第16話 宗次郎小西夫妻に責められる
宗次郎 小西夫妻に責められる
「なあ、宗ちゃん、さっきの琴美ちゃん、やっぱり例のあれなのかね?」
小西老人、やりきれない顔になっている。
「ええ、そうですね。間違いありません」
宗次郎はもう遠慮しなかった。自信を持ってはっきりと答えた。
「そうか……。やりきれねえなア。なんでこんな事が、ねえ、宗ちゃん」
「大丈夫です。ちゃんと決着をつけますよ」
言ってしまって、宗次郎はあれ? と思った。決着をつけるなんて言う心算は、これっぽっちもなかったのだ。これは、祖父さまの影響か。
「宗ちゃんが、そんな風に請け合ってくれると、心強いな。頼むよ」
宗次郎のグラスにスコッチを注ぎながら、小西老人はやっと笑顔になった。宗次郎は、頷くだけにした。
時子さんがげっそりした顔で戻ってきたのは、それから三十分ほどしてからだった。
「琴美さんは、目を覚ましましたか?」
宗次郎の問いに、時子さんは無言で首を横に振り、グラスを持って来ると、スコッチを注いでぐいと流し込んだ。時子さんの明るい声がないと、この家は火が消えたように暗くなる。
「小西さん、時子さん。話さなきゃならないことがあります」
宗次郎がグラスを置き、姿勢を正した。
「どうしたんだい、改まって」
小西老人も、そっとグラスを置いた。
「まずは、僕の事から話さなきゃなりませんが、これは、琴美さんとも関係ある重要な事です」
宗次郎は、スコッチを飲み干し、小西老人と時子さんの顔を順番に見て、話し始めた。
「以前、僕が蔵の前で、夢遊病のように立ってたことがありましたよね?」
うん、と頷き、小西夫妻は顔を見合わせる。やはり不安のようだ。それはそうだろう。
「あの後、何度も同じ事が起こったんです」
ううむ、まずい言い回しだな。余計に恐ろしがらせてしまうぞ。
「いや、大丈夫です。あの時のような、記憶がないなんてことにはなりませんでしたから。今、琴美さんが経験していることと同じ事が、僕に起こったんです。だから、僕には琴美さんのことが良くわかるんです」
何を言ってんだか。これじゃ支離滅裂だ。どうすればいい。
「宗ちゃんにも、奥様が乗り移ったの!」
時子さんが、小西老人にすり寄り、宗次郎をまばたきもせず凝視した。恐怖の目だ。
「いえ、違います。僕には奥様は乗り移ってはいません。そんな馬鹿なこと」
「馬鹿なことじゃないだろ、宗ちゃん! こっちは必死なんだぞ!」
小西老人が怒声を発した。
「そうよ。いい加減なこと言わないで。琴美ちゃんが大変なのに、何なの、その言い草は!」
時子さんが金切り声で叫んだ。
「頼まねえ! 宗ちゃんの訳の分からない話なんぞ聞きたくもないよ。部屋へ帰って呉れ。頼りにした俺が馬鹿だったんだ」
ああ、最悪の状態になった。
「静かに!」
いかん、怒鳴ってしまった。火に油を注いでしまった。馬鹿だ俺は。うん? 俺じゃない。叫んだのは俺じゃない。でも、祖父さまが俺の中に入って来た感覚は全くない。どう言うことだ。ほら、小西老人と時子さん、引きつった顔で俺を見てるぞ。ええい、怒鳴ったからには、後へは引けない。このまま一気に行ってしまえ。
「いいですか、ちゃんと最後まで僕の話を聞いて下さい。それから判断しても遅くはありません。いいですね?」
小西夫妻は、人形のように、こくんこくん、と無言で頷いた。
「僕に乗り移ったのは、僕の祖父です。琴美さんのお祖母さんじゃありません。唯、何故そうなったのかは不明です。だから、今、琴美さんが陥っている状況が僕には理解出来るし、感じることも出来る」
ええい、飲んでやる。宗次郎はグラスに酒を注いだ。
「僕も最初は驚きました。突然、祖父の声がして、僕に話しかけてくるんですから。これが何度も起こると不思議なもので、他人じゃありませんからなんとなく慣れてくるんです。それに、変な事が起こる訳でもありません。最初、琴美さんを奥様だと、お二人が思ったのは間違いなかったんです。あの時は、琴美さんではなく、奥様が話していたんですから。分かるでしょ、立ち居振る舞いや思考も奥様のものだから、そうなってしまうんです」
宗次郎は、酒を口に含んだ。ふん、いい香りだ。
「で、宗ちゃん、今はどうなんだい? お祖父様が、いらっしゃるのかい?」
小西老人が、恐る恐る訊いた。
「いえ、いや、今は祖父が僕の中にいます」
「そう。だからいつもの宗ちゃんじゃない感じがするのね」
時子さんは夫の小西老人にくっついて離れない。まだ、警戒を解いていないようだ。
「その事は後で。僕もそこの所は上手く説明出来ません。唯、僕の場合何回も祖父さまが乗り移っているので、その所(せ)為(い)かも知れません。話を進めます。少なくとも、琴美さんに何回もお祖母さまが入っても、自分を失うことはありません。今も僕は僕ですから。害はない訳です」
これじゃ説明にも釈明にもなってないな。逆に小西夫妻の不安と恐怖を煽ってるようなもんだ。
「害がないって、本当?」
時子さんが、そろりと小西老人から躰を離した。
おや? 何か伝わったのかな?
