県を超えて


 あれから静かな時間が続いた。みぞれが話さなければ基本的に三河みかわから話すことはない為、しばらく車内はロードノイズと外の車が発する排気音だけとなっていた。


 けれども、カーラジオはついていない。運転する男が静かな方が好きなのか、単にカーラジオが嫌いかのどちらかであろう。出発してから4時間近く、ずっと無音のまま黙々と運転をし続けていた。


 だがそのことを、助手席に座る女はずっと気になっていた。別にラジオを付けるという提案もできたが、今はあえてそのような事はしなかった。


 むしろ、この沈黙を活かし霙はずっと考えにけ込んでいたのだ。車窓から見えるほぼほぼ黒一色の景色を遠目で見つめながら。


 意外にもこれが結構はかどる。目が覚めて頭がスッキリしているからということもあるが、動く景色を見ていると思ったよりも脳が動いてくれるのだ。


 そしてふと見える緑の標識。ようやく群馬県に入ったようである。ここまで来たら、殆ど他の車の姿は見えなかった。

 時刻は午前1時頃。勿論深夜であるということもあるが、この流れであるならまた渋滞にハマって苦しむこともなさそうだ。かなり足枷あしかせを食らったが朝までには着くだろう。 


 そう思いながら静かにしていた霙であるが、ある時おもむろに口を開き始めた。



「皇女暗殺事件」


「霙……急にどうした」

 

 呼ばれた霙は目を見開きながら隣で運転を続ける男へ黙って視線を飛ばす。そしてひざにかけられていた軍服のしわを伸ばす動作し「こほん」とひとつ咳払い。


 その後ブランケット代わりになっている厚手の軍服を探れば、何やら小さな手帳のようなものが取り出された。かなり年季が入っているのか手垢にまみれて所々変色しており、彼女の愛着品であることが窺える。所々写真のようなものが挟まれていた。


 そんな愛着品・・・をゆらゆらとあおぐようにして揺らす。 


「暇だから、適当にお話ししようかと思って。だって北城村むこうに着くまでまだまだ時間がかかるわけでしょう?」

「そうか……」


 別に面倒くさそうな、嫌そうな顔を一切せず三河の口調はいつものように淡々としていた。けれど、あまり首を突っ込みたくないのか助手席へ一瞥いちべつすらもしない。ずっと前を向いたまま獣のような鋭い瞳を据えていた。


 安全運転・・・・ご苦労様だこと……


 興味の薄そうな反応をされるものだから、霙はとてもつまらなく感じていた。とはいえ、長い間この男の傾向を知る限りでは妥当な反応であろう。『無口で無表情。そして無感情』……概ね霙の想定通りだ。


 いや、元より別に興味を持って欲しくて言ったわけではない。隣で黙々と運転を続ける男と二人でこの話題を朝まで引っ張り続けるのも、いくら霙が話好きとはいえ厳しいだろう。


 だが……話す価値・・・・はある。


 霙は車内灯をつけながら、手帳をペラペラとめくり始めた。本来であれば運転手にとって迷惑な行為であるが、男はまぶしそうな顔一つせず無表情のまま前方を見続ける。横であさり始める霙へ全く気を留めず、お得意の安全運転を続行していた。


 霙が持つ手帳。これはどうやら『皇女暗殺事件』について色々書かれた資料兼メモ帳のようであった。雑に折り畳まれた地図や写真、そして適当に貼り付けられた記事の切り抜きがいくつか詰め込まれており、彼女曰く『お手製』とのことだ。どれもこれも自分で集めたものらしい。


 いつの間にか上層部より入手した『売木桜』と『売木絆』の顔写真も仲間入りを果たしていたが……


 長い間霙のそばにいた三河もその存在を十分把握していた。彼女がこれを取り出す時……それは決まってあの話題に突入するのだ。


「当時、軍事パレードを控えていた皇女ことひかり様は皇軍騎士ナイトであった売木夏希によって殺された……と」


 あたかも読み上げるような仕草しぐさを取っているが、別に音読している訳ではない。それっぽく見えるのでそれらしい仕草をしているだけだ。

  

「好きだな、その話題」

「ええ、大好き・・・


 はっきりと言い切られてしまった。そのレスポンスの速さも食ってかかる程であり相当好きらしい。


 だから彼女が『皇女暗殺事件』について語り始めたのは今に始まった訳では無かった。暇が出来ればこうして話すことはあった。そこまで頻繁ではなかったが……

 そしてその都度たび、横で三河が静聴しているのだ。


「死因は胸元に撃ち抜かれた3発の銃弾。現行犯であった夏希さんはその場で捕まってしまった……と。そして、犯人であった夏希さんは死刑判決を受け、現在もなお東京で収監されている……と」


 3年前であれば、何度も何度も報道された事件の内容だ。今となっては知らない者はいないであろう皇女の死因、銃殺。

 事件の一連の流れについては、もはや典型テンプレと化している節があり、まるで新聞の読み聞かせをされているようであった。


 だから、そんな知って当然である情報を聞かされても、三河は頷きひとつしなかった。

 急カーブがあったのでブレーキを踏む動作は忘れないが。

  

「──と言うのが、表向き・・・の情報ですけども。どうですか先輩?」


 雑なところで投げかける。霙の怪訝な顔つき。何を所望もとめているのか分からなかったのか、三河はとりあえず「何回も聞いたな」と答えた。


 霙の持つややつり目。それがまた少しだけ吊り上がる。無言の圧。

 残念ながら答えはハズレのようだ。彼女の期待に沿えることができなかったらしい。


 察したのか、運転する男はアクセルを緩めながら言葉を続けた。


「霙はあの売木夏希がやっていないと考えているのか」

「そうよ」


 彼女はあの夏希のファンだと公言している。今も昔もずっと夏希のファンであることは揺るぎないと、少し前に熱く語られた事があった。


 夏希のことを知ったのは霙が軍に所属し始める前からだったと言う。それから長い間、ずっと夏希のことを知り、密かに思いを寄せていたとのことだ。


 きっかけは様々であるが、やはり大きな要因として学生時代の同級生であった夏希の妹『零佳』がいたことだろう。霙は売木零佳と仲が良かった。


 ある日、零佳の姉として夏希を紹介されたその時、心を打ち抜かれてしまったと霙は語る。


 夏希の美しさ、真っ直ぐな性格。そして、何より彼女の剣術に一目惚れしたらしい。


 霙は『あくまで公平な立場としての意見』を強調しているが、そこまで想っているのであれば擁護する気持ちも少しはあるのだろう。


 だから、霙はこの事件について懐疑的な立場として、いつもメスを入れようとしていた。


 本当に売木夏希が犯人なのか? 濡れ衣ではないのか?

 仮に犯人だとすれば動機はなんなのか? 黒幕は存在しないのか?

 売木夏希が犯人でならない理由が存在するのかどうか?


 などである。


 陰謀論者と揶揄されることもしばしばあるが、それについては『陰謀論が確立される程隙がある事件が悪い』と霙は主張する。

 

 もちろん、皇女が暗殺されてしまったことについては悲しむべき事案であり、霙も大変に残念に思っているのは間違いない。ただ、彼女に言わせてみれば『だからと言って真相を隠していい理由にならない』とのことだ。


 『皇女暗殺事件の真相について迫る』


 そんなこと、皇軍や本軍に所属していては迂闊うかつに口にできないことだ。だが、旧東軍ここなら思い切って切り込める。むしろそれが目的で霙はあえて旧東軍ここを選んだのかもしれない。国とは独立しているここでなら……


「あの剣の達人、売木夏希が銃殺ねぇ……私からしてみれば、もうこの時点で事実かどうか怪しいわね」

「そこを疑うのは厳しいだろう」


 この話も霙から何度も聞かされていた。『売木夏希は剣術に長けていたから、わざわざ銃で殺すのは不自然である』と。


 厳格に精査をして、怪しければ疑いをかける。悪くないことであるが、流石にこの点を切り込むのは無理があった。いくら剣術の達人とはいえ皇軍所属クラスであれば、皆どんな銃も一通り使えるはずであるからだ。


 銃は軍人であれば持っていて当然。自分たちもそうであるように、飛び道具が発達した現代ではむしろ剣術で挑む方が少なくなってきている。依存された戦術にこだわるといった問題もあるがそれとこれとは別の話だ。


 銃で殺せる相手にわざわざ剣を使ってまで殺すことはない。この論争はこの辺りで決着していた。


 それでも霙は間を置かずして三河へ様々な疑念を投げかける。どれもこれも以前に問いかけたものばかりで、三河からの返事は殆ど似たようなものであった。


 ただ、こうして向かい合って2人でここまで語るのは恐らく初めてだろう。それまではずっと霙ばかり喋っていることが多かった。だが今日は長時間ドライブになると分かっていたのか、三河もいつもより少しだけ口を動かしてくれていたのは霙も気付いていた。

 

 しつこく問いかける霙。それでもしっかりと意味があった。

 三河が何か知っているのではないかと思ったから。自分よりも遥かに軍歴が長い彼なら何かいいヒントが得られるのではないかと思ったから霙は尋ね続けるのだ。


 ……けれど、なかなかこれといった情報がつかめないのが現状であった。


 もしかしたら、隠されているのかもしれない。知っているけどあえて言わずに、はぐらかされているだけかもしれない。

 だけどこの男は知らない事に関してははっきりと「知らない」と答えてくれる人だ。それに、単調であるが霙の質問に関しては真摯しんしに回答してくれている。しぶとく続ければ何かが見える可能性だってあるだろう。


