第18話 ではこちらも戦う準備とやらを始めましょうか 

ではこちらも戦う準備とやらを始めましょうか

 琴美が、げっそりした様子で立ち上がった。

「これで、良かったんでしょうか」

 誰へともなく呟く。

「これで良かったんだよ。上手くいったと思うよ」

 宗次郎が慰める。

 小西夫妻も疲れた様子で、口をはさまない。

「今日署名していたら、向こうの思惑通りになってしまう。だけど、こうやって、こっちも考える時間が出来た。今の間に何か手を打たなきゃね」

 そうだ、と宗次郎自身も思った。幾つか疑問が出てきた。

「小西さん、あの弁護士ですが、前から会社の顧問だったんですか?」

「いや、初めて見る顔だね」

「そうですか。と言うことは、琴美さんのお祖母さまが亡くなった後に、顧問になったんですね」

「うん。奥様が亡くなった時、高山って人が長い間顧問弁護士だったな。社長も信頼してた人だった」

「他に何か、会社で変わったことはありますか」

「俺も定年の後だから、詳しいことは知らないんだけどね、どうもリストラをやったようだよ。それも、社長が大切に育てていこうとしてた部門を閉鎖したりしてさ。奥様もそこいらを大事にしてらしてね」

「それは、さっきの重治さんが社長になってからですね」

「そう。そうなんだよ。高山さんも、その時顧問弁護士を解かれたんじゃなかったかな」

「高山さんに会えませんか」

「高山さんに?」

「ええ。リストラの状況や、この屋敷が会社の所有になった時のいきさつを聞きたいんです。今日の話はどうも胡散臭いと思いませんか?」

「胡散臭いどころじゃないわよ。あの弁護士の男、若いんだか年食ってるのかさっぱり分かんない顔つきでさ、気持ち悪い喋り方して。ああ、思い出しただけで虫酸が走る」

 時子さんが、背中をムズムズさせた。

 同感だ。思わず、あの弁護士の中にも、誰かが入っていると言いそうになって、宗次郎はかろうじてこらえた。今それを言うのはまずい。琴美や小西夫妻に、余計な不安を植えつける必要はないし、相手の魂胆が分からない内は、話さない方がいいだろう。

