第22話 黒い病院

 手術室のある病院と聞いて、大学病院のような大きな場所を想像していた。


「ここが病院?」


 翠羽の運転する車が停まったのは、一階部分をくりぬいたように、広めのガレージを構えたちょっとした豪邸だった。高さも横幅も、近くの一軒家の二倍近くあるが、大学病院と比べたらとても小さい。


 ガレージの中は車止めすら置かれておらず、平らなコンクリートの壁に囲まれた箱の中のような場所だった。奥に車が直接入れそうなほど大きな横開きの金属の扉がある。


 珠はシートベルトを外してガレージへと降りた。ショッピングモールで翠羽に買ってもらった白いシャツとネイビーのスカートを身に着けている。靴も樹脂サンダルのままというわけにはいかなかったので、白のスニーカーを用意してもらった。


 抱えていた他の服の入った紙袋は、助手席に置いておく。水門が神社に届けると言っていたのだが、ハシルヒメの手元に届くのが不安しかなかったので遠慮した。


 翠羽も何も持たずに車から降りる。


「少し変わった病院ではあるかもしれないわね。掃除道具は置かせてもらっているから、何も持たなくて大丈夫よ。中に入りましょうか」


 翠羽に先行され、建物の正面から五段ほどの階段を上ったところにあるドアへと向かう。ドアの横に表札を貼るには少し大きめなプレートがあったが、何も刻まれていない。


 中に入ると長椅子が二つ置かれたクリニックのロビーのような場所だった。大きな窓から光が差し込んでおり、電気もついていたが、とても暗く感じた。


 部屋の中が黒一色だったのだ。壁一面はもちろん。床も長椅子も全て黒だ。それどころか置いてある本棚やマガジンラックに置かれている本たちにも黒いブックカバーがかけられているほどの徹底ぶりだ。


「男子中学生の部屋かな?」


 珠が感想を零すと、翠羽はため息をついた。


「当たらずも遠からずといったかんじね」


 奥にある扉が開いた。


「客人を連れてくるなら、連絡があってもいいと思うのだがね」


 舞台で演じているような、中世的な声だ。


 現れたのは英字のたくさん書かれた黒いTシャツに、金具のたくさんついたズボンを身に着けた背の高い女性だった。白衣を黒く染めたような物を羽織っていたが、女性らしい体型を隠しきれていない。


 髪は黒く短めだ。医療用の眼帯で左目を隠していたが、右目は黒目が銀色に輝いている。


「えっと……眼科の病院?」


「残念だけれど、あれは患者さんではないわ」


 翠羽が前に出て、全身真っ黒の女の横に並んだ。


「この人は魚佐うさ 刺美しみ。開業医で、ここは刺美の病院なの。趣味で眼帯とカラコンをしているだけだから気にしないで。いたって健康よ」


「趣味ではない。これがわたしのあるべき姿というだけだ」


 志美は左手の人差し指と中指を額に当て、右手で左ひじを支えるようにしてポーズを取った。


「ずっとこんな感じなの。悪い人ではないから気にしないで」


 翠羽は刺美の右腕をはたいてそのポーズをやめさせた。刺美はあごに手を当て、先ほどより少しおとなしいポーズに変える。


「それは翠羽の主観だろう? 誰の心にも闇が潜んでいる。見ようによっては皆が悪い人間なのさ」


「悪い人じゃないって言ってくれてるのを、照れとかじゃなく否定する人初めて見た」


 珠が苦笑いを浮かべると、それと同調するように翠羽も引きつった笑いを浮かべた。


「悪い人にあこがれる年ごろなのよ」


「え? 刺美さんいくつ?」


「女性に年齢を聞くなんて、君も悪い子だね」


 刺美が目を閉じた。翠羽はそれを見てため息をつく。


「眼帯をしてるから、ウインクをしてもわからないわよ」


「おっと、これは迂闊だった。だが眼帯を取ると闇の力が溢れてしまう。申し訳ないが、わたしのウインクを見せることはできないな」


「あ、うん。別に見れなくていいけど……」


「つれないことを言うじゃないか」


 ニヤニヤ笑いながら刺美が珠の顔を覗き込むように近寄ってきた。


「えっと……」


 珠は翠羽に目線で助けを求めた。翠羽は頷いて刺美の前に立った。


「それくらいでいいかしら? そろそろ掃除を始めたいのだけれど」


 刺美はのけぞるように後ろに下がった。


「おっと、その子の紹介はしてくれないのかい?」。


「あなたが仲良くなるような態度でいるならね」


「わたしとしては、初めて翠羽が連れてきた客人だから気になって仕方がないんだがね」


 そういえばと思って珠は頭を下げた。


「鮎返 珠です」


 その珠を翠羽は手で示した。


「珠さんは神社で掃除を担当しているの。とてもすじがよかったから、手伝ってもらおうかと思って、お願いして来てもらったの」


「ほう! そいつは相当だな! どんなに忙しいときでも、掃除の質を下げたくないからと、かたくなに人を使おうとしなかった翠羽が手伝いを願い出るとは驚きだ! いったいどんな魔法を使ったというんだね?」


 刺美が体を傾けて、翠羽を避けて覗き込んできたので、珠は横に動いて翠羽の後ろに隠れた。


「いや、特別なことは何も」


「なにがいいかは、掃除の様子を見ればすぐにわかるわ」


「それもそうだ。では宴の始まりだ!」


 刺美がマントのように黒い白衣をひるがえした。


 珠はまだ、ここが病院だと信じていなかった。

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