2-2

「さて、と。わたくしも行こうかしら」


 後ろで灘さんの声が上がり、そちらを振り向く。灘さんが立ち上がったベンチに何か置かれているのに気が付いた。


 四角くて薄いそれは、CDのケースだ。弓削さんか灘さんの忘れ物だろうか。そう思って目を凝らすと、どこかで見かけたことがある気がする。


「あれ? そのCD……?」


 近付いていって確かめてみる。青い海と空が印刷されたジャケットは間違いない。兄ちゃんの部屋で何度も見た、ブリティッシュ・スティールの『ブルー・スカイ・アンド・オーシャン』だ。


「……どうしてブリスチのCDが?」


 手に取って確かめていると、灘さんが僕の手からCDを奪った。


「スミエのよ。昨日、一緒に買いに行ったの」


「えっ……?」


「手に入れたのが、よっぽど嬉しかったんでしょうね。昨日から何度も見せびらかして、手放さずに学校にまで持ってきてたっていうのに、あの子……忘れていくなんて慌てすぎよ」


 灘さんの話を聞きながら、僕は何度も目をしばたたく。


「弓削さんが、ブリスチのCDを……?」


「えぇ、そうよ。どうしてかしらね?」


「どうしてって……どうしてだ?」


 弓削さんも僕と同じくブリスチが好きだからCDを買ったのだろう。でも、弓削さんはどうしてブリスチを知っていたんだ?


 僕は兄ちゃんの影響だ。弓削さんはお父さんか、お母さんの影響だろうか。


「はぁ……オヤジくんも好きなんでしょう? このブリティッシュ・スティールというグループ。だからスミエも買ったのよ」


「僕が好きなバンドだから……?」


「ここのお店だって、そうよ。昨日オヤジくんが、そこにいる……ひがしくん? と一緒にたい焼きを食べるのを見かけたから、マネしてみようって言い出したのよ」


 思いがけず苗字を呼ばれて、奈都が自分を指差して小首を傾げる。


 確かに昨日の放課後、奈都と一緒にここのたい焼き屋に寄った。たい焼き屋の前のベンチに腰掛けて、一緒にたい焼きを食べた。


 そう言えばたい焼き屋に寄る前、CDショップで弓削さんたちを見かけた。その後、たい焼き屋にいる僕たちの方が弓削さんに目撃されていたのか。


 そして今日、弓削さんと灘さんは二人で僕たちの再現をしていたというのか? それは何のため?


「どうして……そんなことを?」


「はぁ……ここまで言って分からないのかしら? スミエはね、貴方に気があるのよ。だからオヤジくんが好きなCDを買ってみたり、オヤジくんの後をつけて行動をマネしたりしてるのよ。もっとも、それを本人に見られるのは恥ずかしかったみたいね」


 灘さんの話は、あまりにも信じがたい内容だった。僕自身、何度もそういったことを期待し妄想していたというのに。


「信じられない……だって、どう考えたって僕なんかじゃ弓削さんと釣り合うはずがない……どうして僕なんかに?」


「さぁ、そこまでは知らないわよ。でも……」


 言葉を区切った灘さんは、手にしたブリスチのCDをジッと見つめる。それから眼鏡の奥の目を細めて、挑発するような笑みを浮かべた。


 思わず背筋に悪寒が走る。ふらちな男から姫様を守ろうとする女騎士の幻を見た気がした。


「わたくしが言ったことが正しいと証明することなら出来るわよ。このCD、これからスミエに届けにいこうと思うけど……オヤジくん、貴方も付いてこない?」


「えっ……」


「毎日、東くんと遊び歩いているみたいだし、どうせヒマなんでしょう? スミエの気持ちを知る、いい機会よ」


 僕からの返事も待たずに、灘さんはさっさとアーケードへと向かっていってしまう。


 僕は奈都と顔を見合わせる。どこか不安そうな表情で見上げてくる奈都は「からかわれてるだけだよ。やめようよ」と言いたげだ。


 それでも僕は、確かめたかった。灘さんが言っていることが真実なのか、どうか。もちろん、そこには期待も大いにあった。もしも弓削さんが僕と同じ気持ちなのだとしたら、妄想などではなく現実に弓削さんと付き合えるという期待が。


 僕はアーケードに入っていった灘さんの後を、急ぎ足で追いかけた。

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