第23話 結希子と蔵之介孫を鍛える
結希子と蔵之介孫を鍛える
夕方の五時頃、宗次郎と琴美は、庭に立っていた。
宗次郎の手には、太い棍棒が。琴美の手には結希子が使っていた稽古用の薙刀があった。棍棒は、庭の柵に使う丸太で、小西老人が道具小屋から引っ張り出してきた。
庭にはまだ強い陽差しが残って、庭土は灼けて照り返しの熱が立ち昇ってくる。
「宗次郎、構えてみろ」
構えろと言われても、どう構えたら良いのか判らない。取りあえず左足を前に、顔の右に棍棒を構えた。
「それは野球だ。こうだ」
祖父さまが、宗次郎の中で構えた。
右足が前に出て、左足が後ろ。臍(へそ)の下辺りに力がこもり、腰が落ちて膝が柔らかく緩む。脇も緩く開いている。棍棒は躰の中心から真っ直ぐ前に向いている。先端は、丁度見えない相手の喉の高さだ。左手の小指と薬指が、棍棒の根元をぎゅっと絞るように締め込まれている。
「目は、相手の臍の辺りを見る。違う。臍だけを見るな。ふわりと臍の辺りを見ると、相手の動きが見える。これを八(はつ)角(かく)と言うのだ」
そうですか。一辺に言われてもさっぱり分からないぞ祖父さま。
「動いてみろ」
はいはい。三十過ぎて剣術の稽古か。
「違う」
一歩踏み出した途端に、祖父さまの声が飛んだ。
「摺り足だ」
祖父さまが動いて見せる。自分の躰がこんなに滑らかに動くことを、宗次郎は初めて知った。右足を踏み出し、右から左上に斬り上げ、左足を軸にして右足を後ろに弧を描いて左から右へ、左足を滑らせ、真っ直ぐに突き出す。その間、蔵之介は剣道のような派手な声はあげず、むっ、と腹に響く声を漏らすだけである。
「とうっ!」
最後に腹から絞り出した気合い声を響かせ、宗次郎の躰はぴたりと決まった。
「思ったより、良い筋肉だな宗次郎」
満足げに蔵之介がにやりとした。だが、宗次郎の全身には、汗が流れている。まあ、オーロラや彗星を追いかけて歩き回った甲斐はあったということだ。
「力強い太刀筋で御座いました」
結希子が小さく手を叩く。
では、と結希子が薙刀を構えた。
「最初は、私が動いて見ましょうね」
琴美に言って、結希子が緩やかに薙刀を回転させた。
右手は刃先の方、左手は柄の方を持ち、刃先は右足の少し前、柄は上に上げられている。柄を前に出しながら、頭の上で弧を描いた刃先が右上から左下へ斬り下ろされ、次の瞬間、刃先が下から真上に刃風を生んで斬り上げられる。躰がくるりと回り、刃先が脛を薙ぎ払う。
結希子さんの動きは止まることを知らず、踊りのように優雅で軽やかだった。祖父さまが言ってたのは、このことだったんだな。宗次郎は納得した。背筋はぴんと、しかも柔らかく伸び、足の運びは円を描いて、薙刀とひとつになっている。宗次郎と蔵之介もひとつになり、結希子さんの薙刀に見惚れていた。
と、薙刀が地面を削るように滑り、宗次郎を襲った。撥ね上がってくる薙刀を、宗次郎は腰を落として棍棒で受け止めた。無意識の動きだった。
「やっぱり、私の思った通りでした」
結希子さんが薙刀を引き、微笑んだ。
「やっぱりって……」
宗次郎が訊いた。
「琴美は、躰と手足の動きを、型から入って覚えた方が早いタイプ。宗次郎さんは、実戦で覚えるタイプのようですね。そう思って試して見たら、やっぱりそうでした。これからは私がお相手しますから、宗次郎さんは実戦で、躰に刻んで下さいね」
結希子さんが、薙刀を構えた。
宗次郎が構える。その構えは、蔵之介が教えた青(せい)眼(がん)ではなく、下段の構えだった。宗次郎の防衛本能が、下段の構えを選んだ。
蔵之介は手を貸さず、黙って孫の宗次郎を見ている。
「私が撃ちこみますから、全て受けて下さいね」
緩やかに薙刀が舞い始めた。
(琴美は、私が使う型をしっかり覚え、手足と躰の動きを覚えるのですよ)
(はい、お祖母さま)
下から、上から、思わぬところから、薙刀が刃風を起こし、宗次郎へ舞い踊る。宗次郎は、おっ、とかそれとか言いながら受け止めていく。突如、薙刀が結希子の右の背中へ隠れ、逆の左から襲ってきた。むう、と唸り、宗次郎は無意識に跳び退がり、目の端にちらっと見えた刃先へ向けて、右下から左上に棍棒を振り上げた。薙刀は、左から舞い上がり、空中でひらりと向きを変え、右から横薙ぎに斬り払われていたのだ。かあん、と棍棒が薙刀を跳ね上げた。
「それです。お見事。流石、蔵之介さまのお孫さんね」
結希子が微笑んだ。
(宗次郎、お前が琴美さんを守るのだ。しっかり励め)
(ええ、分かっています。祖父ちゃんは、時々出てこないことがありますからね)
(そうだ。お前次第だ)
さあ、どっちにしても、楽な道はないってことだ。もっとも、戦わないで済む解決法があれば、もっといいんだが。
「では、今日から素振り二千回だ」
祖父さまの声が楽しそうにはすんでいる。
「二千回?」
くそ、人の躰だと思って無茶苦茶だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます