4-10

 そうめんを食べ終えた兄ちゃんは、久しぶりに自分の部屋へと入っていった。僕も音楽プレーヤーの充電器は兄ちゃんの部屋に置きっぱなしだったから、充電のために一緒に入る。


「ダンスは、ちゃんと続けてんのか?」


「あ、うん……兄ちゃんに言われた通り、筋トレとアイソレーションは欠かしてないよ」


 今年のよさこい祭りには参加していない。何となく後ろめたく思えて、はぐらかす。


 兄ちゃんは中学でダンスを始めてから、メキメキと上達していった。そんな兄ちゃんがカッコよく思えて、僕も小学校に上がった時から兄ちゃんにダンスを教わった。


 MAINSTREETで踊る兄ちゃんに憧れて、僕もよさこいを踊りたいと言い出した。兄ちゃんのおかげで、僕はくらんに参加して弓削さんと出逢うことが出来たんだ。


 ダンススクールはすぐに辞めてしまい、今年はよさこい祭りにも参加していない。ダンスそのものは好きだけど、やっぱり今枝圭介の弟というレッテルに反抗したかったのは事実だ。


 そのことを兄ちゃんは、どう思っているのだろうか。CDラックを眺めている横顔からは、何も窺えない。結局は僕が勝手にスネてるだけだ。僕自身が変わらなくちゃいけないんだ。ダンスのことも、弓削さんのことも。


「カンゴ、この辺のCDイジった?」


「あ、ゴメン。ちょっと動かしたかも」


 ボビーさんジュニアと呼ばれることに反感は覚えても、兄ちゃん本人への反発があったわけじゃない。兄ちゃんが上京した後、僕は兄ちゃんの部屋で過ごすことが多くなった。


 その時に兄ちゃんが集めてた洋楽のCDに興味を覚えた。ラックにはレゲエからメタルまで色々と並んでいたが、その中でも特にたくさんのアルバムが揃っていたブリティッシュ・スティールが気に入って聴き始めたんだ。


何枚かラックから出し入れしている内に、兄ちゃんが並べた順番と入れ替わってしまったみたいだ。


「別にいいけどさ。あー、ブリスチのブルー知らね?」


「ブルーね、ええっと……」


 兄ちゃんからアルバムの名前を言われて、散らかった床の上を探す。


「そういや、お前にやった音楽プレーヤー、まだ動いてんの?」


「うん。今日も学校に持って行ったし」


 僕が使っている旧世代のプレーヤーは、兄ちゃんの部屋で見つけたものだ。外でもブリスチが聴けるということで、電話で兄ちゃんに訊いてもらったんだっけ。


 そんな時代遅れのロックは学校で聴いててもクラスメイトの誰からも共感を得られず、僕がオヤジと呼ばれるようになった原因だけど。


「お前、物持ちいいな。新しいの買ってやろうか?」


「えっ、ホント? でも、いいよ。今のに愛着あるし」


 最新のは使いこなす自信が無いし。そういうとこやぞ。


 何気ない会話をしている内に、兄ちゃんから言われたCDが見つかった。


「あったよ、兄ちゃん。『ブルー・スカイ・アンド・オーシャン』」


 手にしたアルバムは、ジャケットに美しい空と海の青が映っている。


 兄ちゃんに手渡しながら首をひねる。つい最近、ラックから取り出した記憶がある。その理由は何だったか。


 確か最近、このジャケットを見た気がする。兄ちゃんの部屋じゃない所で。そうだ、あれは帯屋町アーケードを出たところのたい焼き屋だ。ベンチの上に置き去りにされたCDが、この『ブルー・スカイ・アンド・オーシャン』だ。それで家に帰ってから、同じCDを取り出したんだ。


 その置き去りにされた『ブルー・スカイ・アンド・オーシャン』が、他でもない弓削さんの忘れ物だと知って。


「どうした、カンゴ?」


 兄ちゃんの声も耳に入らないほど、僕の心は弓削さんへの想いが再燃していた。ふつふつとわき起こる熱い想い。胸の内に留めておくには熱すぎる。今更もう、妄想だけの関係になんて戻れない。


 兄ちゃんの部屋を飛び出し、靴を履いて家も飛び出す。向かう先は帯屋町商店街にあるクランだ。


 ここまで走ってきた勢いのまま、店内へと入る。息を整えていたら、迷いが生じてしまう気がして。


 今日は弓削さんは、お店の手伝いがあると言っていた。すぐにその姿を見つけることが出来た。ちょうど接客もしておらず、棚に並べられた商品の整理をしているところだ。


 僕は話し掛ける言葉も見つからないまま、弓削さんに近づいた。


「弓削さん」


 声だけ聞いて僕だと分かったのか、弓削さんは大きく体を弾ませた。


 恐る恐る、ゆっくりと振り向く弓削さんに僕は思いつくまま言葉を口にする。頭の中には青い空と海しか浮かんでいなかった。


「最後に……最後に、一緒に海を見に行ってほしい。明日、桂浜まで行こう」


 それで本当に最後にするか決めてほしい。僕にも勝算なんか何も無いけれど、弓削さんは一所懸命に自分の想いを伝えてくれたんだ。身を裂くような想いで、七年間の想いを断ち切る決断をした。


 僕だけが何もかも弓削さんに押し付けて、弓削さんに任せっきりではいられない。結局、僕はまだ何一つとして自分の想いを弓削さんに伝えられていないのだから。


 僕からの誘いに、弓削さんは戸惑いを見せて目を伏せる。果てしなく長い沈黙が続いた後、ゆっくりとうなずいてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る