会えぬ再会
「えっ……」
はっきりと聞こえた。聞こえてしまったから冬香は言葉を失ってしまったのだ。
気になるからテレビをつけて欲しい。そんな零佳の意向がしっかりと冬香の耳に伝わった。
けれどあまりにも思わぬ発言であったため、一瞬空耳かとも思えた程…… 耳を疑ってしまった。
気になる……
それまでの零佳のことを考えれば衝撃的な発言としか考えられない。
零佳は今までこういった事件関連の話は全て
もちろん冬香はそんな
「あの事件についてどう思うか」と問われれば「私も残念に思います」と
「どうしてあんな事が起きてしまったのか」と振られれば「私も同じ気持ちです」と
そんな時があったとしても零佳は常に
正直、冬香ですらもその
当然零佳からそのような話が出されるようなことも無かった。2年半一緒に暮らしていてたった一度だけ…… 零佳と冬香が初めて出会った時にだけ零佳は自ら素性を語った事があるがその一度だけである。
だからここにきて零佳の口から「気になる」といった言葉……
「気になるって…… 零佳……」
意図が読めなかった。
零佳と長く暮らしているものの、思えば未だに零佳について知らないことが多くある。
彼女がここに来るまでどのような生活をしていたのか…… それすらも知らない。
それはお互いが自分自身について語ることが無かったから。
語る
踏み込むことを恐れたから。
けれどそれで良かったのだ。曰く付きであればそれで良い。言いたくないことは言わなくても良いという冬香の考えがあったからだ。
だから触れなくても良い。建てられた砂の城へわざわざ触れる必要なんてないという冬香なりの思い遣りでもあった。
だから当然、本人が3年という年月を経てあの事件をどのように消化しているのか知る
「無理するな。気を遣っているのか?」
零佳はあの犯人の妹なのだ。他人なんかではない。
あの事件をきっかけに自身も大きな打撃を受けた筈だ。現に
そんな思い出したくもないであろう事件について「気になる」だなんて……
「いえ、そういう訳ではありません。ただ、少しだけ……興味があって」
顔つきも声色もいつもと変わらない零佳のままである。ただ、その決意を固めたような眼差しだけが冬香に訴えかけていた。
零佳はゆっくりと沈黙しているテレビの方へ身体の向きを変え、思い返すように言葉を紡ぐ。
「もう、3年も経つんですよね…… あの事件から……」
一体何を思っているのか分からないが、わざわざ触れることなんてないはずだ。ここにきて零佳の中で何かが動いたのだろうか。
このまま電源を付け直すというのもなかなか
「あぁ…… だがいいのか零佳?」
冬香の問いかけに「はい」と小さな声で返事をする。
「
「失礼な事……? 何を言っているんだ零佳」
突然に受けてしまう謝罪の言葉。
だが冬香自身はそんな事は一度たりとも思ったこともない。なぜ零佳が罪悪感を抱いているのだろうか。逆に謝りたい程働いてもらっているというのに……
「冬香さんは、
「あぁ、忘れたことはないさ」
あの売木夏希の妹である。どんな長い時間が経とうと血縁だけは絶対に変わらない。零佳にとっては負の
「ですが…… 私は今まで、それ
どことなく、思い耽るような表情を見せる。
話したことはない。確かにそうだ。お互い触れないでいたまま、いつの間にかその存在が
それを零佳は悪い事だと思っているのだろうか。失礼だと感じているのだろうか……?
