1-8
「あっ、カンちゃん!」
今回は妄想ではなく回想だが、またも奈都の呼び声によって現実へと戻される。
クランを通り過ぎて大きな本屋の前まで来ていた。その本屋の向かいにあるCDショップを奈都が指差している。
「ほらほら、これが藍井べるちゃんや!」
藍井べる……確か昼休みに奈都が言っていた原宿系アイドルとかか。
奈都が指差す先には、CDショップの店先に貼られたポスター。そこに写っているのは、僕たちと同年代くらいの少女。メンヘラメイクのボーイッシュな子だ。
確かに可愛いとは思うけど、好みじゃないから僕は何とも思わないな。
「興味ないがー? そうや! べるちゃんの歌、視聴してみりゃカンちゃんにも良さが分かるかも!」
視聴コーナーがあるのかと店内を覗いてみる。奥の方にカレン高のセーラーブラウスが見えた気がして思わず注視する。
そこにいた人物に気が付いて、僕の左胸がトクンと跳ねた。
「あっ……」
弓削さんだ。それに灘さんもいる。二人で棚に置かれたCDを手に取って何やら話している。
「カンちゃん……?」
「ん……あ、いや……何でも」
店の入り口で固まっている僕を、奈都が小首を傾げて見上げてくる。
僕の背中越しに店内を覗き込む奈都の表情が、やけに冷たく感じる。
「えっと……他、行くか?」
「う、うん……べるちゃんの曲は、また今度聴きゃあえいがよ」
幸いと言うのも変だが弓削さんと灘さんは僕らに気が付いていない。僕と奈都は、静かにCDショップの前を立ち去った。
「さっきの二人、カンちゃんと同じクラスのめっちゃ頭えい人らぁやろ?」
奈都の問いに僕は「あぁ」と答える。
さすがは二人揃って一学期の期末考査で全教科満点を取った才女なだけある。他のクラスでも有名人だ。
美人で成績優秀でお嬢様な弓削さんと、見るからに優等生な灘さんか。あの二人が一緒にCDショップに寄るとなると、お目当てはクラシックあたりだろうか。とても父親世代のロックなんかに興味を持ちそうには見えない。
そして、この後はきっと帯屋町商店街の北にある図書館でお勉強でもするんだろうな。
アーケードの天井を見上げて、そこにチラリと見た弓削さんの横顔を映し出す。隣で奈都が面白くなさそうな声を上げた。
「あの二人、百合なんやって」
「どこでそんな言葉を覚えた?」
「百合って女同士で、あーんなことやこーんなことするながやってー。フケツー」
大きな声で何を言ってるんだ。
思わず後ろを振り返って弓削さんに聞かれていないか確認する。二人の姿は見えず、ホッとする。
「そんなのウワサだろ? あんまり勝手なこと言うなよ」
「でも、みんな知っちゅうよ。夏休みに灘さんが弓削さんに告白しちょった話」
それは僕も耳にした。二学期に入ってからやけに二人が仲良くしてるし、きっと弓削さんがOKしたんだろうという話も。
カレン高では夏休みの後半に、希望者に対してオーストラリア研修を実施している。学校側からも期待されている優等生の二人は、当然のように研修に参加した。
灘さんが弓削さんに告白したのは、その研修期間のことだという。南半球の美しい星空の下でなんて最高のロケーションだろう。そんなロマンティックな演出をされたら誰だってOKしてしまうか。
「例えウワサが本当でもさ、それを悪く言うのは良くないぞ? 奈都なら分かるだろう?」
「……うん、ゴメン」
「いや、僕もイヤなこと思い出させたらゴメン」
奈都は高校生になった今でも幼女みたいな見た目だが、小学生の時は今よりも小柄で細くて本当に女の子にしか見えなかった。
そのせいでクラスの男子から「ナツ子」なんて呼ばれて、くやしい想いをしてきたんだ。
僕は奈都みたいに、からかわれたり仲間外れにされてきたわけではない。それでも不本意なあだ名で呼ばれるのが、何というか惨めな気持ちになるのは分かっていた。
だから僕だけは、ずっと「奈都」と呼んで普通の男友達として接してきた。それが奈都と仲良くなったきっかけであり、友達でいられる理由だ。
「……ほら、たい焼き売ってるぞ。ちょっと寄ってこうか」
「……うんっ。たい焼きやー!」
気が付けば帯屋町商店街の西の端まで来ていた。南に折れたところに小さなたい焼き屋が見える。
昔のことを思い出したのか、少しテンションの落ちた奈都を元気づけようとたい焼き屋へと誘う。奈都は大きくうなずいて笑顔を見せてくれた。
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