第20話 宗次郎決断する

宗次郎決断する

 どう話せば良いんだ? 例えば、若い頃に見た「にんじん」とか「嵐が丘」の舞台のように喋るってのはどうだ?

 僕と君は、同じ《入られ者》なんだよ。だから、安心しておくれ。君はおかしくなったんじゃない。君は選ばれたんだ。お祖母さまは、君に伝えたいことがあるんだ。君にやって貰いたいこともね。実は僕も、祖父から託された仕事がある。君も自分の運命を受け入れることが必要なんだよ。

 何だこれは。まるでなっちゃないな。俺が琴美に説明している間、荘厳で聖なる歌声でも天から聞こえてきたら、きっと少しは俺の言葉も信憑性があるものになるかも知れない。

「独り言か」

 来た! 祖父さまだ。やっと必要な時に来てくれた。おい祖父さま、いきなりの「独り言か」って、どう言う意味だ?

「宗次郎、お前、孤独なんだな」

 こう言う質問の仕方を藪から棒と言う。知ってるか祖父さま。

「どう言うことですか」

「孤独の淋しさに堪えかねて、孤独な人は独り言が多くなる」

「冗談言ってる時ですか。呼んでも返事ひとつしないんだから。どう言うつもりなんです?」

「怒るな。これは、あの世でも初めての試みらしくてな。色々と不都合が起こり、お前の思うとおりにはいかん」

「そうですか。あの世からの脱獄者は、初めてってことなんですね。厄介な事を引き受けてしまいましたね」

「うむ。そうなのだ。私も困惑している。あの世との連絡も中々上手くいかなくてな」

「そうでしょうね。大変なことですよね。祖父ちゃんは僕から抜け出した後、あの世へ戻る訳じゃないんですね?」

「花の祠堂と言う、あの世へ行く前に待つ場所があってな……おい、また誘導したな。駄目だ、宗次郎。前にも言った通り、あの世のことは話せない。あの世の事を知りすぎると、いいか、よく覚えておきなさい。即死だ」

 祖父さまは、至極真剣な顔で言った。

「即死、ですか」

 これには、宗次郎も驚いた。驚いたが、どうも現実味がない。

「だから、お前が人生に絶望した時には、話してやろう」

「即死ですか……」

「即死だ」

 即死だ、即死だと言い合いながら、何処か滑稽なものを感じている宗次郎である。祖父さまとの問答が、どうしても滑稽な味を含んでしまうから、その所為かも知れない。

「北川義明だが、やはり北川の姉も脱獄したらしい」

 祖父さまは、また真剣な顔に戻って言った。

「あの、北川少尉の姉ですか?」

 ぞくりとした寒気が、宗次郎を襲った。

 そして、宗次郎の心臓がびくんと跳ね上がった。

 修三に乗り移った北川のおぞましさと、北川の姉の姿が重なる。

「どうした、何か心配なことでもあるのか」

 祖父さまが、じっと宗次郎を見る。

「実は、この家の中にもいるんです」

「何がだ?」

「この家の孫娘で、琴美さんと言うんですが、今、彼女の祖母が何度か、琴美さんの中に入っているんです」

 言ってしまって、宗次郎は後悔した。琴美の祖母が脱獄者の一人かも知れないってことを忘れていた。うっかりしたな。昨日の高山との慣れない話で、頭が疲れているせいか。

「分かった。確かめてみなければならないな」

 祖父さまの顔がきりっと引き締まり、眼光が鋭くなった。

 なるほど、これが、祖父さまの持つ軍人の顔か。

「行こう」

「今、すぐにですか?」

「そうだ。機を逸してはならない」

 祖父さまが、勢いよく立ち上がった。当然、宗次郎も立ちあがることになる。

「琴美と言う孫娘のところへ案内しろ」

 困った。こんなに早く話が進むなんて考えてなかった。心の準備が出来ていない。

「心の準備とは何だ。どうした宗次郎。お前の心は隙だらけだぞ」

「あ、いえ……」

 宗次郎の脳裏には、昨日の打ちひしがれた琴美の姿がある。これ以上琴美が苦しむ姿を見るのは辛い。高山も小西老人や時子さんも、勿論宗次郎も、どうにかして琴美を守らねばと思っている。

「さあ、案内するんだ」

 祖父さまが歩き出す。躰は祖父さまについて行くが、心は苦しいだけだった。

「あら、宗ちゃんどうしたの? 難しい顔して」

 時子さんが、台所から出て来てそう言った。

(このご婦人は?)

 祖父さまが、頭の中で訊いた。

(この屋敷の管理をしている、小西さんの奥さんです)

 良かった。直接話しかけられたら、時子さんパニックになるところだ。

(お前が事情を説明しなさい)

 こう言うところは、祖父さま結構用心深い。

「時子さん。今から、琴美さんと話してきます。少し時間がかかるかも知れませんが、お二人はいつも通りにしていて下さい」

「お父さん、宗ちゃんが琴美ちゃんに話してくれるんですって」

 時子さんが、台所の中へ向かって言うと、すぐに小西老人が顔を出した。

「そうか。頼むよ宗ちゃん」

「任せて下さい」

 祈るような二人の視線を背中に感じながら、宗次郎は琴美の部屋へ向かった。宗次郎も、祈るような気持ちである。琴美の祖母が脱獄者なら、ハッピーエンドは望めない。

 琴美の部屋の前に立ち、宗次郎は深呼吸した。軽くドアをノックする。すぐに返事はなかった。暫く待って、もう一度ノックする。

「はい……」

 細めにドアが開き、覗くように琴美の顔が半分見えた。

「琴美さん、少し話したい事があるんです」

「今はちょっと」

 琴美がドアを閉めようとするのを、宗次郎の手が押さえた。いや、正確に言えば、祖父さまだ。

「あなたのお祖母さまの事だ。大事なことだからね。それに、時間がない」

 強引にドアを開き、琴美を押し込むように、祖父は部屋へ入った。静かにドアを閉める。

「さて、単刀直入にいきましょう」

 さあ、座って。と窓際のソファへ琴美を座らせ、祖父と宗次郎も向かい側のソファに座る。

「あなたの中に……」

 言いかけた祖父さまの言葉が、途中で消えた。

 琴美を見た祖父さまが、訝しげな顔になり、じっと琴美を見た。

 琴美が、えっ? と言う顔で祖父さまを見る。

 祖父さま、そんなにじろじろ見るのはやめてくれ。こっちが気恥ずかしくなる。

 おや? 宗次郎も琴美を見る。この顔は、初めて琴美を見た時と同じ顔だ。と言うことは、今、琴美の中に祖母が入っているんだな。宗次郎の躰に、冷や汗が吹き出した。直接のご対面か。これで、全てが決まるぞ。宗次郎は覚悟した。


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