 粘り強く彼に投げかける中で……ようやく……その成果が少しだけ…… 現れ始めた。



「じゃあどうして夏希さんは今も処刑されないのかしら? 3年経っているとはいえ、確定しているのなら生かす意味もないはずよ。特に『国家反逆罪』なんて国にとっては目の上のたんこぶだと思うのに……」


 死刑囚が平均して4年近く生かされていることは霙も知っていた。法務省が判子を押すまでに何年かかかるのだ。

 『国が人を殺すということにはそれなりの責務がある』という名目があるらしいが、本当かどうか分からない。


 けれど、夏希の場合は違う。すぐに殺されてもおかしくない存在だ。国民の敵であり、現在この国で一番死んでほしいと思われている人物であろう。それに現行犯であれば、これ以上生かし続ける意味もない。むしろ国もさっさと殺したいはずの人物だ。

 

 てっきり三河も典型テンプレ通り「3年はまだ早いだろう。法務省の印は平均して4年かかる」と模範解答をするかと思い、霙は全く期待していなかった。


 だが、彼から出た言葉は全く異なっていた。


「『国家反逆罪』の死刑決裁は皇帝専決だから処刑できないんだろう」

「え……?」


 思わぬ回答に時が止まったような感覚となる。


 どういうこと……? と霙は思う。

 霙はこう見えて学業成績も優秀な方であった。特に法学に関しては得意分野でもある。

 死刑に関しては法務省大臣の承認が必要である。別に法学が得意でなくても知っている人が多い話だ。


 それは漏れなく『国家反逆罪』も該当する……そのはずである。


 そもそも皇帝決裁という耳慣れない言葉に霙は閉口してしまう。ここにきて知らない事実に触れ始めた霙は「どういうこと!?」と身を乗り出して問い詰めた。


「死刑の印は表向きには法務省の大臣が押すと公開されているが、内情は異なる。一般的な犯罪でも死刑を執行するのには各大臣と皇軍騎士ナイトが最低でも一人参加する審議会によって決裁される。重大であれば皇帝も参加することがあるらしいが……」

騎士ナイトが……!? そんなこと、知らなかったわよ…… どうしてわざわざそんなことに? 死刑囚なんて確定しているものじゃない……」


 審議会と称して今更何を審議するのだろうかと霙は邪推してしまう。三河の話を聞くに、度重なる戦争によって変化していったとのことだ。死刑決裁以外の大きな国の政治的判断は、間違いなく皇軍が絡んでいるそうだ。  


「前皇女がそう変えたらしいな。第一、法務省なんてあってないようなものだ。法的な整備は殆ど皇軍が行っている」

「『権威戦争』の副作用ってことね。少しだけ理解したわ」


 皇女のいなくなり空位である現在、殆ど軍事国家のようなものになっているという霙の考えは概ね的中していた。『権威戦争』の過程で皇軍がとても大きな影響力を持つようになったのだ。


「でも、皇帝決裁と言われても今のところ誰もいないじゃない。かなう様が候補として上がっているけど、現実まだ即位していないし」


 叶様というのは暗殺された皇女、ひかり従姉妹いとこにあたる女性だ。まだ若すぎるというのもあるが、彼女以外血縁候補者はいないはず。それなのに3年経った今でも即位されず、それに関しての情報も全く出ていなかった。


 叶様自身が即位に関して拒否しているのか、それともそれ以上に妙な力が働いてあえてそうなっているのか……


「じゃあ、それこそ早く叶様を皇位に就かせるべきじゃない? 或いはその複雑な手続き・・・を改正するかのどちらかしないと、夏希さんは生かされたままになるわ」

「仮に叶様が就いたところでも厳しいだろうな。手続きとかそういう問題じゃない。それにどの決裁もそうだが、皇帝の代理は大体騎士ナイトがやることになっている。皇帝先決に異例は認められていないものの、それでも通すとなれば絶対的に皇軍の長の力が必要となるのは明白だな」


騎士ナイトの……」

 

 皇女の暗殺により任務を果たせなかったため解散させられた5人達…… 皇女も騎士もいない妙な状況がずっと続いているのだ。長い歴史の中でもそんなことは無かった。


 聞けば聞くほど謎が膨らむばかりだ。じゃあ、それならどうして皇帝先決なんてものが用意されたのか? 


 現況のままであるなら、絶対に夏希を処刑するのは無理だろう。この国はそんな大きな穴を今まで抱えていたということなのか……?


