第17話 悪役はピンチを土産にやって来る

悪役はピンチを土産にやって来る

「単刀直入に申しますと、このお屋敷と敷地は、会社の所有と言うことです」

 書類から目を上げ、弁護士はちらっと鋭く琴美を見る。

 その目つき、どうも気に入らないな。宗次郎は、思わずじろりと睨んだ。ほら、祖父さまに似てきてる。今日祖父は、宗次郎の中にはいない。琴美の方も、今日はお祖母さまは、来ていないらしい。

「ちょっと、待って下さい。そんな筈はありません。確かに奥様から、この家屋敷は、私有の物だと伺っています」

 驚いた小西老人が反論した。

「それは、先々代社長の頃ですね。先代社長が跡を継がれ、会社の債務保証人になられた時点で、この屋敷と土地の登記名義が会社に移されています」

 弁護士は、書類をテーブルの上に置いた。

 当事者の現社長、松島重治と妻の真砂子は、弁護士に全て任せている感じで、ひと言も喋らない。

「今回、会社としましては、この屋敷の広大な敷地を全て売却するのではなく、離れと庭などを売却し、母屋部分は残してと考えています」

 弁護士の抑揚のない声が、容赦なく響いた。

 こう理詰めで来られたのでは、小西老人も反論出来ない。相手は用意周到で事を構えているのだから、どうも太刀打ち出来ない状態に追い込まれている。宗次郎も、土地や登記に関してはさっぱりだし、相手が法人とあっては口の出しようもない。会社組織に関する法規などまるで興味がなかった宗次郎である。ディアブロの金地金ぐらいしか知らない。それは琴美も同じ事で、何をどう質問したらいいのかさえ分からないだろう。

 だが、今に見てろ、だ。

「ねえ、小西君」

 ようやく現社長の松島重治が口を開いた。

 小西老人が現役だった頃、重治は専務として会社の経営にも参画していたので、小西老人とも面識がある。専務の頃の社内評価は,それ程悪くはなかったが、特別良い訳でもなかった重治である。

「私の提案なんだが。もしも、琴美ちゃんの了解を得られるなら、此処にマンションを建てて、そこに住んでくれても良いんだ。小西君、君の部屋も用意するよ。それに、琴美ちゃんが成人したら、会社の経営にも……」

 真砂子が焦って、重治の脇腹を小突くのが見えた。

「あなた、何もそんなに急がなくても良いじゃありませんか。琴美ちゃんの気持ちもあることだし。ねえ、琴美ちゃん」

 妻の真砂子がにこやかな顔で言ったが、お世辞にも邪気のない笑顔とは言えない笑いだった。夫婦しての馴れ馴れしい物言いにも、宗次郎は引っかかる。まるで毎日琴美と会っていたような口ぶりだ。

「では、こちらに署名して頂ければ、手続きは完了します。どうぞ」

 弁護士が、相変わらず抑揚のない声で、書類の下方を指で示した。

 琴美が書類を自分の方へ引き寄せる。

「分かりました」

 そう言って、琴美は書類を封筒に仕舞い込んだ。

「あの、私が言ったことを、理解していらっしゃらないようですね」

 弁護士の目が冷たく光った。

「十分に検討した上で、ご返事します」

 よし、打ち合わせた通りの答えだぞ。

 どうだ、こっちが署名しなけりゃ、そっちだって先へ進めないって寸法だ。法規上の知識や経験はなくても、素人でも、対抗策は取れる。時間稼ぎって奴だ。さあ、相手はどう出る?

「今日署名されませんと、難しい事になります。法的手段に訴えざるを得ないのですが、そうなると、圧倒的に不利な条件を受け入れる結果になりますが。それは、ご了承戴けますか」

 やはり、そう来るのか。しかし、この弁護士、妙な感じが漂ってくる。あの目だ。修三に乗り移った北川程ではないが、同じ光を放っている。いや、祖父さまがいないから何とも言えないが。即断は止めておこうか。

「琴美ちゃん、そうなのよ。会社としては、そうせざるを得ないことになるの。琴美ちゃん、全部取り上げられちゃうのよ。分かって言ってるのかしら?」

 社長夫人真砂子が、じわりと真綿で首を絞めるような言い方をした。

「後見人である私も、考えなくちゃならなくなる。そうなると、正当な手続きが出来るかどうか、不安を感じるねエ」

 現社長重治が、見透かすような目で琴美を見据えた。

 これが、こいつらの本性のようだな。出来るだけ冷静な目で見ようとしている宗次郎だが、どうもいけない。

「どうなの? 琴美ちゃん」

 真砂子の語気が強くなり、目の色が変わっている。

 焦っているのか? ふと、宗次郎は思った。

 琴美がそれとなく、宗次郎を見る。不安そうな顔だ。宗次郎はそっと首を横に振って、相手の誘いに乗るなと信号を送った。琴美が小さく頷く。

「今日はこれでお引き取り頂けますか、叔父さん。私にも少し考える時間が必要ですから。決して署名しない、と言っているのではありません。分かって頂けますでしょう」

 琴美は頭を下げた。

「分かりました。社長、少し猶予を与えても良いでしょう。いずれ、署名して頂く訳ですから」

 弁護士が薄い笑いを浮かべて言った。それは、最後通告のように冷たく響いた。

「小西君、君も会社にいたんだから分かるだろう。ちゃんと琴美を説得してくれよ」

 言うと、重治は乱暴に立ち上がり、ふんと鼻を鳴らして背を向けた。小西老人は、黙って重治の背中を睨んでいる。

「次にお会いするのを、楽しみにしています」

 弁護士が丁寧に頭を下げ、真砂子を促して、部屋を出て行った。

 あの目だ! 宗次郎は確信した。北川と同じ目をしている。主役は、社長夫妻じゃなかった。あの弁護士だ。宗次郎の全身が冷たく凍った。

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