「とりあえず、向こうでお茶でも入れてくれよ。なんだか喉が渇いちまってさ」

 小西老人が言うと、

「そうね。そうしましょう。琴美ちゃんも疲れたでしょ」

 時子さんのひと言で、皆は台所のいつもの場所に移動した。

「なあ、高山さん、今、何処にいるんだっけな?」

 お茶をひと口すすって、少し落ち着いた小西老人が、時子さんに聞いた。

「確か、国立とか立川とかって言ってなかった?」

 時子さんが首をかしげる。

「高山さんなら、立川だったと思うけど」

 琴美が答えた。

「あら、琴美ちゃん高山さんの事知ってたの?」

「此処にもよく来てたし、会社でも後見人の話の時会ったから」

「琴美さん、高山さんの連絡先は分かりますか」

「はい、宗ちゃん先生」

 琴美がやっと緊張が取れた顔で、少しだけ笑顔になった。

 宗ちゃん先生ね。まあ、いいか。それだけ余裕が出てきた証拠だ。

「じゃあ、出来るだけ早く、明日にでも会えないか、訊いて貰えないかな。今度はこっちが、先制攻撃をかける番だ」

 ううむ、やはり祖父さまっぽい言葉の使い方になっている。

し 琴美が頷いて、すぐに携帯を取り出し電話し始めた。

「松島琴美と申します。高山さんでしょうか」

 話しながら、緊張した目で、宗次郎を見る。宗次郎は、自信ありげに頷いてやった。

「あ、高山さん。ご無沙汰してます。お願いがあるんですけど」

 時子さんが琴美の肩を抱いて、安心させている。

「会社と中野の家のことで、ちょっと訊きたいことがあるんですけど。来て貰えますか?」

 琴美はじっと耳を傾け、笑顔になった。

「ええ。明日にでもお願いします」

 相手の返事を待って、琴美は微笑んだ。片手で丸を作り、笑顔になる。

「はい、それじゃ、明後日。はい。待ってます」

 ふうっと息を吐いて、琴美は通話を切った。

「明後日、朝十時くらいに、こっちへ来てくれるんですって」

「良かった。高山さん、何か言ってた?」

 時子さんが訊くと、琴美が大きく頷き、

「高山さんも、色々話したいことがあるって」

 真顔で言った。

「そうか、まずはこれでひと安心だ。宗ちゃん、ありがとう」

 小西老人が本当にほっとした顔になった。

 こっちも何とか反撃の突破口が開けそうで、ひと安心だ。後は、琴美の中に入った祖母の事をどう説明するかだ。こっちも、楽な仕事じゃない。出来たら、祖父さまが俺の中にいる時の方が良さそうだ。タイミングが大事だ。

「宗ちゃん、これからどうするんだい?」

 小西老人、やはり心配そうだ。

「まず、高山さんと言う元顧問弁護士に話を聞いて貰って、今日渡された書類を見て貰いましょう。それから、高山さんの持ってる情報を聞いて、高山さんが協力してくれるなら、一緒に解決策を探るんです。専門家がいれば、打開策があるかも知れません」

「いいねえ。今日の様子だと、どうも向こうさん、急いでるようだったしな」

「その通りです。焦ってる分、向こうもぼろを出す可能性は高くなります。琴美さんも不安だろうけど、頑張って」

 宗次郎は、琴美に微笑んだ。琴美も笑みを返してきた。

「明後日が勝負ね。今日は少し休みましょう。みんな慣れない事で疲れちゃったでしょうから。早めに夕飯作りますから」

 時子さんも、いつもの調子を取り戻しつつあるようだ。

 土間ではクロベエが、そんな人間達を切なげな目で追っている。

 

 元顧問弁護士の高山敏明は、時間ぴったりにやって来た。

 五十半ば過ぎだろうか、薄くなった髪を撫でつけ、見事なメタボ腹の小柄なおじさんだ。

「わざわざご足労頂いて申し訳ありません」

 小西老人は丁重に高山を応接室へ案内した。

「いえいえ、松島の奥様関係事項なら、当然のことです」

 高山はにこやかに答えた。笑うと愛嬌がある。やはりその体型と顔から、寝起きの狸のように見えた。

「さて、お話と言うのはどんな?」

 座るなり、高山が訊いた。

「この屋敷と土地のことなんだけどね」

 小西老人が、昨日渡された書類をテーブルに置いた。

「あ、こちらは、藪坂先生。今度の事で色々力になって貰ってます。大学の助教授なんですよ」

 小西老人が、簡単に宗次郎を紹介した。

「藪坂宗次郎です」

「高山と申します」

 二人は名刺交換しながら名乗った。

「ちょっと失礼して」

 高山は書類を手に取り、ざっと読み込む。

 時子さんと琴美が、期待をこめた目で高山を見ている。

「書類上、不備はありません」

 読み終わった高山が言った。

「奥様と社長のお屋敷は、会社の所有なの、高山さん」

 時子さんが、不満そうに訊いた。

「ええ、登記はそうなっています。唯、昨日あわててサインしなかったのは、賢明でしたね。九月末までに退去しなければならないところでした」

「えっ、最初は十月いっぱいって話だったけどな」

 小西老人が驚いて、時子さんと琴美を見た。二人が頷く。

「一昨日の話では、琴美さんのお祖母さまが此処を会社の所有にしたのは、前社長、琴美さんのお父さんがまだいた時だと聞いたんですけどね。確か、債務保証人になった時だと。その時は高山さんは会社の顧問弁護士だったから、事情をご存知じゃないかと思って、その辺りを詳しくお聞きしたいと思っていますが、如何でしょう」