「信じられないわ。そんなの、皇女を暗殺した時を全く想定されていないじゃない。」

「そうなるようになっているからだろう。それどころかむしろ皇帝の暗殺も十分想定されていると俺は思うぞ」


 少し考えて「はっ」となる。そういうことだ。

 

 皇女が何者かに殺されたということは、それはもう国の破綻を意味しているのだ。いわゆる『革命』、『下剋上』のような言葉でまとめられる出来事。国の象徴でかつ絶対的な皇帝である人物が自然死はともかく『暗殺』によって崩御したのであれば、もう国の終わりであり時代の終わりでもあるのだ。

 新たな王朝が始まるのか、それとも軍事国家として国が変わるのか……

 皇帝を絶対とするこの国が、その後の面倒を見るほど面倒見がいいはずがない。既に新たな時代が始まっているのだ。


 『国家反逆罪』は殆ど死刑とされる。だが皇女が死んだ今、その『国家』が既に崩壊しているのだから『反逆』もへちまもないのだろう。だから皇帝専決なんてものを用意しているのだ。

 

 それでも、成立させたいのであれば星様の血縁者である叶様が即位すれば一応手続きとしては可能である。だが、事が起きた今それが簡単に行えるわけがない。


「そうなると、国も夏希さんを殺すのにはかなり慎重になるわけね」


「慎重なんてもんじゃないだろう。一応売木夏希は『革命者』としても位置付けられるからな。歴史を考えれば、彼女が玉位に座してもおかしくない存在だ。彼女自身が自覚しているかは謎だが、皇女抹殺を成立させた人間を殺す意味はあまりにも大きいだろう。捉え方によれば『革命者』に位置する夏希を殺した人間、組織がこの国を引っ張る事ができる権利が与えられるからな」



 仰々しい話であるが、夏希はずっと収監されたままだ。彼女がそこまで思っているとは思えないが、確かに考えれば考える程、今の夏希を殺す意味が問われてくる。


 皇軍が殺すか、新皇女として即位した人間が殺すか、はたまた国全体が責任を負って処刑するかによって歴史が分かれる話……そんな分岐点を判子一つで終わらせられるわけがなかった。


 壮大すぎる話。だが、そう簡単に夏希を処理することは不可能であるということは腑に落ちる。


「ましてや犯人は皇軍騎士に所属していた人間だ。ただの一般人が魔を刺してやったのとはわけが違う。取り扱いによってはあの皇軍の意義は問われるものとなるし、それに彼女は何より──」


 一呼吸置かれた。


「カリスマ性も高い」

「どうしてこちらを見るのよ。前見なさいよ」


 皮肉られたと思うが霙は否定しなかった。霙自身が夏希のファンであるのは間違いのない事実だ。夏希のカリスマ性は霙も十分すぎるほど理解している。


 確かに忌み嫌われている存在でもあるが、夏希に惹かれる人間も霙だけではないはずだろう。

 カリスマ性も高いだけに国民に対する影響力も大きい。もしかしてこれが一番厄介と感じられているのかもしれない。


「私個人としては、夏希さんが死なないのは喜ばしいことだけれども…… 国は扱いに手を焼いているでしょうね。さぞかし・・・・

「しれっと病死してくれるのを願って牢獄に閉じ込められているのかもな」


 三河の言葉に何も返せなかった。国の立場を考えればそれが一番ベストなのかもしれない。


 ウインカーを付けて右へ曲がる。電灯も少なくなり、いよいよ本格的な田舎に突入したものと思われる。

 その時、ハンドルを切り返しながら三河が「おい」と声を上げた。


「ガソリンが無くなってきたぞ」

「ええ!? 嘘でしょ……早くない?」

 

 霙もメーターゲージを覗き込む。確かに燃料メーターがエンプティギリギリで揺れていた。見た瞬間に霙は「本当じゃない!」と慌て始める。

 全然気にしていなかったが、出発した時からすでにガソリン満タンではなかったようだ。


「これだから四駆は…… 燃費が悪い」


「冗談じゃないわよ。私達はこれでも旧東軍の精鋭よ、そんな私達がガス欠で任務失敗だなんてサマにもならないじゃない!」


 こんな山奥で路頭に迷うなんて勘弁だ。軍部の噂にもなるだろうし、それだけは避けたいところである。


「早くガソリンスタンドを探しなさいよ」

「こんなところにガソリンスタンドなんてあるのか……?」


 あたふたする霙に対して三河は冷静であった。いつもそうだ、彼はどんな事があろうとも調子を崩さない。そんな彼に何度も救われたことのある霙だが、今回ばかりはやきもきしてしまう。


 とはいっても、彼の仰る通りで現在山道だ。目の前に伸び続けるのは峠道のみで、ガソリンスタンドどころか民家すらも見えない状態である。それに現在は深夜帯の時刻だ。例えガソリンスタンドがあったとしても、営業しているのだろうか……


 早くも四面楚歌状態。思わぬところでハマった霙はぐったりと項垂れ力なく呟いた。


「絶望ね……」

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