第24話 反撃の狼煙はあがるのか?

反撃の狼煙はあがるのか?

 高山弁護士がやって来たのは、手ほどきが始まった五日後だった。今日も朝早くから、薙刀と棍棒の稽古は続いている。宗次郎の棍棒は、握りやすいように柄の部分が細めに削られていた。三時間近い稽古が、漸く終わったばかりの時間だった。

「高山さん、暑い中お疲れ様です。冷たいお茶でもどうぞ」

 時子さんがいつもの台所へ案内し、冷たいおしぼりとお茶を出す。

「有り難う。今年は暑いな。年々、暑くなる」

 高山はおしぼりで首筋の汗を拭い、顔を拭った。

「あいにく、応接間はエアコン入れてなくて、こちらで我慢して下さいね」

 すぐに、時子さんが新しいおしぼりを出す。

「いえいえ、こっちの方が構えなくていいですよ。ねえ藪坂先生」

 高山がおしぼりを額に乗せ笑った。

「高山さん、前もって言って措くんだけど、驚かないでくれよ」

 二杯目のお茶を飲み干した高山に、小西老人が言った。

「何ですか。何か向こうから言ってきましたか」

「そうじゃないよ。奥様のことだけどね。見たらすぐに判ると思うけど……ああ、もう、説明するのが難しいなあ」

 と小西老人が頭を悩ませている所へ、琴美が入って来た。高山が怪訝な顔になる。いつもの琴美とは明らかに違うからだ。

「高山さん、この度は、大変なことに巻き込んでしまって、ごめんなさいね」

 琴美が微笑み、高山の前に座った。

 その声音と所作を見た高山が、じわりと立ち上がる。

「座って下さい。進捗状況を聞きましょう」

 琴美が鷹揚に頷く。 

 高山は、唖然として立ちつくしている。

「さっき言いかけたのは、この事なんだよ高山さん。あんたなら、判るだろ」

 高山が、がくんと頷く。

「……奥様……」

 呟いた高山が、椅子にぺたりと座り込んだ。

 大したもんだ。宗次郎は思った。結希子さんは、うちの祖父さまよりずっと説得力があるようだ。誰もが、すぐに奥様だと判る。

「そうなんです。あなただから、お話します。でも、真面目に聞いて下さいね。私はご覧の通り、孫娘の琴美の中にいます。私は、琴美を守ろうと必死です。そして、出来るなら会社も守りたいと思っています。私の力だけではどうにもなりません。高山さん、力を貸して下さいね」

「はい、何でもおっしゃって下さい」

 高山が立ち上がり真剣な顔で答えた。その顔は汗に濡れつくしている。必死に心のバランスをとろうとしているに違いない。そりゃそうだろう。琴美の中に、間違いなく奥様であった結希子さんを見たのだから。

「いやあ、昔に戻ったようで、心が躍ります。嬉しい」

 とようやく言った高山の顔はまだひきつっている。

「これ以上、重治さんたちに会社を食いものにさせません」

「すぐに動きます、奥様。重治一派を一掃しましょう」

「私が琴美に残した松島産業の株が、全体の四十三パーセントあります」

「あっ。その手があった。ちょっと待って下さい」

 高山が鞄から書類を引っ張り出すと、琴美の前に置いた。

「これは、リストラされた人の名簿です。取締役常務の田中さん、統括本部長の杉浦さん、閉鎖された部門の責任者や、他の部署のリストラされた人の殆どを網羅しています」

「何が始まるんですか?」

 宗次郎が訊くと、高山が自信ありげに、片目をつぶって見せた。

「緊急株主総会ですよ。常務や本部長、他にリストラされた人達の株を、琴美さんに委託して貰い、株主総会で、重治の社長退任と後見人不適格による解任を迫るんです」

「なるほど。それで、うまくいくんですか?」

「ええ。でも、相手に気づかれないようにしないとね。むこうも切り崩しにかかるでしょうから」

「高山さん、少なくとも五十五パーセント、出来れば六十パーセントが必要です。その日に決議を通すには、それくらいの株が必要です。時間を掛けてはこちらがまた不利になります」

 結希子さんが厳しい口調になった。

 これが、会社を支えてきた、経営者としての結希子さんの姿なのか。宗次郎はいたく感心した。

「その為の、有利な情報があります。ベトナム工場誘致に失敗した後、粉飾決算を行った形跡があります。こちらはまだ明確な資料がありませんが、これを突き止めれば、こちらの切り札になるでしょう」

