章末:雷雨の夜

 前回のあらすじ


 福島県北塩原村の温泉宿にて勤務している売木零佳。ある夜異形の化物に宿ごと襲撃されてしまう。そんな中、宿の従業員である冬香達を逃し、一人で化物に立ち向かっていた。




 ──────


 窓から冷たい風が強い勢いで入り込み、零佳の黒髪が宙に舞った。首元を撫でる冷風が今となっては心地よく感じてしまう程、零佳の身体は熱っていた。


「はぁ、はぁ……」


 荒れた息づかいに零佳の胸元が上下に揺れる。額にはうっすらと汗が浮かび上がっていた。


 いつもであれば、落ち着いた和室のはずだ。だが、零佳の目の前には畳の上で血の華を咲かせた黒の化物が数体横たわっている物騒な光景。どれも、胴体を彼女の持つ刀で叩き切られたものであろう。

 

 これ以上、増援は来ないものと察し零佳はその場で一呼吸つき額の汗をハンカチで拭った。


 右手に握られた細身の太刀を鞘へと収め、辺りを見渡す。


 外は激しい雷雨。轟音と強烈な稲光が磐梯山麓を襲っていた。


 朝は何かと騒がしかった宿の中であるが、今は従業員や客の気配が全くしなかった。きっと逃げたか死んでしまったかのどちらかであろう。この宿に残されたのは自分だけのようだ。賑やかな宿であるが、今は誰一人としていないため孤独感がとても強く感じられた。


 それに、宿もかなり荒らされてしまった。壁も、床も所々血で汚れており見るに耐えない。家具の殆どが破壊されているため、すぐに復旧できるような状態ではないだろう。以前の光景を知っていただけに零佳はその変貌ぶりに肩を落とし、物悲しい表情を浮かべた。


 そして床へ視線を移す。人間と同じように赤い血を流す化物が沈黙していた。血だけじゃない、骨格に内臓もしっかりと備わっており、見れば見るほどこの存在が何なのかと感じてしまう。


 突然襲来した異形の化物。この宿を脅かした張本人だ。


「どうして……」


 俯き、溜まった言葉を吐き漏らす。誰も聞いていない独り言。誰も答えてくれないと分かっていたからこそ、零佳はあえて口にしたのだろう。


 ただ、裂かれた化物の身体を見ていたらふとあるものが目に入った。


 畳に伏せる先程茉里まりを襲おうとした化物だ。今となっては零佳に胴を真っ二つされ、赤い臓物が爛れ落ちているが、その身体の中からちらりと零佳の見覚えのあるものが顔を出していた。


「まさか、ちぃ……?」


 かがみ込み、顔を近づけながら目を凝らす。あんまり見たくないものだ。けど、確かにはらわたの中に……なんと人形が埋もれていた。


 宿で働く幼い女の子、茉里まりが宝物にしていた小さな布人形だ。着物を着たおかっぱ姿の女の子を模した人形。茉里によく似た人形が……


「こんなところに……」


 恐らく、何らかの拍子で化物に食べられてしまったのだろう。化物の体内に在していたが、零佳に斬られたことでその姿が露わになったのだ。運良く見つかったと考えて良いのだろうか、複雑な気持ちにもなってくる。


 茉里も最後までこの『ちぃ』を探していた。結局見つからず、茉里はここを離れてしまったがこんなところに『ちぃ』がいただなんて誰が想像できようか。

 


 零佳も『ちぃ』のことはよく分かっていた。ほつれれば、何度も直してあげただけに、零佳の思い入れも強かった。あまりにも、残酷。真っ赤な塊のようなものになってしまった『ちぃ』の姿を零佳は直視できなかった。



 それでも……助けないといけない。


 零佳にとっても、『ちぃ』は大事な宝物であったから。茉里と零佳を繋ぐのような存在である『ちぃ』を見放すなんてことは出来なかった。


 血で和服の袖が汚れないように腕を捲り、零佳は化物の腹へと手を入れる。

 

 ぐちゃりといった異音が静かに聞こえ、思わず目を閉じてしまった。


 柔らかく冷たい肉の感触が、血生臭い粘液の感触が手から伝ってくる。どろどろとしており、とても気持ちが悪い。

 

 

