幕間:奪われた皇女の遺志2
「随分と
微妙な距離感を保ったまま、
秋香の手に持つ
『随分と堕ちぶれた』。もう言われ慣れている言葉だ。誰であろうとそんな言葉、蜜柑には何一つ響かなかった。
人は堕ちた人間が大好きだ。栄光で輝く人間よりも、その後完膚なきまでに堕ちぶれた姿の方が見ていて満足するからだ。
特に静岡蜜柑の場合は典型的な『都落ち』そのものであった。美貌と才能に恵まれており、
そんな輝かしい人間が…… 一瞬にして堕ちぶれる。
人生がうまくいっていない人間にとってこれほど『美味しい』ことはなかったのであろう。ここぞとばかりに『良しと思わない』人達から侮辱の言葉を何度も吐き捨てられた。『世の中そんなに甘くない』という免罪符のようなものを掲げて痛めつける。悦楽に浸るかのように他者を
そして皆最後にこう述べるのだ。『明日の飯が美味くなる』と。
「言いたいことは、それだけですか?」
聞き飽きたと言わんばかりに蜜柑の言葉は淡々としていた。煽っているわけではない、気が済んだら早く帰って欲しいという蜜柑の気持ちを反映させたものであった。
だが、秋香はその様子を楽しんでいるのかほくそ笑む。
「気にかけてやっているのに、冷たいねぇ……」
秋香は赤がかった髪をかきあげながら「ふぅ〜」とわざとらしい吐息を漏らした。
「しかし……あれから数年経っているのに、熱心な奴だね。まだお前は
ぼやきに似たようなものだ。聞き流せばいいと心に留めながらも蜜柑はゆっくりと口を開いた。
「答えると思いますか?」
親しい仲ではない。この女に自分の心の内を明かす義理なんて何もないのだ。嘘をつくだけ無駄な相手である。
秋香は煙草で蜜柑を指しながら「センシティブすぎたかな?」と鼻で笑う。月夜に照らされる不敵な笑みほど蜜柑を不快にさせるものはなかった。
「何をそんなにカリカリしているんだよ。せっかくこうして会えたんだから、少しは話してくれたっていいじゃないか。
「突然現れた人の言うことですか? 偶然を装うにも無理がありますけど」
人の事をやたらと聞く癖に秋香は自分の事をあまり明かさない人物だ。ただでさえ怪しい人間なのにさらに怪しまれてしまう原因がここにあると蜜柑は思惟する。
秋香は計算高い女だ。意味もなくここを訪れるほど観光好きでもない。何か裏があるはずだ。
「ふぅん、疑り深いのねぇ。変わっちまったね、蜜柑も」
鼻下を擦りながら秋香は「まぁいいさ」と続ける。
「元気そうな蜜柑の姿を拝めて、お姉さんは満足だよ。皇女が夏希に殺された時は血迷って後追い自殺でもするんじゃないかと思っていたけど、その様子じゃうまいことやれているみたいじゃないか」
「……っ!!」
言っていいことと悪いことがある。秋香の言葉は完全にその境界を超えていた。思わず噛みつきたくなったが、なんとか堪える。彼女の思う
真面目に付き合ってはいけない。
「あんまり、お喋りしてくれないねぇ。お姉さんは悲しいよ……」
声だけ聞けば物悲しそうな口調であるが、顔を見れば全くそんなことを感じていないのが分かる。口角を上げて嘲笑うかの表情。完全に遊ばれている。『どの口が言う』と言い返してやりたい気分にもなるが、彼女がつけあがるだけだ。
「皇女様の前ですから。静かにいたい…… それだけです」
蜜柑の返答に秋香は「ふぅん」と首を傾け、墓石の方へ視線を移した。そして
「
「……どういう、意味ですか?」
耐えられなかった。皇女の眠る前で夏希を讃える秋香の姿に。彼女の
説明を求める蜜柑へ秋香は手を広げながら話し始める。
「素直な感想さ。皇女の
蜜柑は黙って彼女の言葉を聞いていた。いつものような
──狂った人間だ。
「
蛇の目がギラリと光る。ここまで楽しそうに話すのは、かなり珍しい。殺人事件を出汁に意気揚々とする最低な行為であるが。
「本当、どうしてアタシは見抜けなかったんだろう…… 死刑囚になってから気づくんじゃ遅いよなぁ」
悔やむように片手で赤髪を掻きむしる。自然と興奮してしまったことに気がついたのか、秋香は煙草を一息吸って落ち着かせていた。
──意味が分からない。
蜜柑は思う。秋香の言っていることが全く理解できなかった。
彼女が表現する『夏希との差』も、夏希のことを持ち上げる理由も何もかも。
ただ、それでも分かるのは秋香がかなり夏希のことを気に入っているということであった。
錠場秋香という女がここまで人を褒めることなんてそうそうない。それなのに、この讃えぶり…… 相当、夏希の犯行に心を打たれたのであろう。
到底理解し得ぬ領域であると悟り、蜜柑は追及するのを諦めた。
「──お前も実は思っているんじゃないか? 口にしていないだけで夏希ことを『よくやった』とな……」
「口を慎んでもらえますか……」
強めの語気で秋香を黙らせる。調子に乗せすぎた。この女に倫理観というものが全く無いことを忘れていた。常識なんてものは通用しない人間だ。
やや沈黙が続く。秋香は2本目の煙草を吸い切ったのか、またも吸い殻を地面に落として靴で揉み消した。そのタイミングで秋香はくるりと身体の向きを変え背を見せる。
「
「──感謝?」
急に出てきた感謝の意。該当するようなことが見当たらず、無意識に聞き返す。
その瞬間、秋香が腰に手を当てる仕草を取り蜜柑は咄嗟に構えた。
手の位置が拳銃に近い。背を見せているとはいえ、背後の敵ぐらい撃ち抜く技量を彼女は持っているのだ。
「分かるだろ?
そう言い残し、秋香は「寒くなってきたな」と空を見上げながら、墓所を離れるように歩みを進めた。
「──出来損ないなんかじゃありません…… 私も、貴方の妹も……!」
何も言わずに帰すなんてこと、蜜柑には出来なかった。自分にとって大事な人を2人も侮辱されたのだから。皇女とは異なり、まだ生きている人間だ。撤回までは求めなくとも、秋香の意見には全く同意しない旨だけは伝えたかった。
その言葉、秋香には届いているのかいないのか。赤髪の女はふと歩みを止め、何か思いついたかのように「あぁ、そうだ」と声を上げた。
「
大きめの声で蜜柑にそう伝え、秋香はまた歩き始める。そしてそのまま振り向かず、闇の中へ消えるようにして立ち去ってしまった。
最後の最後まで秋香を見届けていたが、少しすれば完全に気配が無くなっていくのを感じた。
……本当にいなくなってしまったようだ。何か起こすのかと思い警戒していたが、彼女の言う通り『何もせず』そのまま帰ってしまった。
それはそれで良かったのだが、それでも彼女の残した最後の言葉がどうも引っかかる。
『夜道には気をつけろよ』
いやにわざとらしい口調であった。
「何だった……のかしら……?」
疑問に思いながらも、蜜柑は再び石板に手を添える。そして祈るようにして
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