血が悟る運命

 零佳から送られた林檎りんごは格別であった。一口食べれば甘い果汁がとろけるように口の中で広がっていくのを感じ、相変わらず零佳の目利き力に感嘆するばかりである。まだ残りの果物もいくつかあるからいたまないうちに食べないといけないが……


 そうはいっても、小さな冷蔵庫にはいりきる量でなく、やむなく箱のまま部屋の隅に置いたままにしておいた。北城村の涼しい気候であればそんなに大きく傷むことはないだろう。なんなら外の方が寒いくらいだ。



 本当に零佳は沢山の果物を送ってくれた。とてもありがたいと感じながらも、桜は冷蔵庫具合がふと気になった。


 果物は多く入ったものの、他の食材があまり残っていなかったことに気づき、その場で顔を上げて、絆を呼びかけた。


「今日の帰りに買い物へ行くから、少し遅くなるかもしれない」

「うん、わかった」


 食材を買うことを伝えると、即座に向こうから返事が聞こえてきた。

 


 朝食を食べ終え、桜と絆は学校へ向かうべく制服に着替えていた。


 北城村ほくじょうむらへ引っ越した後、桜は近くの──とはいってもバスで乗り継ぐ程には距離がある──高校に通っていた。大変受身気質の学校であり、申請をすれば誰でも通える学校であった。

 

 絆も桜と同じくして中学校へと通っている。絆の場合は歩いて三〇分程の距離に位置するとても小さな学校であり、生徒数もごくわずかだ。


 二人とも学校側から便宜を図って頂き、苗字を『高山』と名乗りながら、かろうじて学校生活を送ることができていた。


 そんな華やかな学園生活ではない。最低限の教育施設かのように見られ、これといった学校イベントも無く教師陣のやる気も薄い。その為淡々とした日々が続いていた。何もない、登下校する日々が。


 それでも、自分のやれる事は精一杯やる。この学校に通うことで、どういった将来になるか考えたこともあったが、目の前の事をやり切るしかないだろう。


 桜はそう思い白を基調としたブレザーに手を通す。まだまだ夏服にならない程寒い。カバンの中にカイロでも忍ばせた方が良さそうだ。


 黒色のスカートの下、長めの靴下を履き桜は立ち上がり、どこかにほつれがないか、身体を拗らせながら全身を見渡した。


 ブレザーにスカートと桜が着ればそれなりにサマになる為、男から声をかけられることも少なくなかった。目つきが怖いと良く言われるが……


 寝癖も整え始めた頃、軽快な足音がこちらへ近づいて来る。


「お姉ちゃん、準備できた!?」


 白色のセーラー服と深い蒼色のスカートと…… 中学校の制服姿の絆が小走りでやって来た。初めて着た時は大きくぶかついて・・・・・いたが、今となっては丁度良い大きさになっている。絆も成長したということだ。


「あぁ…… あっ、絆……」


 桜はふと何か気づいたように絆の背中をさすりながら、曲がったえりに手を添えた。


「襟…… 曲がっていたぞ」

「えへへ…… 気付かなかったよ。ありがとう」


 最近、毎日が充実しているのだろう。襟に触れながら鼻歌混じりで小躍りする絆を見てそう感じた。

 

 絆にとって学校は桜以外の人と話せる数少ない場所であり、彼女なりに楽しく過ごしているのが伺える。直接本人には言わないが、一つ一つの仕草で大体分かる。きっと良い友達が出来たのだろう。


 初めて来た時は本当にどうなるかと思っていたが、目の前で楽しそうに笑みを浮かべる絆の様子を見れば何も言うことは無い。うまくやっているなら何よりだ。



「うーん、いつも思うんだけど」


 そんな小躍りする絆であるが、ある瞬間ぴたりと停止し桜へ向かって身を屈み込みながらまじまじ・・・・と見つめ始めた。腰に手を当てて「うーん」と唸る仕草はまるで珍しい生き物を見るかのようだ。無言で見つめられる桜は当然にも居心地が悪くなってしまい「どうした急に……?」と戸惑いを見せてしまうことに。


「学校で色んな先輩達を見てきたけど…… お姉ちゃんってやっぱり美人だよね」

「突然どうしたんだ、絆……?」


 何の脈絡みゃくらくも無くそのような発言を受け、桜は少しだけ頬を赤らめてしまった。他の人に言われるのならまだしも、急に妹から言われるとどうも反応に困ってしまう。とは言っても絆が変な目論みを抱き発言しているとも言い難い。

 

「だってスタイルも良いし、顔も綺麗だし、お姉ちゃんが羨ましいなあって思っただけ!」

「そ、そうか……」


 相当機嫌が良いのか分からないが、絆が褒めてくれることに関して悪い気にはならなかった。先程零佳の写真を見たことから、絆も色々思ったのだろうか。

 


 顔か……


 

 絆に言われてふと何かを感じ、桜は確かめるように自分の手で頬に触れた。

 

