人形

「どうしちゃったの茉里まり? 朝から泣くなんて……」


 近くにあった手拭ハンカチでそっと涙を拭ってあげると茉里は泣きべそをかきながら右手に持っている人形を掲げ見せてくれた。その弾みでふわりと白い何かが舞い上がる。


「ちぃが壊れちゃった! 零姉ー!」

「ちぃが……?」


 人形を両手で受け取りながら零佳は戸惑いの声をあげた。

 『ちぃ』というのは茉里のお気に入りの布人形のことだ。聞けば亡くなった母親に作ってもらったようで、その姿も黄色を基調とした和服に切り揃えられた黒髪姿はどことなく茉里に似ている。恐らく母親が茉里のことを案じて寂しくないように彼女を模した人形を作ったのであろう。

 そんな茉里にとっての宝物であるちぃだが、見れば首がげて頭と胴体が分離した状態になっているではないか。


「あら……本当ね……」


 渡されたちぃをゆっくりと回しながらその様相を確認する。一つ一つ手でしっかりと作り込まれており、母親の想いがしのばれる人形だ。


 首元から白色の綿が噴き出していること以外はなんともなさそうである。えば直ぐに直せる程度の傷だろう。

 

「こぉら、茉里! またちぃを乱暴に扱って!」


 ちぃが壊れてしまうのは何も今に始まったことではない。一緒に持ち運んでいることが多いためか何かにつけて破れてしまうことが多発しておりその度に零佳に直してもらっていたのだ。


 今日も例に漏れず雑に扱って壊してしまったのであろう。そう思った冬香は呆れながら茉里に向かって注意するも、直様に「違うもん!」と反論されてしまった。


「乱暴に扱ってないもん! 茉里が朝起きたらこうなってたの!」


 ぷくりと頬を膨らませながら冬香に向かい口を尖らせる。


「朝起きたらって…… はぁ」


 再び冬香は呆れ顔を作り大きく息を漏らした。はっきりと言い切られたものだから反論する気にもなれなかった。

 それが事実ならなんとも気味が悪い話なのだが、果たしてそうなのだろうか。別に茉里を疑っているワケではないが、そんなことを直様信じろと言われても無理な話である。


「本当だって! 信じてよ零姉れいねえ!」

「信じているわよ、茉里」


 その言葉を受けた茉里は安心したのか少しだけ頬を緩ませた。あれだけムキになって言うから本当のことなのだろうか……


 いずれにせよ零佳の話が途切れてしまったし、ここから話し始めるなんてことも厳しいだろう。


 今は茉里をなんとかしてやってくれ……そんなメッセージとも取れる目線を零佳へアイコンタクトを飛ばす。それを受けた零佳は理解したのか軽く目を伏せた後、もう一度零佳の手に持つ『ちぃ』へと視線を向けた。


 茉里の感じからして嘘をついているようには思えない。だが…… 何より気になるのは、欠損された場所だ。

 よりにもよって首。零佳は不吉な予感がしてならなかった。


「零姉直せそう?」


 心配そうに伺う茉里に対し、零佳は優しい母親のような声で「大丈夫よ」と言いながらそっと茉里の頭を撫でる。それを受けた茉里は嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、零佳へと抱きついた。


「ありがとう、零姉!」


 その喜びようをそばで見つつ、冬香はそっと頬杖をついた。

 

 零佳も少し甘やかしすぎではないかと感じるところもあるが、あんな嬉しそうにはしゃぐ茉里を前にすれば何も言えなかった。

 

 母親のいない茉里にとって零佳は母親のような、姉のような存在となっていた。ずっと暗い顔ばかりしていた茉里を変えてくれたのも零佳であり、零佳が来てくれたお陰で「毎日が楽しい」とまで言ってくれるようになった。

 そういった過去を知る冬香は、ふっと口元を緩ませながら2人のやりとりを黙って見守る。


 まるで親子だ。零佳が母で冬香が父で……それに見守られる子…… お互いの境遇を忘れてしまうような空間が出来上がっている。こんな時間がずっと継続つづけばと思ってしまう。



「すまないな、零佳……いつもいつも」

「お気になさらないで下さい」


 けれど、いつかこんな時間も終わりがやってくる。零佳も、茉里もそれぞれの過去を持っておりそれぞれの人生があるのだ。この宿を出る時がいつか来る。その時は笑顔で見届けることが出来れば女将としてこの上ない喜びであろう。

