姉というものは

「夏希姉さんの顔…… 久々に見たような気がします」


 画面越しに再開する姉と妹。それでも夏希の写真は3年前のものだ。今はどのような姿となっているか零佳も知らないはずである。3年前と同じ姉の姿を前に3年後の零佳がじっと見つめている。写真の夏希よりも今の零佳の方が年齢が上のはずだ。


「あんまり…… 無理するなよ」

 

 今、零佳は姉のことをどのように思っているのだろうか。冷たい画面を通して映し出される姉、長い間見ることのなかった姉の顔を見てどう感じたのだろうか。


 死刑囚として投獄されている姉を悲しむか、或いは地震の生活を大きく壊してしまった仇として憎しみを抱いているのか。ただ両端へ行くような単純な感情ではないだろう。


 そう思えば冬香の口から気遣うような言葉は出なかった。ただ、黙って見つめている零佳の言葉を待つしかなかった。


「冬香さんは…… 他の人と違いますよね」


 数分後、零佳の口からそんな言葉が出た。


「違う……?」

「ええ」


 零佳はゆっくりと身体の向きをこちらへ移す。


「皆、わたくしの姉を見たら親を殺した犯人ひとを見るような顔つきになるんです。敵意を剥き出しにして憎悪を膨らませる……」


 全員がそうではないにしろ少なくとも夏希の顔を見て良い顔をする人は少ないだろう。平和の象徴を抹殺した存在。そんな許されない存在がまだこの世で生きているのだ。それだけでも嫌悪を抱く人だっている。売木夏希は憎しみの象徴・・・・・・となってしまったのだ。


 零佳はそんな前置きを据えて「でも……」と続ける。


「冬香さんは違った。私が売木夏希の姉であると話した時も、私を見る目は変わらなかった」


 北塩原村へ逃げてきたあの日、零佳は冬香に打ち明けた。自分自身を受け入れようとする冬香へ突き付けた己の烙印レッテル。自分の身の境遇を話せば自然と離れていくものだと、噛みつかれるものだと思い込んでいたが…… 冬香は違っていた。打ち明けたって零佳に対する眼差しは変わらなかった。初めて出会った売木零佳を一人の人間としてずっと見ていてくれていたのだ。


 だから、本当に感謝していると……そして、話さないといけないことがあると……零佳から続けられた。



「零佳…… 前にも言ったことがあるよな」


 零佳の思いを静かに聞いていた冬香がそっとそう述べる。その口調はいつもより強めであった。


「ウチもかつては軍に属していたことがあったって」


 もう10年ほど前の話だ。冬香は少しの間、国の軍に属していた。夏希の所属していた皇軍とは違う日本軍……通称本軍と呼ばれる軍隊だ。10万の兵を持つ皇軍以上・・の規模を持つ国の本隊である。

 皇軍はエリートしか入ることが出来ない国の最高峰の軍であるため、そこまでの実力が無かった冬香はそこに所属していた。


「その当時からずっとこの国に対して懐疑的な感情があったんだ。こんな、前にに起きた事件を今になってこねくり回して報道するようなやからの方がウチは嫌いだね」


 それに自分の目で確かめず、得た情報だけで人を批判する人間はもっと嫌いだ……と冬香は小さな声で吐き捨てる。


 その言葉を聞いた零佳は少しだけ顔をうつむかせ「冬香さん……」と呟いた。


「だからこそ、冬香さんとはしっかりと向き合って話すべきだと思ったのです。たとえ興味が無くともこうして生活を支えて頂いている以上はわたくしに一つのケジメ……つけさせて下さい」


「──っ!」


 一瞬だけ向けられた強い眼差し。冬香は思わず少しだけ身を退いてしまった。

 向けられた目線、ほんの少しだけであるがかの姉を彷彿ほうふつさせるようなものであった。

 

 やはり、姉妹なのか……


 時折見える夏希の片鱗へんりん。どんなに見た目が異なろうと血縁というものは抗えぬものなのか……


 妙なことを思い始めていることに気づき冬香はそっと顔を振り払い、再び零佳と目線を合わせた。


 それで零佳が腑に落ちるのであれば心して聞こうと、冬香は思う。

 個人的に零佳に興味が無いわけではない。野暮に首を突っ込まないだけで、気にならないと言えば嘘になる。気になることなんて挙げてしまえば際限キリが無い。

 3年前の大事件、あの時一体何が起きたのか、零佳の身に何が起きたのか、ここへ来るに至るまでどのようにしてきたのか……そして、姉についてどう感じているのか……。


 重い重い蓋が開けられる……


 冬香は無意識に唾を飲み込んだ。開けてはいけない箱を開けるような感覚だ。そして聞いた以上、もう戻れなくなるような…… そんな気さえしてしまった。


 そして零佳の口が小さく開かれた……その時であった。





 

 部屋のふすまが勢いよく開けられた。


零姉れいねえ! ここにいたー!」


 2人の視線の先には幼い少女が立っており、2人が反応する時間も与えず少女は零佳の姿を見た途端声を上げながら騒がしくこちらへ駆け寄って来る。

 

 赤い色の和服姿に右手には人形のようなものを持っており、その幼い少女はつたない足取りで零佳の元へ駆け込めば勢いそのまま胸元に飛び込んだ。


茉里まり!? どうしたの?」


 零佳はそっと抱き止めながらも困惑の表情を浮かべる。しかしながら茉里と呼ばれた少女はそんなこと構わず「零姉、零姉」と胸元へとうずくまって甘えるような声を出していた。


「零姉聞いてー」  


 何かを訴えるような口調で茉里が顔をあげれば彼女の顔が視界いっぱいに広がる。赤い頬に日本人形を思わせるような黒髪が特徴的な少女だ。まだ8歳のあどけない子供だが、戦争で両親を失った辛い過去を持っており、孤児になってしまったところを冬香に拾われた。

 しかしながら今となればそんな辛い過去も一切顔に出さず子供ながらに宿の仕事をこなしており、とりわけ零佳のことを姉のように慕っている。


 そんな茉里が朝早くから目元を潤ませており、頬に小さな涙はこぼれ落ちていた。

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