第18話 水の中の洗濯物

「料理はいつもハシルヒメがやってるけど、洗濯もハシルヒメがやってるの?」


 昼ごはんの豚丼を食べながら、珠は願いの盃がどうすれば溢れるのか探りを入れていた。


 一緒に食卓を囲んでいるハバキは珠に目を向け、ハシルヒメは首を右にかしげる。


「うん? 違うよ。なに? 服きれいになってなかった?」


「そうじゃないけど、少しくらい手伝ってもいいかと思って」


 ハシルヒメは首を逆方向に傾け、睨むように目を凝らした。


「さっき料理をしようとしてたし、珠ちん何か変だよ」


「なんだかんだ世話になってるし、それくらい手伝うの変ってことはないでしょ。ハシルヒメがやってないなら、洗濯はハバキ?」


 ハバキは首を横に振った。


「ハバキは箒なので洗濯はしないのです」


「でもこの神社って他に人いないよね?」


 珠の質問に、ハシルヒメは豚丼を掻き込み、じっくり咀嚼して飲み込んでからうなずいた。


「そもそも人間って意味だと珠ちん一人だけだけどね。洗濯はまぁ、外注ってやつよ。ご飯終わったら見せてあげる」


 ハシルヒメは空になった食器を流しへと持っていった。


 珠はチャンスとばかりに立ち上がった。


「わたしが洗おうか?」


 そう聞くと、ハシルヒメは紅葉のように開いた手の平を、珠に向けてまっすぐ伸ばし制止した。


「水をじゃぶじゃぶ使われると水道代かかるから、手を出さないで」


 珠は洗濯もやらせてもらえなそうだと、一瞬で悟った。



~~~~~~~~~~~~~~~



 ハシルヒメに連れてこられたのは、願いの盃が置かれた祭壇の前だった。三人分の洗濯物の入ったカゴを持っている。


 相も変わらず願いの盃は水をいっぱいに湛えながらも、一滴も零さずに鎮座していた。


 だが珠の口はそうもいかない。


「憎たらしい盃……」


 珠は思わずそう零してしまった。ハシルヒメが振り返る。


「何か言った?」


「いや、何も。気のせい」


 ハシルヒメは首をかしげたが、それ以上言及せずに祭壇へと向き直った。


「この盃がカワタのところに繋がってるのは知ってるよね?」


「確かにそんなこと言ってたかも。最初ここから生えてきてたしね」


 うんうんとハシルヒメは頷いた。そしてカゴから緋色の袴を一つ取る。


「カワタが移動する以外にも、こっちからカワタにアクセスすることもできるんだ。声をかけたら届いたりすんの。というわけで……」


 ハシルヒメは持ち上げた袴をつまむようにして持ち、盃へと下ろしていく。


 珠は目を疑った。


「え、まさか……」


 水面に触れた袴は盃へと飲み込まれるように沈んでいく。盃に湛えられた水は揺れはしたものの、零れるどころか、増えることも減ることもない。


 ハシルヒメが手を離すと、袴は完全に吸い込まれてなくなった。


「こんな感じで洗濯物を送っとくの。そしたらカワタが洗ってくれるから。ちなみにわかりやすいように一枚だけ送ったけど、結構無理しても大丈夫」


 ハシルヒメはカゴの洗濯物を集めて団子にして持ち上げた。盃に載せたら山になりそうな量の洗濯物だったが、ハシルヒメが押し込むと、完全に盃の中へと消えてなくなった。残っているのはいつも通り水を湛えた盃だけだ。


 珠は近寄って右から左からと盃の周りを見て回ったが、水は一滴たりとも零れていない。


「あんな無茶やって全く水が漏れないのは反則だと思うんだけど……」


「逆さにしても零れなかったんだから、物理的に零すのは諦めなよ。っていうか物理的に零す方が反則だし」


 ハシルヒメにド正論で返され、珠は舌打ちすることしかできなかった。


 ハシルヒメは袖をまくる。


「そんで天気のいい日は昼過ぎくらいに、昨日の洗濯物が乾いてるから……」


 ハシルヒメは盃へと手を突っ込んだ。肘が隠れるまで入れられた腕が引き抜かれると、手には綺麗にたたまれた緋色の袴と白い小袖が握られていた。


「ほれ」


 ハシルヒメが差し出してきたので、珠は袴と小袖を受け取る。それはほんのり暖かく、そこはかとなくふんわりしていて、確かに太陽の気配を感じた。


「水の中を通って出てきたのに、これは反則でしょ」


「神の力を舐めちゃいけないよ」


 ハシルヒメが親指と人差し指で作ったL字をあごに当てて、格好をつける。


「いや、ハシルヒメじゃなくて、すごいのはカワタ」


 珠がそうい言うと、ハシルヒメは唇を尖らせて顔をしかめた。だがその表情はすぐに、くしゃみをする前のような真顔になる。


「あ、来たみたい」


 ハシルヒメは祭壇から離れていき、反対側の壁に触れて扉を開いた。そして手招きして珠を外へ連れ出す。


 そのまま拝殿を抜けて外に出ると、正面にある舞台の横に、白い軽トラックが停まっていた。


 珠の中にある人物が思い浮かんだ。


「翠羽さん?」


 珠の声に答えるように降りてきたのは白いワンピースを着た銀髪の女性だった。つばの広い白の帽子をかぶり、ローズクォーツの目はサングラスで隠されている。


「こんにちは。ハシルヒメさん。珠さん」


「こんにちは。今日はどうして……あ、そうか。掃除道具借りたままだった。すぐに持ってくる」


 珠が社務所へ向かおうとすると、翠羽は「待って」と声を上げて止めた。


「貸した道具は帰るときでいいわ。珠さんが乗る場所がなくなってしまうもの」


「え? 帰るとき……? わたしの乗る場所って?」


 珠が固まっていると、ハシルヒメがそっと近寄って肩に手を置いた。


「仕方なかったんだ。翠羽はかなり高級な掃除屋さんで、料金の桁が一つ多かったからさ。でも、それを無料にしてくれるっていうんだもん」


「いや、まさか……」


 珠が翠羽を見ると、翠羽はにっこりと笑った。


「今日は珠さんを借りに来たの」


 ハシルヒメがポンポンと肩を叩いたのが、無性に腹立たしかった。

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