 その日が何時の日か分からない。でも、いつか必ず……


「茉里もいつまでも零佳に頼ってばかりじゃダメだぞ」


 茉里へ向かって声を飛ばすも、やまびこのような速さで「わかってるもーん」と元気の良い返事が戻ってきた。冬香の忠告はもう聞き飽きてしまったようで、零佳へ強くしがみ付きながら悪戯っ子のように「べっ」と舌を出した。


 ──全く。 という冬香の声は恐らく二人に聞こえていないだろう。自分も自分で本当に子供には甘いとついつい思ってしまう。


 子供というのは無邪気でやんちゃで……本当に愛おしい。一緒にいるだけでその場が明るくなる、生き甲斐を与えてくれる存在だ。

 そしてありとあらゆるものの未来でもある。だからこそ守らないといけない……


 茉里を見つめながら冬香は秘めたる思いを噛み締める。


 茉里のような幼い子が将来安心して暮らせるように、自分達大人が支えていかないといけない。楽しく、充実した日々が送れるように変えていかないといけないと……



 その思いは一緒なのか、零佳も冬香と同じように『平穏』な窓の外を眺めた。ちょうどうぐいすの親子が飛び交い思わず目で追ってしまう。


 今日は本当にいい天気だ。きっと今日も無事に終わってくれるだろう。

 茉里が来てしまったのは予想外であったが、茉里は零佳に任せて話の続きはまた後に聞くことにしよう。

 

 そう思い仕事に戻ろうと冬香はゆっくりと腰を上げた……その時であった。


 茉里が何かに気付いたかのように突然「あー!」と大きな声をあげた。和室の柱がほんの少し震える程、勢いのある声であった。


「急に大きな声を出して、一体どうしたんだ?」


 冬香が視線を落としながら茉里に問いかけると、彼女はテレビ画面を指差しながら「茉里知ってるよこの人!」と続けた。向こうにあるのはつけっぱなしでいたブラウン管テレビだ。


「この人……?」


 零佳が茉里に合わせて振り返る。依然として電源がついたままのブラウン管テレビ、小さな音で無機質な男の声を流しており、その画面にはかつて寝食を共にした姉の姿が映し出されていた。




「うん、ナツキっていう皇女様を殺しちゃったすっごい悪い奴だよね! 茉里知ってるよ!」


「えっ……」


 一瞬空気が固まったような……そんな気がした。冬香の中では少なくとも、あの一瞬だけ息ができなかった。


 零佳も戸惑うような声を出してしまったものの、表情一つ崩さずそっと茉里の頭を撫でた。


「よく知ってるわね……」


 冬香ですら、茉里が皇女暗殺事件の犯人を抑えているだなんて知らなかった。今は茉里みたいな小さな子供でも知っている程に知名度は増してしまったのだろうか。


 撫でられた茉里は機嫌よく「凄いでしょ!」と胸を張る。


「茉里、もう字が読めるしナツキっていう女が皇女様を殺した悪い奴っていうのも知っている! 偉いでしょ!」



 ──勝手なことを……!!



「茉里!!」



 耐えかねた冬香は机を両手で叩き声を荒げた。ただ、つい感情が入りすぎてしまい思った以上の声が出てしまった為、すぐに我に帰る。そして我に帰った後、おびえる茉里の姿を前に後悔してしまった。


「え…… ど、どうして怒るの……?」


 肩を震わせながら小さくうずくまる茉里。冬香も自分がどうしてここまで感情を荒げてしまったのか分からなかった。

 茉里が勝手なことを言っていたにしても、ここまで怒鳴る理屈なんてない。茉里はただ理不尽に怒鳴られてしまったのだ、戸惑うのも当然の話だ。


「い、いや…… すまない、茉里……」


 年甲斐もなく感情に任せて大声を出してしまった。そんな自分が情けなく、冬香は悔しさを滲ませた。そんな中、零佳は色々察したのか怯える茉里を優しく抱き締め、背中を摩った。


「そうね、悪い奴…… 茉里はよく知っているわね」


 いつもと変わらない零佳の声。優しい、姉のような零佳の声だ。耳にすれば安心してしまうような声…… そんな声に茉里は何度もささやかれ、肩の震えは徐々に落ち着きを取り戻していった。


 暫くすれば茉里は顔を上げて零佳の顔を見つめる。そのタイミングで零佳は茉里の背中を軽く叩き抱き終えた。


「さ、ちぃを直してあげるから今日もお仕事頑張ろうね」

「うん!」


 笑顔に戻った茉里が『おっしごと! おっしごと!』と歌い始めた。


 零佳はテレビを消し冬香へと一瞥いちべつする。そして踊る茉里と手を繋ぎながら部屋を後にしてゆく。


 冬香もそれに続くようにため息を漏らしながら仕事に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る