冬香はゆっくりと腕を組んだ。
「話したくない過去の一つや二つあるだろう。誰だってそうだ、触ってほしくないものがある。そんな事をわざわざ詮索する必要があるのか……?」
冬香自身だってそう人に言えるような過去を持ってはいない。むしろ永遠に閉じ込めておきたい事の方が多いのだ。自分で蓋をしたもの、蓋をすると決めたものをあえて語る必要なんて全くない。
「もとより、ここの宿で働いている連中はみんな
宿の子一人一人が皆輝かしい過去を持っている訳ではない。むしろ辛い過去ばかりだ。けれどもそんな辛い過去があろうとも、ここの宿の子は皆元気に前を向いて仕事をしている。
それで十分だ。それ以上何を求めるというのか。過去と決別をして前を向くことすら容易いことではないというのに。
だから、零佳には過去を引き
「冬香さんは優しいですね。本当に……」
そっと虚空を見上げる。
「零佳、改めて言うが、過去に……いや、自分自身に負い目を持つのだけはやめときな。アンタは真面目すぎるところがあるからさ」
零佳は夏希の妹という存在だけではない。今となれば宿で頼れる一人の従業員でもあり、皆から慕われる友人でもあり、年下には気遣うことのできる母のような存在でもあるのだ。
──夏希の罪だけで零佳が否定されてたまるか。
感情が湧き上がり宥めるようにして茶を流し込んだ。
そもそも夏希と零佳は異なる人間なのだから、負い目を感じる方がおかしな話だ。裏を返せば血の繋がりしかない。それ以外に零佳にしかないものはいくらでもあるはずである。
「そうですよね。お心遣いありがとうございます…… でも……」
真っ直ぐ、冬香の瞳を見つめてくる。透き通った彼女の蒼い眼差しが心中まで読まれているような気がした。
「……はぁ」
根負けだ。こうなった零佳は止めることができないと分かっていたので、元々張り合おうなんて思ってはいなかったが……一体どうしたことだろうか。
ため息混じりに冬香は立ち上がり、前屈みになりながらブラウン管テレビのスイッチを押した。
『事件から3年程経ちますが、未だ人々の記憶から薄れることのない衝撃的な事件で──』
またも機械のような男性の声が室内に響き渡る。聞き続けていても居心地が良いものではないと思ったのか、冬香はそっと音量を下げそのままテレビから離れた。
移りゆく画面。当時の様相や関係者の話、考えられる考察など次々に挙げられる。本当に、毎日毎日よく飽きずに放送できるものだと逆に感心してしまう程だ。
とてもではないが、冬香は画面に集中できなかった。横に座り画面を見つめる零佳の表情を伺うことに気を取られていたからだ。
少しでも…… ほんの少しでも辛い表情を見せたら電源を切る。そんなことを考えていた。
けれど零佳の表情は一向に変わることはなかった。一切崩れるようなことはなく番組の行方を黙って眺めていた。
綺麗な顔つきに吸い込まれるような瞳。長いまつ毛とただ正座をしているだけでも様になる。本当に美しい女性だと、冬香は思わず見惚れてしまう。
こんなお
普段の零佳を知っているからこそ悔しい気持ちになってしまう。
あの事件で全く関わりのない彼女がどうしてこんなに辛い思いをしているのだろうか。本当に腑に落ちない。
「……まだ、姉は執行されていなかったんですね」
独り言のようにも、冬香へ話しかけているようにも聞こえた。
けれど、どう反応すれば良いのか言葉が見つからず冬香は黙るしかなかった。
『事件の犯人である、売木夏希はかつて皇軍所属、皇室の
ナレーターの言葉に合わせて犯人の顔写真が映し出される。
目元はくっきりとしており、神秘的な零佳のものとは対称的に強い意志を、強い正義感を感じる眼差しがとても印象深い。
整った眉に、綺麗な鼻筋から成る顔立ちはあの事件の犯人であっても本当に美しいと思ってしまうほどである。
そして黒い翼のように降ろされた長い漆黒の髪は夏希を象徴するそのものであった。
刀を扱い
けれどそんな美しい女性の下には『売木夏希死刑囚』と全く似合わないテロップが添えられている。事件の全容を知らない人間からこの人が犯人だなんて言っても信じてくれないだろう。
何度見ても見惚れてしまう程に美しい…… 不覚にも冬香は心を奪われてしまっていた。けれど、零佳とはあまり似ていない…… そのようにも感じてしまっていた。
皮肉にも美しい女性が犯した犯罪故、より一層印象深くなってしまったこともあるだろう。
そんな夏希の顔を零佳はただただ無言で見つめていた。
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