第31話 お祭りのことは神さまに聞け
晩御飯は鯛の塩焼きだった。もちろん割高な鯛をハシルヒメが買ってきたわけではなく、カワタノイナリヒメ――通称カワタがお供えとしてもらった物を持ってきてくれたのだ。
そのカワタは珠の横で、鯛の身を箸でほぐしている。
珠は少し身をかがめ、カワタの翡翠色の目を覗き込んだ。
「ねぇカワタ」
「ん? なんね?」
カワタは集中しているのか、目線は鯛から動かさない。
「願いの盃を毎朝確認してるんだけど、全然溢れる気配無いの。あれ本当に溢れる?」
「ハシルヒメの願いを叶えれば溢れる。としか言いようがないん」
「そう思ってハシルヒメの言うことはなるべく聞くようにしてるけど、表面張力いっぱいの状態から一滴も増えているように見えないの」
珠は麦茶のボトルを持って、目の前に置かれたガラスのコップに注いだ。十分な量が入ってもボトルを傾け続け、すりきり一杯になったところで一度注ぐのを止めた。そこからは一滴ずつ落としていき、水面をコップの縁から膨らませる。
「今じゃこんなコップを見ても、危ないとは思わなくなった」
カワタはコップへと目を向けた。
「でもそれはちょっとしたことで零れるん」
カワタは箸を置き、右手の人差し指をコップへと近づけた。
それに強く反応したのは、珠の正面に座るハシルヒメだ。
「零れたらもったいない!」
ハシルヒメはカワタの手を掴んで止めた。カワタは首を横に振る。
「本当に零す気はないんよ」
カワタが手を引こうとしたのがわかったのか、ハシルヒメは手を離した。
カワタはハシルヒメを指さし、珠に目を向ける。
「願いの盃も同じなんよ。ハシルヒメもいつ零れるかずっとヒヤヒヤしてるん」
「そうなの?」
珠はハシルヒメをじっと見つめた。ハシルヒメはその視線を正面から受け止めたが、長くはもたず、すぐに目をそらした。
「そ、そんなことないし……」
目をそらした先にいるハバキは、もくもくと鯛を口に運ぶだけで、助け舟を出す気配はない。
ハシルヒメは深呼吸して、珠とカワタを交互に見ながらテーブルを叩いた。
「っていうか! わざわざわたしの前でそんな話しなくてもいいじゃん! ご飯抜きにするよ!」
「この鯛を持ってきたのはカワタでしょ。それにわたしだってお祭りの主催をやらされるんだから、これくらい言っても罰はあたらない」
珠は目の前の切り身を箸でほぐして口に入れた。ほろほろとした食感と嫌みのない旨味が口の中に広がる。
カワタは身を乗り出した。
「お祭りあるん? 桜雷神社ではずっとやってなかったんよね」
「そう! そうなんだよ!」
ここぞとばかりにハシルヒメが食いつく。珠はハシルヒメが話題を変えようとしているのに気づいたが、お祭りのことは気になったので話題変更に乗ることにした。
「カワタの神社ではどんなお祭りをやってるの?」
「そんね。秋にその年に採れた野菜を取引する市場みたいなお祭りをやったりするん。余興で米農家がそれぞれ一粒ずつ持ってきた米粒の大きさを競うんけど、それが意外と盛り上がるんよ」
カワタが箸で茶碗からご飯粒を一つつまみ、口に入れた。
「確かにそれなら人も集まりそうだし、楽しそう」
珠はその光景を思い浮かべ、ハシルヒメに店を集めるのは難しいと言われたのを思いだした。そして「そういえば――」とカワタを覗き込む。
「カワタはこの桜雷神社で前にどんなお祭りをやってたか知らないの? ハシルヒメはあまり覚えてないみたいなんだけど」
「桜雷神社の前後の長くて広いん参道に、お店並んでたのは覚えとんよ。道ができたばっかんときの、人が行きかっていたときを再現するお祭りだったん」
「ハシルヒメの言ってた出店が並ぶお祭りかな? 昔を再現したお祭りだったんだ?」
「そうなん。やっぱり道は人が通ってなんぼなんよ。ハシルヒメもあんときは嬉しそうにしてたん」
「あー! やめやめ!」
ハシルヒメが立ち上がって、前に伸ばした両手を左右に振った。顔は真っ赤に染まっている。
「その話は終わり!」
「なに恥ずかしがってるの。お祭りをしたいって言いだしたのはハシルヒメだからね」
「そうだけど、昔の話はいいじゃん。大事なのはこれからだよ。次のお祭りに何するって話でしょ」
ハシルヒメはすかさずカワタを指さした。
「ほらカワタ! 何かいい案はない? お金がかからなくて、人がたくさん集まるやつ」
無茶ぶりにもほどがあるだろうと、珠は思ったが、カワタは首を横に振らなかった。
「たまたまなんけど、この間あんしの神社に願い事をしに来た子がおったん。安全祈願みたいなもんなんけど『マラソンを無事に完走できますように』っていうやつやったんよ」
「え……!」
ハシルヒメは震えながらカワタへと手を伸ばした。
「マラソンって長い距離を走るアレだよね? その願い事なら道の神であるわたしのところに来てしかるべきでは……?」
「そ、そうなんけど、それはまぁいいん」
カワタが目をそらしながらそう言うと、ハシルヒメが音を立てて崩れ、机へと突っ伏した。そんなでもご飯をひっくり返さないよう、きちんと避けている。
「よくない……何一つよくない……」
ハシルヒメは呪詛でも放つかのようにぼやいた。カワタは自分の口を手で覆いながらその様子を見て、不安そうに珠に視線を送る。
「あぁ、うん。あまり気にしなくていいよ。参拝客が全然いないのは事実だから」
「いうなぁー!」
ハシルヒメが珠に向かって手を伸ばしたが、突っ伏したままなので届いていない。
珠はそれを無視し、あごに手を当て考え始めた。
「でもマラソンっていうのはいい考えかも。人は集まりそうだし、ハシルヒメの道を使ってもらえる。元手もあまりかからなそう」
「人がくる……お守りがたくさん売れる!」
ハシルヒメが突然立ち上がった。目には輝きが戻っている。
珠はハシルヒメのあまりに俗物的な切り替えの早さに苦笑いを浮かべつつも、お祭りの方向性が見えてきたことに胸をなでおろした。
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