3-8

 奈都から連絡が来たのは、その日の夜。夕飯を食べ終えた後だった。


 思ったより遅かったな。いつスマホに連絡が来てもいいように入浴中は洗面所に置いたり、夕飯の間も部屋着のポケットの中に入れ続けたが。


 何か用事があって手が空かなかったのだろうか。そうだよな、奈都だってヒマじゃないか。無理言って悪かったかな。


 そう思いながらメッセージを開くと、これから筆山ひつざんまで来てほしいと書かれていた。


「ちょっと東君と会ってくる」


 親に一声かけて、部屋着のまま家を出る。奈都のことを東君と呼んだが、親相手に友達同士の呼び名を使うのが恥ずかしいと感じるのは僕だけか。


 親の方はお構いなく「ナッちゃんに何の用なのよ?」なんて言ってたが。


 僕の家があるのは、筆山のふもと。歩いてすぐだ。辿り着いた場所に奈都の姿は見えない。上か?


 山の上には展望台や墓地を含んだ公園がある。ふもとからは車で行く他、徒歩で登る用の道もある。


 当然、僕は徒歩で登ることになる。夜ともなると山道は真っ暗で足元もよく見えないが、子供の頃から登り慣れた道だ。夜に登るのも初めてじゃないしと、迷うことなく筆山を登っていく。


 念のため足元をスマホのライトで照らしながら歩く。夜の山道は視覚が遮られる分、聴覚と嗅覚が敏感になるのだろうか。緑の匂いがいつもより濃く感じられ、ちょっとした草木が揺れる音にも反応してしまう。


 ふもとから歩いて十五分ほど。公園に着く途中の駐車場まで何事も無くやって来た。


 ここから高知市を一望することが出来る。足元は相変わらず、あやめも分かずといったところ。それでも空は街の明かりを映し出してか少しは明るく見える。


 駐車場の脇にはベンチが置かれており、誰かが座っている。その座っている人物はチラチラとこちらを窺っており、奈都だと確信した。


「奈都……」


 ベンチに近づいて声を掛ける。ベンチから立ち上がった姿を見て、僕は人違いをしたと思った。


 ふもとの街からの明かりに照らされた姿は女性物のワンピースを着ていたからだ。


「あっ、すみませ……」


「カンちゃん」


 奈都の声がした。僕は目を凝らして目の前の人物をよく見る。着ている服は間違いなく女性物だが、女性にしてはショートなサラサラヘアーと幼い顔立ちは正しく奈都のものだった。


「奈都……どうして?」


「ん……隣、座って。一緒に夜景、見よう?」


 そう言って奈都は、再びベンチに腰掛ける。僕は奈都の隣に座り、改めて見慣れぬ服装に注目した。


「その恰好、は?」


「うん。ほら、カンちゃんが女の子とのデートに慣れるよう……ボクが練習台になるよ」


 僕が弓削さんとのデートで上手く振舞うことが出来ないと悩んでいると考えたのか。


 言われてみれば、奈都が着ているワンピースはどこかで見たような気もする。もしかしたら弓削さんの実家が営んでいるクランで買ったのか。


 夜目だから、はっきりとは分からない。女児にしか見えない奈都だから、普段の学ランよりも今着ているワンピース姿の方が似合っているのかも。女物の服を着た奈都が、どんな顔をしているのかも。


「奈都……」


 彼の名前を呼んで胸が痛むのを感じる。


 奈都が女の子みたいな容姿なのは、今に始まったことではない。小学生の時にはクラスの男子から「ナツ子」と呼ばれてからかわれていた。


 言っている方は大したことないと思っていても、言われた本人は傷ついていることだってある。僕だって、ダンススクールでボビーさんジュニアなんて呼ばれ方をされて不本意だと感じていた。例え良い意味で言っているつもりでも、受け取る側の気持ちは分からない。


 だから僕には、奈都がくやしい想いをしていることが本能的に感じられた。


「女は入れてやんねー」と仲間外れにされていた奈都と付き合い始めたのは、その頃だった。


 それ以来、僕は奈都が女扱いされては悔しい想いをしてきたことを知っている。誰よりも側で見てきたんだ。そんな僕だから分かる。奈都は喜んで女装なんてしているわけじゃない。ワンピースなんて、絶対に着たくもないはずだ。

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