姉に想いを馳せて

 外にたたずむ八方山は相変わらず綺麗だ。突然に壊された日常…… ある日から生活環境が一変したさくらにとって毎日見ても変わらない八方山は安心感を与えてくれるものであった。


 あの日から家族と離れ離れになってしまった。夏希なつきを含む多くの姉達とは連絡が取れなくなり、友人もまたしかりだ。桜と絆、たった二人で見知らぬ地で生活を送る日々が始まった。


 けれど幸福な方なのかも知れない。本来なら寝場所もないような生活を余儀よぎなくされるところを、友人の力を借りて、なんとか居住できる場所を見つけることができたからである。東京まちから遠く遠く離れた長野の北城村ほくじょうむら。逃げるという意味では十分役目を果たしている場所だ。


 それでも三年前、この地へ初めて来た当初は只々ただただ不安ばかりがつのり、寂しく、帰る家もないはずなのに「帰りたい」と思ってばかりいた。

 毎日が心苦しく、何時いつまでこんな生活を送り続けるのだろうと寝れない日も続いた。


 月日が経つにつれ、年齢としを重ねるにつれ、徐々にそのような感情は緩和やわらいだものの、これからどうするべきかと言う自問自答のみが度々桜の頭の中で繰り返されていた。

 

 

 どうして、私の姉が……



 いつも、いつも思い返す都度たびに付随する一つの疑念。

 あの時は自分と絆の身を守るのに必死で事件について考える時間よゆうが無かった。夏希の動機など、事件についての説明も一切聞かされていない。当然ながら会うことすら出来ていない。

 何も知らないまま命からがら北城村へ駆け込んだのだ。


 そう、未だに疑念は残ったままだ。


 三年経った今では自分の中でやりきれない気持ちを無理矢理咀嚼そしゃくし、なんとか消化しているものの…… それだって疑念の根が消えるわけではない。


 だが、それを…… 夏希について追い続けるのも不可能な話であろう。

 何処かで落とし所をつけるしかない。


 そう分かってはいた。姉は死刑囚の身で三年間囚われているが、いずれは死ぬ運命になる。それに一人でどうこうできる問題でもないから、諦めて前に進むしかないと。

 頭の中でどんなに思考を巡らせようとも、結論に辿り着くことなどない無駄な行為であると。



 けれど…… もう一度…… 会いたい。



 夏希姉さんに会って話をしたい。



 残った疑念を噛み続けても尚、心の底からはかない願いが湧き出てくる。もう一度『夏希に会いたい』という、妹としてのシンプルなものであった。


 周りは自分の姉…… 夏希のことを猟奇りょうき的な性格をもった殺人鬼のように仕立て上げる人が多かった。だが、本当の姉は決して人をあやめるような人物では無かった。


 強く、逞しく、凛々しく…… そして美しさを兼ね備え……


 それこそ自分にとって夏希の妹であることが、とても誇らしかった。

 

 ある日突然行方を眩ませた両親の代わりに、家族を守り続けてくれた。正義感に溢れ自分にとって剣術の師でもある姉。

 大きな憧れをいだかせた姉。


 そんな夏希にもう一度会いたい。例え夏希がどんな姿に成り果てようとも、もう一度だけでもいいから会って会話はなしをしたい。どうしてそんな誤ちを犯したのか、せめて知ることができたらと思う。


 ──それも叶わぬ願いだ。


 これから会うことなく彼女は刑に処される。会えずに彼女は死んで永遠に謎のまま…… 桜達に何も告げないままこの世を去るだろう。

  

 闇にほうむられたまま、咀嚼そしゃくされなかった残骸ざんがいのような疑念が残ったまま、長い年月を過ごすことになるのだろう。

 

 そんなどうすることもできない自分に対して桜は苛立ちを覚え、つい歯噛みをしてしまう。



「お姉ちゃん、出来たよ!」


 声が聞こえ、桜ははっと目が覚めたように視線を落とした。


 いつの間にかテーブルの上に朝食が並んでいる。絆が調理つくった味噌汁と菠薐草ほうれんそう小鉢こばち。ふっくらと炊かれたご飯の横には焼き魚が添えられており、香ばしい匂いが鼻腔をかすめる。