 けれど、我慢してなんとか取り出した。

 引っ張り出した弾みで、床に赤色の液体が滴り落ちる。


 生臭い異臭を放つ真っ赤に染まった布人形。べっとりと肉の破片がこびりついており、可愛らしかった人形も今となっては血の塊のようなあられも無い姿となっていた。大量の水分を含んでいるのかしおれて見えるがいつもより重量感がある。


 可哀想な姿。こんな状態じゃとても茉里に返せない代物シロモノだ。洗ってもこの量の血の汚れだ、恐らく全部落ちないだろう。


「本当、可哀想……」

 

 茉里に返した時、こんな姿になってしまった『ちぃ』を見て彼女は何と言うのだろうか。

 想像するだけでも心苦しい気分になる。自分の大切な宝物がこんな目に遭っていると知れば、彼女は泣き出すのかもしれない。その時、どんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。考えるだけで悲しくなってしまいそうだ。


 それでも零佳は『ちぃ』の頬を拭い、汚れを落とした。顔が徐々に浮かび上がってくる。「辛かったでしょう」と声を掛けながら優しく拭い落としてゆく。


 恐らく『ちぃ』もきっと茉里のことを探していることだろう。茉里もまだ生きている。

 

 それに……茉里が生き延びることが出来たのも、『ちぃ』が身代わりになってくれたのではないかと、零佳は感じていた。『ちぃ』は茉里にとっての宝物でありお守りでもあるのだから、きっと茉里を最後の最後まで守ってくれたのだろう。


 零佳は立ち上がり、水場へ移動して丁寧に揉み洗った。バケツに汲まれた水はすぐに赤く染まってしまい、数回入れ替える。流し台まで赤色になってしまっても尚、『ちぃ』の身体は真紅のままであった。

 

 だが諦めず、洗っていけば少しづつ『ちぃ』の身体が元の色に戻り始めてくれた。多分、完全な状態に戻るのは不可能であろうが、少しでも綺麗な姿になってほしいと願いながら零佳は濯ぎ続けた。


 そんな中、奥の方から黒電話の音が聞こえてきた。ジリジリと耳に響く特徴的な音であり、気づいた零佳は振り返りながら眉をひそめる。

 

 

 ──こんな時間に?


 

 もう遅い時間である。宿の予約の電話ではないだろう。


 普段なら電話まで駆け足で向かいすぐ受話器を取る零佳であるが、今はとてもそんな気になれなかった。

 ただ、それでも宿の従業員としてのさがなのか無視する事ができず、ゆっくりと歩み寄り恐る恐る黒い受話器を手に取った。

 そして耳元へ当てる。いつもだったら『お世話になります、磐梯荘です』と明るく挨拶をするのだが今日は違った。


 警戒するかのように「はい……」と伺うかのような声で応対した。



「やぁ、久々に運動した気分はどうだ?」


 第一声ははっきりとした女性の声であった。若く、そして芯の強い印象が与えられるような声。

 だか、零佳は知らない。電話の先にいる女性が誰なのか……





「所々、身体がり固まっていただろう? ちょうど良い準備運動ウォーミングアップになったんじゃないか?」


「その声、貴方は一体……!?」


「さぁな。宿の予約をしにきているわけじゃないから名乗る必要なんてないだろう。まあ、別に名乗ってもいいけど、長電話になりそうだから今日は遠慮させてくれ」


「もしかして、貴方が仕向けたというの……!?」


「そんな事できるわけないさ。ただ、そろそろ北塩原村そっちへ行く頃なんじゃないかなって思ってな。夏希の妹が元気そうにしているか、確認しにきただけだ」


「……心配して下さりありがとうございます。誰かは存じませんが……」


「だけどその様子じゃまだ元気が有り余ってそうだな。福島の山なんかじゃがいなさすぎて色々溜まっていたんじゃないか?」


揶揄からかうのなら…… 切りますよ」


「ふぅん、磐梯荘の看板娘は随分と愛想が悪いねぇ」


「……」


「さてと、冗談は置いておいて。今電話しているのは他でもない伝えたい事があるからだ」


「伝えたいことが……?」


「そう。本当は夏希に伝えたかったんだけど、生憎あいにく当の本人・・はどこかに行っちゃったみたいでさ」


「……」


「だから、耳寄り情報を君にね」


「そうですか……」


「不服そうな声だな。まあ、無理もないか。けど、君の大事な妹達も関わっている話だし少しは聞いてくれてもいいんじゃないか?」


「──っ! 妹達が……!?」


「おや、聞く気になったみたいだな。そうだ、もう君だけじゃない、全部動き始めているんだよ」


「動き始めている……?」


「君も知っているだろう? 例の化物を。あれはエイトって呼ばれる生命体だ」


「エイト……」


「そう。3日ほど前、東京の八王子において初めて確認されたからそれにあやかって『エイト』と名付けられたらしい。まぁ、そんなことはどうでもいいが、問題はその現れた場所にある。どこか分かるか?」