「ええ。僕も琴美さんも、本人にとって害はありません。」
「琴美ちゃん、元に戻れるのね?」
「戻れると思います」
答えながら宗次郎、重いプレッシャーに苛(さいな)まれている。
いよいよもって、祖父さまと俺の動き方次第で、結果が大きく変わる事を、宗次郎は実感した。
「宗ちゃん、お祖父さまが宗ちゃんの中にいる時は、どんな感じなんだい」
小西老人が、探るように訊いた。
「生きてる人と同じで、向かい合って話してますよ」
「お祖父さまの顔が見えるんだ?」
「ええ。今のように、小西さんや時子さんと向き合って、話しているそのままに姿が見えるんです。最初は違和感がありますが、慣れると普通の人と話している感覚になります」
「そう……。お祖父様は、何で宗ちゃんの中に入ってきたの? 何か理由があるんでしょ? 何かおっしゃってた?」
時子さんが身を乗り出して訊いてきた。
「ええ、そこが一番大事なところですよね。なにか、と言うより、誰かを捜しているらしいですよ、祖父は。それと何かやらなくちゃならないことが有るとも言ってました。ただ闇雲に乗り移る訳じゃなさそうです」
流石に、脱獄者の捕縛なんて事は言えないが、これくらいなら大丈夫だろう。
「そう。じゃあ、奥様もやっぱり、何か目的があって琴美ちゃんの中に入ったってことよね」
「勿論、そうでしょう」
「奥様は、このお屋敷と琴美ちゃんが心配で、琴美ちゃんに乗り移ったんだよ。うん、間違いない」
小西老人の顔に、生気が戻った。
「私もそう思うわ。それ以外に考えられないもの」
時子さんも頷く。
人はやはり、自分の常識や経験の中で、自分の心が望む答えを見つけようとするのだろう。宗次郎は思った。
確かにそうなのかも知れないが、宗次郎には大きな悩みがある。もし、琴美の祖母が脱獄者だった場合、どんな事が起こるのか。どんな結末を用意しなければならないのか。それは、宗次郎や祖父が決められることではないが、出来るだけ幸せな結末を迎えさせてやりたい。それが、宗次郎の一番の悩みだった。そうでなければ、琴美だけでなく、小西老人や時子さんまで悲しませることになる。それは辛い。
「ですから、琴美さんのお祖母さまも、心配がなくなれば、きっともう琴美さんに乗り移ることもないと思います。まずは、僕が琴美さんに話してみましょう。それから、みんなで解決策を考えましょう」
「そうだな。宗ちゃんの言う通りだ。……いや、さっきは怒鳴って悪かったよ。つい、かっとしちゃってさ」
「ごめんなさい、私もつい」
「そんな、謝らないで下さい。僕の言い方が悪かったんです。もっとお二人の気持ちを考えれば良かったんです。済みませんでした」
宗次郎は素直に謝った。
「そう言うところが、宗ちゃんの良いところだよな。あまりものに拘(こだわ)らないところがさ」
「お父さん、あんまり調子に乗らないでよ。私達の勘違いで、宗ちゃんに気まずい思いさせちゃったんだから。本当にごめんなさい」
時子さんが、きちんと膝に手を置いて頭を下げた。
「いえ、もうこの話は止めにしましょう。それより、琴美さんにいつ話すか相談しなきゃ」
「そうだな。それが大事なことなんだ。明日じゃ、まだ琴美ちゃんショックから立ち直ってないかもしれないし、明後日は連中が押しかけてくるし。こいつはどうも困ったね」
小西老人、いまいち思案が定まらない。
「早くて、明後日以降になるでしょう。少し落ち着いてからの方が良いと思います」
「そうね。まずは向こう様が何て言ってくるか、そっちを確かめてからでも遅くないわよね」
と、時子さんは意外と落ち着いている。
「そうだよな。こう、幾つも面倒が重なってちゃあな」
小西老人は、グラスに残ったスコッチを、一気に喉に流し込んだ。
「琴美ちゃん、今の社長とは殆ど面識がないんだけど、大丈夫かしら」
時子さんが、心配そうにぽつりと言った。
それは初耳だ。叔父であり、後見人でもある現社長と親しくなかったのだろうか?
「ちょっと待って下さい。琴美さん、後見人の叔父さんとどれくらい会ってないんですか?」
焦った宗次郎の声が、少しうわずっている。
「そうね、少なくとも二年は会ってないわねえ。その前だって、重治さんとは会社だけの繋がりだから、この家に来たのも二、三回よ。だから、琴美ちゃんとも殆ど話したことなんてないわよ」
時子さんが仕様がないという風に首を振った。
「そう、そうなんだよ。叔父と姪だと言っても、向こう様にしてみれば形だけのもんなんだ。何を考えてるか、知れたもんじゃないんだ。俺にはちゃあんと判ってるんです」
ピッチが上がった小西老人が酔い潰れ、この夜の話はお開きになった。
だが、宗次郎は眠れず、部屋に戻ってからも頭をよぎる想念と戦っている。
一番気に掛かるのは、祖父が入り込んでいたのに、それを全く感じなかったことだ。そして祖父さまを感じることなく、俺が祖父さまのような物言いをしていたことだ。第一、怒鳴るなんて人生で初めてに近い経験だ。俺の中で、何が起こっているんだ? 宗次郎はぎょっとした。まさか、祖父さまと俺の精神(こころ)が、ひとつのものとして繋がり始めているのだろうか。
「それは、俺と祖父さまの心と言うか、魂が、同化している?」
ぞっとしない話だ。だが、あり得ないことではない。
このまま行けば、祖父さまがいなくても、俺は祖父のようになっていく可能性があるぞ。
そしてもう一つの悩みは、琴美の祖母が脱獄者だった時の、琴美が受ける衝撃の大きさだ。これは、琴美の中に祖母が入ってきた時より、想像を絶する驚愕をもたらすだろう。その時、琴美が堪えられるかどうか。誰もその傷を癒やすことは出来ないだろう。宗次郎は悩み疲れて眠った。
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