 この朝食に、珈琲は合わないと絆が思ったのか、桜の湯呑ゆのみには緑茶が淹れられていた。ほのかに感じる優しい茶葉の香りが鼻腔を掠め、気立った桜を落ち着かせてくれた。

 

 自分の世界に入り込みすぎて、目の前に気付いていなかった。あまり考え込まないようと意識はしている筈なのに、思考の沼にはまってしまったようだ。

 

 やはり、物思いにふけるのは良くない。負の感情は不思議なもので、連鎖を引き起こす。そしてやがては、不幸なことまで引き寄せてしまうものだ。


 過去のことをいつまでも、掘り返していては未来も浮かばないだろう。


 前を向いて進もうとしている絆を前にして、桜はつい申し訳なさを感じてしまった。


「そ、そうか……」

「どうしたの? ぼーっとして……」


 どことなくたじろぐ桜を目にして、絆は小首を傾げる素振りを見せる。素振りをするだけで変に言及はしなかった。姉も疲れているのだろうと勘ぐりつつ、絆はそっと赤い箸を渡した。


 下を向いても仕方ないと、桜は前を向いて絆と目を合わせた。生命感溢れる絆の眼差しは、気落ちした桜を励ましているようにも思え、逆に自分の情けなさを痛感してしまう。


「す、すまない絆」

「何を急に謝っているの? 変なお姉ちゃん」


 一瞬だけ当惑する絆であるが直ぐに「さ、時間が無いから早く食べよう!」とうながし、二人は手を合わせた後、米を口に運び始めた。

 


 沈黙を続けるテレビやラジオ、それ故食卓はただ箸と茶碗が接触する「キンッ」といったはかなげな音のみ残して静寂と化していた。


 以前よりも、しっかりとした味付けとなっていた。出汁だしの扱いも慣れたのか、味噌汁の旨味うまみも増しており絆の腕も上がったようだ。


 とはいえ、桜の箸の進みは普段よりも遅かった。別に食欲が無いわけでも、料理が口に合わないというわけでもない。


 絆もそれには察していたが、あえて触れるようなことはしなかった。姉の考えることなんて分かりきっているからだ。夏希の事…… 大体検討がつく。


 ただ思考へ溶け込む姉の表情はどことなく険しかった。持ち前のいかめしい視線が更にするどさを増しているようにも思える。


 絆自身は桜の特徴をよく知っているので問題なかったが、知らない人が彼女の怪訝けげんな顔を見ると恐らく萎縮いしゅくしてしまうだろう。それぐらい、桜の眼光は鋭さを持っていた。

 

 加えて桜が黙って食事を続けることもあり、空気がり固まってしまったのを絆は感じていた。だから、少しでも張り詰めた空気を和らげようと話題を一つ提供してみる。とっておきの話題だ。


「お姉ちゃん、今日の朝ね、玄関に箱が置いてあったんだっ!」


 そんなことを言えば、桜が顔を上げ一瞬いぶかしげな顔を作りつつ「箱……?」と問い返した。

 疑問符がつくような声色トーンで返してしまったが、桜自身も既に察しがついていた。

 ここに段ボール箱を送ってくれる人といえば、一人しか心当たりがないからだ。


 そしてその一人…… その人物の面影おもかげを思い起こせば、桜の上半身は自然と前にかたむいてしまった。


 まさかと思う。

 

零佳れいか姉さんから来ていたよ! 向こうにある段ボール箱! 美味しそうな果物くだものをたくさん送ってくれたよ」

「れ、零佳姉さんから……?」


 その言葉を受けて、桜は思わず目を見開いた。真っ黒な瞳が小刻みに揺れる。


 零佳とは、桜の姉の一人である。あの事件以来離れ離れになってしまった後も、なんとか連絡が取れるようになった唯一の姉であった。

 今では定期的に仕送りもしてくれて、遠方から励ましてくれる、桜にとって心の支えとなる存在である。


 部屋の隅へ視線を移せば茶色の箱が置いてあり、ちらりと桃や林檎りんごの姿も見えた。新鮮でとても美味しそうなつやを出しており、かなり上質なものと見て取れる。

 

