第3話 暗躍・町人達

 さて、一夜明け。普段は朝がめっぽう弱い佐吉だが、この日は一番鶏が鳴くや否や、布団をけたぐるようにして飛び起きて、すぐにその足でもって、知り合いの大工の元へとひとっ走り。

 まだ空も薄暗い中、大工の長屋の障子を手でたたき、


「ごめんよ。ちょいと、急用さ」


 と、一声。大工の朝はいつの時代も早いもので、佐吉の早い来訪に驚くことも文句もなく、は~いと大工の嫁がすすっと障子をひらけば、思わぬ来訪者に嫁は目をぱちくり。


「あれ? さきっつぁん?」

「早い時間にわりいが、旦那は起きてるかい? ちょいと旦那に頼みごとがあってよ」

「ええ。ええ。そりゃあ、起きてるけどさ――あんたぁ! さきっつぁんがおいでだよ!」


 さきっつぁんが? と奥から怪訝な声がしたかと思うと、すぐさま大工の旦那が玄関口へとやってきた。


「へえ? こりゃあ、どうしたこったい?」


 と、旦那も嫁と同じように目をぱちくり。それほどまでに、佐吉は朝が弱いことで有名なのだ。


「なあなあ。おめえさんの仲間に、吉良様のお屋敷の大工仕事に携わってる奴はいねえかい?」


 佐吉のこの言葉に大工、ははっ、と小気味よい笑い声。


「いねえもなにも、吉良様のお屋敷の仕事ぁ、俺の仕事だぜ」

「へえ?! そいつぁ、ひょうたんから駒だ――っと、こいつは失敬。それなら話は早えってもんだ。実はな…………」


 と、かくかくしかじかと昨日のことの顛末を大工に耳打ちする。


「そりゃあ、ほんとかい?」

「ああ、ほんともほんと、俺だってまさかのびっくり仰天、お天道様も大絶叫ってなもんさ。だが、江戸っ子なら、こんな面白そうな話、手をこまねいてみてるわけにはいかねえってもんだろ?」


 江戸っ子の心意気をちらつかせられては、大工も江戸っ子の端くれ。佐吉の話に乗っかってこそ、粋な江戸っ子の華ってもんさとやる気をみせた。


「で、俺はなにをすりゃあいい?」

「おめえさんの覚えてる限りでいいから、吉良様のお屋敷の見取り図を描いちゃあくんねえかい? それと、申し訳ねえが期限は五日間しかねえが、できそうかい?」


 佐吉の頼みを聞くと、大工は心得たりと胸を叩いて、


「ようし、わかった。まかせときな。なあに、五日もいらねえ、三日もありゃあ十分だぜ」


 と、心強い言葉でもって応えてくれた。


「おう、頼もしいねぇ。それじゃあ、よろしく頼むぜ」


 大工に頭を下げ、大工の住居を後にした佐吉が次に向かうは、馴染みの遊女の元。勝手知ったるなんとやら、遊女の元へとつくなり、佐吉は障子を叩くこともせずいきなり障子を開けて、


「おい、ちょうど今、仕事から帰ってきたところだろうが、わりいが、ちょいと話があるんだがな」


 ずかずかと部屋の中に入って大きな声でのたまえば、敷かれていたせんべい布団の中から、にゅっと白い細腕が伸びてきた。その細腕、しっしっと佐吉を追い払うように手ぶりを見せるが、佐吉、それを無視してせんべい布団の横にどっかりと座り込み、


「疲れてるところ、わりいとは思ってるんだよ。だがよ、ちょいと急ぎの用事なんだ。すまねえが、話をきいちゃあくれねえかい?」


 と懇願すれば、細腕の主は観念したか、もそもそと動いて布団の中からのっそりと、生唾ものの一糸まとわぬ艶姿を現して大あくびを一つ。


「さきっつぁん、後生だよ。さきっつぁん達からすれば、今は朝なんだろうけど、アタシにとっちゃあ、今が夜さね。夜はゆっくりとおねんねするもんだって、おっかさんから教えてもらわなかったのかい?」


 遊女はあられもない姿を隠そうともせず、キッ! と恨めしそうに佐吉をにらみつけた。


「だから、こうやって謝ってんじゃねえか、ほれ、この通り」


 まるで仏様を拝むかのように、うやうやしく土下座して遊女に手を合わせる佐吉。はた目から見れば、まるで天女に夜伽を懇願しているようにも見えなくはないが、それはともかく、手を合わせられた遊女は目をまんまるにして佐吉に言う。


