第21話 翠羽の交渉術

 いくつか用意された下着から動きやすいスポーツブラを選んだ珠は、用意された服を一通り試着させられた。


 そしてそのたびに色々なポーズを取らされ、大量の写真を水門に撮られていく。


「いい! いいですよ! 次はフードをかぶってみてください! お下げは前に出してフードからのぞかせる感じで!」


「こ、こう?」


 薄手のパーカーを身にまとった珠は言われるがままにフードをかぶってお下げをつまんで前に出した。その間もシャッター音は止まらない。


「ああ、それです! パーカーから出たお下げをつまんでいる瞬間! 憂いがあってとてもエモいです! 次はパーカーのポケットに手を入れて壁に寄りかかる感じで」


「えっと、これでいい?」


 珠が試着室から一歩出たところで壁に寄りかかると、水門はより多くのシャッター音を鳴らした。


「いいですね! 調子出てきてます! この調子でいきましょう」


「そうね。珠さんも最初は恥ずかしそうにしていたから心配だったけれど、今は楽しそうでよかったわ」


 翠羽が水門と並んで微笑んだ。珠は顔が熱くなった。


「いや、その別に、楽しいわけでは……水門さんがたくさん褒めてくれるから悪い気はしてないけど」


 珠はそっぽを向いて、試着室に戻ろうとした。すると翠羽は「ごめんなさい」と笑った。


「別にからかっているわけではないのよ? 本当に似合っているんだもの。そのパーカーは着慣れている感じが会ったけれど、普段はそういった格好をしているのかしら?」


「ええ、まぁ。前は動きやすい格好をすることが多かったので」


 動きやすく、ゆとりがあって服の下に物を隠しやすいパーカーは、前の仕事では都合がよかった。目立たないよう状況に合わせて格好を変えて仕事をしていたが、必ず一着はパーカーを持ち歩くようにしていたくらいだ。フードで顔を隠せるのもポイントが高い。


「前は、ということは、今はあまり着ていないのかしら?」


「え? あ、神社に入ってからは私服をあまり気なくなったから」


 珠はとっさにごまかした。珠からするとだいぶヒヤヒヤするやり取りだったが、翠羽は怪しんでいる様子はなく、柔らかく微笑んだ。


「そうなのね。じゃあ珠さんが気に入ったのは、そのパーカーかしら?」


「えっと……」


 珠の頭に浮かんだのは値段のことだった。ハシルヒメなら間違いなく一番高い服を選ぶのだろうが珠は違った。


(このパーカーが一番安そうかな)


 試着するのに邪魔だからか、値札は外されていたので本当の値段はわからない。だが今回用意された五着の中で最もラフなのが、今着ているパーカーだ。


(わたしがもっとブランドとかに詳しければ……)


 ファストファッションの類ならもちろんわかるが、店員の名札に書かれているブランド名に見覚えのあるものはない。目立たないことを重視して、ファストファッションを選び続けたツケがここで回ってきた。


「やっぱり、これが一番馴染む……かな」


 そのせいで完全に言い切ることができなかった。それが良くなかった。


「迷っているみたいね。わかるわ。どれも素敵だったもの」


 翠羽は黒いカードを水門に手渡した。


「いま試着した服を全部包んで頂戴」


「えっま……! 翠羽さん!? さすがにそういうわけには――」


「あ、そうだったわね」


 翠羽は珠が最初に試着した白いシャツのセットを指さした。


「これは着ていってもらうから、包まなくて大丈夫よ」


「そうじゃなくて!」


 珠は翠羽へと駆け寄り、両肩をつかんだ。翠羽は右手でその手に触れ、左手で珠の頭を撫でた。


「ごめんなさいね珠さん。もしかしたら他の服が良かったかもしれないけれど、次の現場にはあの服で行ってほしいの。わたしはあの服が気に入ってしまって」


「それは構わないけど、だったら買うのはそれ一枚でいい! 全部買うなら写真撮った意味ないし」


「でも他のも似合っていたんだもの。買わないのはもったいないと思わない?」


「どんな感覚!? いや、一着買ってもらうだけでも申し訳ないのに、全部だなんてダメだって!」


 自分で買うと言えればいいのだが、今の珠は一円も持っていない。


「わたしが言い出したことなのだから、気にしなくていいのよ。あまり遠慮されると困ってしまうわ」


「んぐ……」


 翠羽の悲しそうな顔に、珠は気圧された。強気にくる相手より苦手かもしれない。


「わ、わかった。今着ているのとお仕事に着ていくのの二つだけっていうのはどう?」


「翠羽さま」


 いつの間にか離れていた水門が、翠羽の近くに戻ってきた。


「お会計とお洋服のお包みが終わりました。珠さまのお着替えが終わりましたら、そちらをお包みしてご用意完了となります」


「ありがとう水門。ねぇ珠さん。せっかく包んでもらった服を解かせるのはかわいそうでしょう。お仕事までの時間も迫ってきているし、ここはわたしの厚意を素直に受け取ってほしいの」


 用意された紙袋と、深く頭を下げる店員たちから圧に珠は完全に負けた。


「……わかった。大事に着る。その代わり、今日の仕事も厚意を返すつもりで頑張るから」


「ありがとう。嬉しいわ」


「お礼を言うのはわたし。ところでお仕事って、やっぱどこかの掃除をするんだよね?」


「そういえば言ってなかったかしら。病院よ」


「ああ、なるほど」


 確かに病院に巫女服のような御祓いを思わせる格好で行ったら、縁起でもないと思う人はいるかもしれない。清潔感のより高い服を翠羽が選んだのもうなずける。


 珠が着替えるために試着室へ足を進めると、後ろから水門が翠羽に話しかける声が聞こえた。


「また手術室のお掃除ですか?」


 珠の手が試着室のカーテンに触れたところで止まった。


「しゅ、手術室?」


 珠がゆっくりと振り返ると、翠羽は目を合わせてにっこりと笑った。


「心配しなくて大丈夫よ。血まみれなイメージがあるかもしれないけれど、血の池ができることなんてほとんどないし、内臓とかがそこらに転がっているわけじゃないの。とても清潔な場所よ」


 珠は血まみれな場所に抵抗はなかったし、なんならそういった場所の方が力を発揮できる自信があった。だからそんな心配はしていない。


 珠が心配に思ったのは、そんな素人はまず連れていかないであろう手術室の清掃に、翠羽が珠を連れていこうとしているからだ。もしかしたら、何かのきっかけで前の仕事のことを見抜かれてしまったのかもしれない。


「こ、怖いけど、頑張る」


 前の仕事のことを知られていいことがあるとは思えない。誤解だったと思わせるために、とりあえず血くらいは怖がってみようかと思った珠だった。

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