「どれくらいで、調べられますか?」

「はっきりとは言えませんが、二週間程あれば。いえ、十日以内に調べます」

 高山がきっぱりと言った。

「では、株主総会の準備を急いで下さい」

「高山さん、俺も手伝うよ」

 小西老人も闘志を燃やしている。

 小西老人、時子さん、高山弁護士。この三人が、琴美の三銃士のように見えてきた。とすると、俺はダルタニアンか。確かダルタニアンは、フランス南部出身の田舎者だった。

「今のうちに、一度、蔵を見ておきましょうか」

 結希子さんが立ち上がる。

「蔵に何かお探し物でも、あるのですか奥様」

「あの蔵には、地下蔵があるのです」

「地下蔵が。知りませんでした。ねえ、お父さん」

「うん。奥様、地下蔵には何か大切なものがあるんですか?」

「ええ。誰にも渡せない、宝物があります」

 結希子さんが先頭に立ち、全員が蔵へ向かった。

 そうだ、此処から始まったんだ。宗次郎は蔵を見上げた。茫然と蔵の前に立った、あの夜から、祖父さまとのこの不思議な出会いが始まった。

 小西老人が鍵を開けた。

 倉の扉が開いた。思ったより広い。二十坪だと言うが、中は天井が高く、中二階もある。古い埃の臭いがするが、湿ってはいなかった。什器を入れた箱が積み上げられ、家紋が描かれた長(なが)持(もち)が奥の方に四つ並んでいる。

「地下蔵への入り口はこっちです」

 結希子さんが案内する。

「その小さな長持をずらしてください」

 結希子さんが、中二階への階段の裏側に置かれた長持を指さす。

 宗次郎と小西老人、高山の三人で長持をずらすと、下は他と変わりない床板が見えた。

「階段の基底部の所を押してください」

 宗次郎と小西老人が手を伸ばすと、床板にくぼみがあるのが分かった。床板のくぼみを押すと、床板が左右に開きその下から、地下への入り口らしい扉が見えた。

「地下への入り口です。でも、鍵を何処へやったかおぼえてないのよ」

 結希子さんがかぶりを振った。

「でも、皆さんにも地下蔵があることを知っておいて貰おうと思って。もしもの時の為に」

「もしもの時なんて言わないで下さい、奥様」

「いいえ。時子さん、いずれ私は戻らなければなりません。残ったあなた達に伝えておかなきゃ、地下蔵は誰にも知られないままになります」

 結希子さんの顔に寂しげな影がさした。


 伝えておきたいのは、皆にではなく琴美にだろう。出来るならずっと琴美の傍に居たいに違いない。だが、それは許されないことだろうな。祖父さまは二日前に出て行ってまだ戻って来ない。今度聞いてみようか。宗次郎は、じっと地下蔵の扉を見ている結希子さんを、いじらしいと思った。

 蔵から戻ると、高山弁護士は、リストラ名簿の半分を小西老人に託し、粉飾決算を調べる為に飛び出して行った。急がねばならない。現社長側は、法的措置を講じる為に動いているだろう。あれから十日以上経っている。書類に署名しないとなれば、強行手段を講じる可能性がある。大学の夏休みが終われば、宗次郎も今のように毎日ここに詰めていることも出来なくなる。

 結希子さんは次の日、小西老人を通して、一週間後にもう一度話し合いを持つと、大野弁護士に連絡を入れさせた。最後の時間稼ぎだ。

「宗次郎、かなり厄介な事になったぞ」

 その日の夜遅く、祖父さまが戻ってきた。

「どうしたんですか」

「北川は五人の部下を一緒に連れ出している。北川と北川の姉を含めて、相手は七人だ」

「七人ですか。こちらは二人ですね。かなり不利な戦いになりますね」

「北川の姉は、戦力にはならないだろう。実質、六対二だ。それなら何とかなる」

「でも祖父ちゃん。株主総会で相手を叩きのめせば、北川も動くに動けないんじゃありませんか?」

 蔵之介が鼻で笑った。

「死んだ人間が、生きている者の事を気遣うとでも思っているのか」

 宗次郎はどきりとした。確かにそうだ。会社や重治がどうなろうと、北川にとっては何の関係もないし、生きている人間に取り憑いて、どんな犯罪を行おうと、北川の知ったことではない。目的の為なら殺人さえ犯すだろう。

「忘れるな。北川の狙いは、私と結希子さんだ」

「はい。そうでした」

「北川は、自分が一番使いやすい躰が欲しかったに過ぎない。それと、私を苦しめる為に、私の孫の修三に取り憑いたのだ」

 蔵之介が、じろりと宗次郎を睨みあげた。

「お前は、北川が取り憑いた弟と戦わねばならん。覚悟しておけ」

 宗次郎の中で、祖父の存在がすっと後ろへ下がった。後は自分で考えろと言うことだろう。この時はまだ、戦うことの現実味が宗次郎にはなかった。


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