 桜の頬が緩み始めた。先程まで鋭い視線を送り続けていた眼差しが、ここにきてようやく落ち着きを見せる。

 「注意しないとすぐ怖い顔になっちゃうよ」と絆は以前から桜に言っていたけれど、なかなか治すのは難しいようである。


「うん。食後に一緒に食べようよ」


 息を吹き返したような顔を浮かべる桜に、絆もつられて笑顔になった。


「あとね、中にこれも入っていたよ」


 絆より一枚の写真を渡された。戸惑いながらも手に取って確認してみると、裏には直筆のメッセージが記載されていた。


『相変わらず元気にしているかしら? 寒暖の差が激しいから体調を崩さないようにね』


 桜と絆を気遣う暖かいメッセージ。そして表に返せば山奥の絶景とも言える壮大な景色を背景に、和服姿の零佳がうるわしく立っていた。

 黒色の髪を後ろにまとめ、優しい眼差しをこちらに向けている。母親のような暖かな眼差しでありそれに合わせるように、口元は微笑ほほえみを浮かべていた。


「零佳姉さん……」


 嬉しさで声が溢れてしまう。裏につづられた文字、一字一字を何度も読み返しながら零佳の声を思い出す。母性に満ちた春の微風そよかぜのような声であった。


 本人は何気なく送っているのかも知れないが、このメッセージでどれだけ励まされたことか想像しがたい。桜や絆達の生きるかてですらあるのだから。


 零佳は夏希より一つ年下の姉である。北城村へ引っ越す前は一緒に暮らしていた家族で、お淑やかで面倒見が良く、自分達を気遣ってくれるようなとても優しい姉であった。とりわけ、絆はとても彼女に憧れを抱いているようである。

 

 ただ、そんな彼女もあの事件以来追われる身となってしまった。桜達と同様に山奥へ逃げたのだが、その先にある温泉宿に拾われて、今は泊まりがけで仕事をしているようだ。


 長野から遠く離れた福島にある温泉宿。とても会いたいけど、会おうと思って出逢える距離ではない。

 けれど、零佳も向こうで懸命に生きている。そういった事が分かるだけでも、桜と絆は元気を得る事ができた。いつか、会えることを信じて生きる。生きて必ず姉達と再会すると二人は改めて誓った。


 以前は雪景色であった写真の山も、今ではすっかりと緑色になっており、向こうの方が雪解けが早かったようだ。隣で見つめる絆も「すごいなぁ」と溜息にも似た声を漏らしていた。


「零佳姉さんの和服姿、とても綺麗だよね。どうしたらこんなに大人っぽくなれるのかな?」


 左手で涅色の髪をいじりながら絆が「髪を長くすればいいのかな……?」と呟く。その姿を見て桜はふっと笑顔になった。あまり浮かべることが無かった笑顔だ。離れる前は毎日こんな…… 暖かな空気を味わっていたものだと、懐かしさも感じてしまう。



 私も、零佳姉さんみたいに大人であればどんなに良かったことか……



 零佳は見た目もそうだが、性格もとても大人びている。一緒に話していて与えられる安心感が違っていた。現に目の前の写真もそうであるように、人に凄まじいエネルギーを与えてくれる人物だ。


 与えて与えて…… 他人に尽くすような人であった。その懐の深さで零佳なりにずっと家を支えてくれていた。


 夏希とはまた異なった強さを持つ零佳…… 事件が起きた時、自分達を必死に守ろうとしたその目は今でも忘れない。穏やかでもしんが通っており、人間としても心から尊敬をしていた。

 

 そんな零佳も事件が無ければ近々結婚を予定していたはずであった。今現在一人であると見受けられることから、恐らく事件をきっかけに破局してしまったのであろう。彼女もまた夏希によって運命を変えられた人間の一人である。


 そして…… 今日みたく家族の話題が浮上すれば、いつも思う事がある。


 それを絆が代弁してくれた。


「他の姉妹みんな…… 元気にしているかな……」

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