「あれ、なんてことだい。さきっつぁんが、アタシなんかに土下座までして頭をさげるなんて、明日は大雨か、それでなきゃあ槍でも降ってくるんじゃないかねぇ」


 くっくっ、と体を揺らして乳房も揺らしながら遊女が笑うと、それに勢いづいて佐吉、がばっと頭を上げて遊女の目を見据えて大見得切り。


「なあ、お袖。この佐吉、おめえにいつも迷惑ばかりかけてきた。そして、今後もおめえに迷惑をかけちまうことだろう。だがよ、そんな俺だって男としてこの世におぎゃあと生まれたとなりゃあ、真の男になりてえって思うもんさ」

「そういうもんかねぇ?」

「ああ、そうさ。男ってぇのはそういうもんさ。だからこそ、テメエの目の前に、真の男になれる機会が転がり込んできたとなりゃあ、そいつをなんとかつかみ取って、後世にまで名を残してえと思うもんなのさ」

「あはははは! そんな都合のいい機会なんて、そうそうあるものかい!」


 かんらからからと高笑いをする遊女のそばに、佐吉、ずずずいっと身を寄せ、声を潜めて耳元で囁く。


「それがよ…………」


 かくかくしかじかと昨日の顛末を説明すると、遊女、佐吉を小馬鹿にしていた表情を引っ込め、変わりに妖艶な笑みを浮かべて、


「へえ……それは、面白そうな話だねぇ……」


 と舌なめずりしてつぶやいた。


「だろう? そこでだ、お袖。おめえに頼みてえことなんだが、おめえんとこの遊郭に吉良のお屋敷の野郎どもとかって来たりすんのかい?」

「来たりするもなにも、入り浸ってる奴が三人ほどいるさぁね。それでもって、そのうちの一人が、アタシに入れ込んでるのさ。まだまだお預けにして遊んでやってるけどねぇ。まあ、明後日に、そいつがまた来ることにはなってるよ」

「そいつぁいい! こうまで都合がいいと、まるで神さんからそうしろって言われてるようなもんだぜ。なあ、お袖。その野郎から、吉良の屋敷の内情を探ってみるこたぁできねえか?」

「そうだねぇ……」


 そうつぶやき、遊女は佐吉に向かって流し目を向ける。


「できることはできるけどねぇ。アタシがそれをやったとして、さきっつぁん、アンタはアタシに何をしてくれるんだい?」

「俺に出来ることなら、なんでもしてやるぜ」

「なんでも、かい?」

「ああ、なんでもしてやらあ。男、佐吉に二言はねえよ」


 それじゃあ……、と遊女は甘い嬌声を漏らしながら、


「今度、アタシんところにきて、抱いておくれよ。最近、さきっつぁんのように、匂うような男ぶりな男と、とんと寝てないからねぇ。このままじゃあ、アタシの女ぶりも落ちるってもんさ。な~に、おあしなんかいらないよ。むしろ、アタシのほうが払ってもいいくらいさ。ねえ。きておくれよ」


 と、新雪のような白い肌を、淡い赤みで染めながら佐吉にもたれかかってくる、甘い香りの枝垂れ桜。

 普通の男ならこの場で抱きたくなるところだが、そこは遊び人の心意気と細やかな気遣い。遊郭の激務から解放されたばかりの遊女を抱くのはまかりならぬと、もたれてくる遊女を軽く抱きとめ、


「ようし、わかった。俺も男だ。おめえの言う通り、しっかりと抱いてやらあな。ただ、それは俺の頼みごとが終わってからだ。それでいいだろう?」

「ああ。ああ。それでかまわないさ。うん。うん。楽しみだねぇ。楽しみだねぇ」


 夢うつつ、といった表情の遊女に佐吉はもう一度念を押す。


「お袖。しっかりと頼んだぜ? おめえにいれあげてる、助兵衛野郎から、吉良の屋敷の内情をちゃあんと探っておいてくんなよ?」

「もちろん。任せといでよ。それで、さきっつぁん、次はいつ、来てくれるのさ?」

「五日後に、また会おうぜ」


 そう言って、佐吉は遊女の部屋から出ていった。

 それから佐吉はその日のうちに、様々な職種の町人達のもとを訪れ、大工や遊女にそうしたように、町人達に吉良の屋敷について探ってくれと頼んでいったのである。

 町人達も佐吉の願いを二つ返事で引き受けて、ここが江戸っ子の心意気の見せ所よと、袖をまくって大立ち回りの大仕事。お犬様への恨みつらみと苛立ちを、これで紛らわしてくれるとシャカリキになって佐吉の願いに応えてくれた。

 それら江戸っ子達の心意気が、吉良の屋敷の情報という形で佐吉の元にどんどん集まっていった。佐吉は佐吉で、集まった情報をかみ砕いていき、それらをより信頼性のおけるものへと昇華させる作業に没頭していった。


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