「うん! 美人なお姉ちゃんをもつ妹は鼻が高いよ」


 美人なお姉ちゃん…… 絆の言葉は桜自身も共感していた。

 強くて美しい姉…… 憧れの姉を持っていた桜にも、絆のその気持ちは察することができる。


 そしてあの人・・・の面影が自然と頭の中をよぎってしまった。自分が憧れを抱いた姉のことを……


 桜はゆっくりと部屋に置かれた小さな鏡の前に立ち、自分の顔をのぞき込んだ。


 

 ……やはり、似ている。



 桜は夏希なつきと顔立ちがよく似ているのだ。あの皇女を抹殺した犯人が鏡の中に写っている、そう言われると何人かはだまされるのではないかというほど…… 似ている。


 特に目元…… 強い正義感を誇示しめすような眼差しは、まさに夏希の持つものと同じであった。

 幼い頃からずっとずっと似ていると言われ続けて、ついにここまで至るのかと……


 鏡を見るたびにその遺伝を呪いたくなる気持ちにもなる。


 まるで、夏希は桜の運命を先行く存在であると思えたからだ。


 事件以前は、夏希の生まれ変わりのような自分の顔立ちが、ここまで自分を苦しめるのかと思ってもいなかった。


 それでも以前は、あの夏希に強い憧れを抱いていたのは事実だ。自分の将来があの強く美しい姉のようになろうと、目指していたのもまた事実。それは顔が似ているからということも一枚噛んでいたのかもしれない。

 

 桜にとって夏希はそれ程思いの強い存在だったのだ。


 夏希姉さんみたいになりたい、夏希姉さんのようになるにはどうすればと考え続け、あの姉を追いかける日々が事件当日まで続いていたのは自分でも認めている。



『桜を見ていると、小さい頃の私を思い出すよ……』


 ある日、夏希からそんなことを言われた。姉を追いかけ続けていた桜にとって、とても嬉しかった言葉であった。きっと夏希も桜に対しては他の妹達以上に特別な感情を抱いていたのかもしれない。

 何故なら夏希にとって桜もまた、幼い頃の自分と照らし合わせていたからである。


 だから、お互いがお互いの運命をなぞるような存在であると意識していた。桜は夏希のことを、夏希は桜のことを……


 けれど、今ではそれを断ち切らなければならなかった。姉を追いかけた過去も、そして呪われた血縁も。


 しかしながら皮肉なことに桜は日を追うごと、姉に似るようになる。容姿もそうだが、最近は声や話し方まで似てきたと絆より指摘された。ずっと夏希を追い続けていた影響からか、はたまたそうでないのかは分からない。意識していなかったから、初めて絆に言われた時は頭が真っ白になり何も言うことが出来なかった。


 このままでは、きっと夏希と同じような道筋を辿るのではないか……?


 そんな事を考えていた自分が嫌になり、ある時桜は髪を短くした。姉を彷彿させるような長く伸ばした黒髪を辞めてばっさりと首元まで切り、少しでも姉の面影が出ないように抵抗をしてみせた。


 それだって鏡に映る自分を見れば、それもほんのささやかな抵抗に過ぎなかったとさとる。



 私と夏希姉さんは別の人間だ。考え方も何もかも違う別の人間。

 だから、この先に迫る運命だって必ず別のものになるはずだ。


 

 そう暗示する自分ですら、未だ姉によってとらわれているのではないかと錯覚してしまった。


「あ、でもお姉ちゃんは考え込むとすぐ顔が険しくなっちゃうから、そこは注意しなきゃ。せっかくの美人な顔なのに怖い人だと思われちゃうよ」


 いつの間にか怖い表情をしてしまったようだ。姉譲りの眼差しは油断していると直ぐに矢のような鋭い視線へと移り変わる。

 

 絆の言う通りだ。桜は「そうだな」と首肯し、二、三回まばたきをしながら一歩絆へと近づいた。


「絆も可愛いと思うぞ。料理もできるし、面倒見は良いし、明るく素直だし──」

「そ、そうなのかな…… 嬉しい」


 肩に手を乗せながら揶揄からかって見せると絆の頬も徐々に赤らめ始めた。

 バイタリティ溢れる目元を緩ませ、嬉しそうに両手で頬を押さえながら照れ隠しをする。


 当然、絆は姉達の誰にも似ていない。姉妹の中で涅色くりいろの髪を持つのは絆のみである。

 それは、絆は桜達と違って生まれ元が違うから。血を引いていていないから。


 絆は十年前にある男から連れられて売木家に来た。それが出会いであったことから、 桜とは血の繋がっている姉妹ではなかった。


 でも、今となっては本当の姉妹である。少なくとも桜はそう思っていたし、血が繋がっていないからといって、絆もへそを曲げるということも無かった。

 

 そんな絆がどことなく嬉しそうに目の前でもだえている。

 

 そう、絆には既に伝えてはいるのだ。自分達とは違う親で産まれているということを。

 

 初めて伝えた時は予想外にもあまり驚いてはいなかった。


 それとも、姉達をあまり心配させないようにと、驚きを見せなかっただけなのかもしれない。

 

 何にせよそのような現実を絆なりにどのように受け止めているのか…… 桜は知る由もなかった。

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