 宗次郎が言うと、高山の顔が怪訝な表情を浮かべた。

「いや、それはおかしいな。前社長は、奥様が債務保証人になるのを反対されたんですが、奥様がどうしてもとおっしゃって。その手続きをしたのは私ですから、よく覚えています。しかし、このお屋敷の登記変更はしていません」

 宗次郎と小西老人は顔を見合わせた。これは、もしかすると。互いの思いが合致したことを、目が語っている。

「登記変更の日時を確認してみましょう。とすると、噂は本当かもしれないな」

 高山は下唇を噛んで、狸のような丸い目を細めた。

「噂ってなんだい?」

 小西老人の目が光った。

「小西さんはよく分かってるだろうけど、松島産業は、最初はプラスチック成型がスタートでした。その後、金型製作、奥様が亡くなる前は、3Dプリンターの製作や使い捨ての有機質食器なども手がけるようになった」

「そう、そう。あの捨てても土に戻るって言う、有機質食器は画期的だったね。俺がいた頃は、有機質食器と3Dプリンターの製作はまだ小さな部門だったけどね」

 小西老人は、現役時代を懐かしむ顔になっている。

「気になったんで、昨日少し調べてみたんです。今、有機質食器部門は閉鎖されて、全員解雇。3Dプリンターは、開発した技術を売却してます。それとどうやら、ベトナムへの工場誘致で、一杯食わされたようです。かなりの損害が出たらしく、メインのプラスチック成型が揺らいでいますね。飽くまで噂ですが」

 やれやれと言う風に、高山は眉をひそめた。

「会社が危ないのかい?」

 小西老人が、ごくりと喉を鳴らした。

「危なくはありませんが、立て直しをやらないと事態は悪化すると思います。これも、噂ですが、重治さんの奥さん、真砂子さんの実家と提携して、ビルや土地を買い漁っているようです。バブルじゃあるまいし、今やるべきことじゃありません。確かに、都内の家屋や土地の買い取り価格は、少しずつ上がってはきてますが、難しい状況ですからね」

「それで、この家を壊して、マンションを建てるってことになったんでしょうか?」

 琴美が訊いた。

「あり得ますね。それにしても、どうも面(お)妖(か)しいな。私に言わせると、この屋敷に執着しすぎてる気がする」

「それだけ、会社の経営状態が行き詰まっていると言うことになりませんか?」

 宗次郎の言葉に、高山は首を振った。

「いや、それはないでしょう。マンションひとつで、傾いた会社が立ち直るなんてことはない。もっと別の理由があるように思いますね。それより、琴美さんがサインしないとなると、重治さん、どんな手を使ってくるか、それが心配だな」

 ちょっと失礼。と高山は携帯を取り出した。

「高山です。悪いけど、昨日話してた中野の松島邸の……そう、登記変更の時期を調べてくれるかな。……うん、今すぐ。そう。……分かったらすぐに連絡下さい」

 携帯をテーブルに置くと、高山は皆を見渡し、

「私の方で調べますから、暫く待って下さい。これは、本気で懸かった方が良さそうです」

 真剣な顔で言ったが、やっぱり狸が餌を狙っているように見える。 宗次郎は、高山を信頼出来ると思った。重治が連れて来た、確か大野とか言う奴とは全く違う事は明白だった。

「高山さん、一昨日来た弁護士が、大野と名乗ってましたが、ご存知ですか。それ程、年配ではありませんでした」

 宗次郎の問いに、暫く考えた高山が、大きく頷いた。

「大野事務所ですね。大きなところで、色んな会社に食い込んでます。弁護士が大野と名乗ったのなら、年齢からすると大野の長男でしょう。ちょっと待って下さい。……そうか、大野事務所は確か、重治さんの奥さんの実家、石田コーポレーションの顧問弁護士もやってた記憶があります」

 ふうむ、高山は唸ると、腕組みして考え込んだ。


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