「……」


「皇女の陵墓だ」


「皇女様の……お墓に……?」


「そうだ。君を襲った化物が東京にも現れたんだよ」


「そうだったんですね……」


「あろうことか君の姉さんが殺した皇女様が眠るお墓に出没したんだ。縁を感じるかい?」


「……」


「あんな化物が皇女の墓を攻めて、何もなく終わるなんてこと、考えられるか?」


「……」


「奪われたよ、皇女の遺骨が」


「そんな……!?」


「嘘だと思うならそれでもいい。恐らく報道でも無傷であることを主張するだろう。信じるのは君次第だ。けれど、一応伝えたからな」


「皇女様の遺骨が…… 嘘……でしょ……」


「あいつらの狙いの一つに皇女の遺骨があったことは間違いないみたいだな。ちなみに、君の実家も相当潰されたぞ。一体何が目的なんだか……」


「私の……家が……」


「そう、それに…… 現れたのは東京だけじゃない。各所でエイトの姿が確認されている」


「……」


「長野の北城村にもな」


「……!! 北城村にも……!?」


「ん? 結構な田舎だから君には縁がないと思っていたけど、随分焦るね。八方山へハイキングに行く予定でも組んでいたのかい?」


「……っ! 貴方、分かっていてそれを……!」


「まぁまぁ落ち着けって。ちょっと揶揄からかいすぎたな。さて、君も分かっているだろう、八王子にある皇女の骨が狙いであるということは…… 恐らく皇女の『喉』も狙ってくるはずだということを……」


「『喉』……まさか!!」


「日本のどこかに皇女の『喉』が隠されているらしいね。私は知らないけどさ、君なら何か知っているかと思ってね」


「……!!」


「別に言わなくてもいい。教えてほしくて電話したわけじゃないからな。けどさ、今そういう状況なんだよね」


「どうして……私にここまで教えてくれるの……? 私は貴方について何も知らないのに……」


「そりゃ、自分でも分かっているだろう。夏希の妹だからさ。この件だって夏希の妹なら知っていると思って聞いてみたんだよ。その様子じゃビンゴだったみたいだけどねぇ」


「全てはお見通しってこと……!?」


「さあね。でも、さっき話したことはよく考えてくれよ」


「……」


「ところで、話は変わるけど君はこれからどうするんだ? 私が気にする話でもないが、ずっと山の中でこもりっぱなしなのか?」


「貴方には……関係のない話です」


「……随分と冷たいな。まあいいけどさ。そうやって『逃げ続ける』人生も別に私は否定しないよ。動かずに、じっとし続ける……そういう人生だってあるさ。ただ、それだと『ずっと知らないまま』で終わるんだろうけどねぇ」


「知った口をしないで下さい……」


「残念。君のお姉さんの言葉を用いたつもりだけど、妹には響かなかったな。まぁ、人生人それぞれだからそんなものか」


「私は、姉と違います……」


「ふぅん。言うねえ…… とりあえず、話したいことはこれくらいかな。あんまり長電話しても仕方ないし、今度は会って話そうか、売木零佳・・・・さん」


 そう言われて電話が切られる。


 零佳の頭は度重なる情報だらけで頭がいっぱいであった。


 けれど、その中でもなんとか整理していく。あの皇女の遺骨が化物によって奪われたのだ。


 皇女の遺骨が狙われている。そうなると、のところにある皇女の『喉』も狙ってくるはずであるとすぐに火もつく事ができた。


 八王子にある陵墓以外に、皇女の『喉』の部分が日本のある場所に納骨されていた。東京とは別の場所……


 それは、かつて皇女が愛した山の麓にあるという。


 何故だか零佳はそれを知っていた。


 皇女のもう一つの骨が収められているほこら


 それは恐らくあの場所だ。





 ──富士の……

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