取れず、いつの間にか背後を取られていたのだ。
だからこそ、彼女の一挙一動を見逃さないように警戒心を高めてゆく。下手な動きを見せてはいけない。
「
目を合わせ一言、そう述べる。さながら『平和の象徴』と呼ばれる『
元騎士とはいえ、蜜柑は皇女に仕えた身。向こうは侮辱するつもりで言ったのだろうが、蜜柑は反抗の姿勢を見せず、静かに見やる。
この女に乗せられてはいけない。テンポを
あくまで冷静を装いながら蜜柑は表情を切り替え、
冗談に付き合っている暇なんてない。
「……なんでしょうか」
今は威圧するかのように声の
「……!」
「……おや?」
一歩、踏み込んだ瞬間……蜜柑は一歩後退りをする。全く同じタイミングで動き出した蜜柑を物珍しく感じたのか、秋香はふっと口元を緩ませた。
剣の間合いに入ろうとしたのだ。だから、蜜柑は距離を置いた。
秋香に間合いだけは譲ってはいけない。例え、皇女の陵墓の前であろうと、どんな時であろうと鉄則である。目の前の女はそれだけ隙を見せてはいけない相手だと……蜜柑は認めていた。
曲がりなりにも『最強の騎士』と称された蜜柑が……悔しくも認めてしまう程の力を彼女は持っているのだ。
さり気なく自分の調子に持って行こうとするやり口は秋香の得意技だ。一番気をつけなければならない。
後退する姿。見た秋香は面白おかしく感じたのか、声を上げて嘲笑い「そんなにビビんなよ」と一歩一歩距離を詰めてくる。
だがそれと同じ分、蜜柑は離れ、一定の距離感を保ち続ける。まるで磁石で同じ局を合わせたかのように蜜柑は秋香を拒絶した。
あまりにも徹底した間合い管理。秋香も良い気分にならなかったのか首を傾げた。
「丸腰の相手に怖気付きすぎじゃないか? もう少し近寄ってくれないと声が届かないだろう?」
いつもなら剣が装備されている秋香の両腰。だが、今日は彼女の言う通りそれが無い。側からみれば無防備状態であろう。それを訴えるかのように秋香は両手を広げたが、蜜柑は無言で
『武器を持っているだろう』、蜜柑の顔にはそう書いてあった。それを読み取ったのか秋香は「ふぅん」とつまらなさそうな声を漏らし、煙草を吸い始める。
「防衛用に……と言うのも厳しいか?」
「貴方には必要ないのでは?」
冷たく返す。いつ何をしでかすか分からない女だ。図に乗らせる気なんてさらさら無い。
「まあ、落ち着きな。こんな場所でおっ始めようだなんて……流石のアタシも思っちゃいないさ。『平和の象徴』が眠る墓の前で喧嘩だなんて、洒落にもなんねえだろ? それに、皇女から
戦う意志のない人間が武器を所持しているのは、なんとも矛盾する話であると指摘したいところであるが、彼女がいつも持つ剣がない事を伺えば戦う気はあんまり無いのだろう。
それに、蜜柑の立場から考えればここで戦うメリットが何ひとつ無く、それは向こうも同じであるはずだ…… とは言え、相手は錠場秋香だ。全く信頼できない言葉だ。
依然として距離ははかられたまま、秋香はその場で吸殻を地面へ落とし
「──それに、ここは神聖な皇女の墓だ。アタシだって血で汚したくないさ。女同士のいがみ合いごときで血を流したらお前の大好きな皇女も悲しむだろ?」
神聖な陵墓だと思うのであれば、吸殻を地面に捨てるといった行為はできないはずだ。ハナからそんな気なんて無いのだろう。
「何しに来たのですか……? こんな時間に……」
「アタシも墓参りに来たのさ。なんだいその顔、アタシが皇女を
食えないやつだと分かっていても、その言動ひとつひとつが耳につく。
だがそれでも、相手が読めない人間であれば深入りせず、言葉通りに受け止めるのが無難であろう。蜜柑は淡々と「そうですか」と返した。
胸から新しい
吸うも何も蜜柑は非喫煙者である。加えて歩き煙草なんて品のない行為をする程、蜜柑の育ちは悪くない。それに、警戒する相手に対して煙草を差し出すだなんて、一体何を考えているのだろうか。
思うところはたくさんがあるが、振り回されてはいけないと改めて自覚をし、蜜柑は誘いを断るかのように黙って首を横に振った。
残念そうに秋香が「付き合い悪いな」と呟き、煙草を胸へと戻す。
白い煙が墓所の方向へ吐かれた。ツンとする独特な副流煙の匂いが蜜柑の鼻口を擽る。
「一緒にお墓参りしようと思っただけなのに、こうも蜜柑に嫌われちゃなあ……」
口惜しそうに秋香はそう溢し遠方を眺めた。
「
「ここは公共の場さ。勝手なルールを作られても困るね。いいじゃないか、誰が墓参りに来ようと、誰が何を言おうとここは自由なんだろ? そんな邪険に追い出そうとしなくたってさぁ」
屁理屈だけは達者な女だ。何を言っても聞いてくれる人間ではないと分かっていただけに、蜜柑は全く苛立ちを覚えなかった。
対して秋香は蜜柑に近づこうとしても距離を置かれるので、接近は諦めたのか動きがおとなしくなってきた。その場でじっと煙草を咥えながら蛇のような眼差しでこちらを見つめてくる。
ややあって秋香が口を開いた。
「こうして会うのも久々じゃないか……? 蜜柑」
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