第14話 祖父様勝手に俺の中に帰って来る

祖父様勝手に俺の中に帰って来る 

 一週間ぶりの大学だったが、何の変わりもない風景が広がっている。学生の姿も殆ど見えない。夏休み中のゼミも終わったのだろう。研究室の自分の机に落ち着いたが、やる気はない。

 祖父さまの肖像画、まだ出してなかったな。そんな事を思いながら、手の中で弄んでいるのは、祖父さまが残していった露西亜の金貨である。別に特別な興味はないが、東京に戻って以来、ずっと持ち歩いている。あれから、祖父さまは姿を現さない。

 一週間があまりにも過激だった。

 福岡に帰ったのは、もうずっと前のことに思える。

 宗次郎はため息をつき、金貨を指で弾いて独楽のように回した。

「分かったぞ、宗次郎」

「おおっ」

 祖父さまだ。

 うんざりしながらも、祖父さまの出現を、どことなく待ってもいた宗次郎である。

「祖父ちゃん、訊きたいことがあるんだ」

「私はどうやら、役目を託されたらしいのだ」

 だから、俺の話も聞いてくれ。大切なことだから。宗次郎の心からの訴えは、祖父様には通じなかった。

「お前と私のような状態にあるのは、私達だけではないようだ」

「えっ。他にも居るんですか?」

 宗次郎、ぴりっと目が覚めた。訊きたいことのひとつがそれだったんだ。

「そうだ。それも、あまり良い状況ではない」

「もっと面妖(おか)しなことが、起こるってことですか」

「それは、他の者に乗り移った者達次第になるだろうが。まずはその輩を探し出さねばならない。宗次郎、しっかり頼むぞ」

「えっ? 探し出すのは、祖父ちゃんの仕事だろ?」

「馬鹿を言うな。探すのは私だが、使うのはお前の躰だ」

「えっ、僕の躰でってことは、結局僕が探すんですか?」

「そうだ。当たり前の事を言うな」

「そんな。あんまりでしょう。祖父ちゃんがひゅうって飛び回って、さっさっと探せば良いでしょう」

「馬鹿を言うな。こっちでは躰が必要なんだ。誰かの中に居ないと、八時間程で、私という存在は消滅してしまうのだ。お前は何も理解しておらんな」

「そんなこと、一度も言わなかったでしょ」

「訊かないからだ」

「これからは、そうします。それで、他にも乗り移られた人間がいるって、確かなことなんですか」

「間違いないから、私に指示が降りたんだ」

「指示? 誰から?」

「むっ……」

 蔵之介が黙り込んだ。余計な事を口走った、と言う顔をしている。こう言う時、祖父さまの姿が見えるのは、非常に都合がいい。

「祖父ちゃん」

 祖父さまは、空惚けた顔で、あらぬ方を見ている。

「祖父ちゃん、あの世のことを知っておきたいんだけど、少し話して貰えませんか。そうすれば、何か対応策を立てることが出来るだろうし」

「駄目だ」

 今度は即座に返事が返ってきた。

「何故駄目なんです」

「あの世のことを話すのは、厳しく禁じられている。話してはならんのだ」

「それは、誰が決めたんですか?」

「それは、勿論……」

 言いかけて、蔵之介は、宗次郎を睨んだ。

「宗次郎、お前、誘導尋問が上手いな。危ない、危ない」

「じゃあ、さっき言った役目の事も話せないんですね」

「いや、それは話さねばならない。大事なことだ」

「伺いましょう。僕の躰を使って役目を果たすんですから、しっかりと聞いて置かないといけません。話して下さい」

「脱獄者の捕縛と収監だ」

「祖父ちゃん、自分が分かってるからって、端折り過ぎです。何処からの脱獄者なのか。何人いるのか。どうやって捕縛するのか。何処へ収監するのか。収監の方法はどんなものなのか。最低、これくらいは、説明して下さい」

「その全部が分かれば、私も気が楽なんだが。分かってるのは、脱獄者が二人以上いるってことだ。脱獄者が、誰に取り憑いたか、それは今からお前と捜さなきゃならない」

「脱獄者の一人が、修三に取り憑いた、北川と言う男ですね」

「そうだ」

「何故修三に取り憑いたかは、不明ですか」

「私の推測だが、私が宗次郎を選んで入ったからかも知れない」

「僕を選んで、中へ入ったんですか!」

「そうだ。私とお前は相性が良いらしい。他の者を先に試したが駄目だった。それで仕方なくお前に入ったら、相性が合ったと言う訳だ」

 みそっかすの俺が、見事敗者復活戦を勝ち抜き、優勝したって訳か。ありがとう、祖父さま。孫より祖父へ最高の皮肉をこめて。

「他には?」

「脱獄者を発見したら、乗り移られた者を意識がない状態にしなければならない。そうすれば、脱獄者は自然と、元の場所に戻るそうだ」

 宗次郎はまた嫌な予感に襲われた。意識のない状態って、どうするんだ? いや、今は考えまい。

「忘れるとこだった。戦うのは私一人ではない。相棒が何処かにいる筈だが、それも捜さなきゃならない」

 祖父ちゃん、勘弁してくれ。それに、今、戦うって言わなかったか。戦うって、脱獄者が乗り移った相手と戦うってことかい?

「そうだ。お前が今考えた通りのことだ。戦って、相手を意識がない状態にしなければならない」

「無理でしょう。僕は戦い方なんて知らないし、喧嘩したこともないのに。第一、暴力に訴えるのは良くない。もっと穏やかでスマートな解決法があるでしょう」

「ない。これは、仕方ないことらしい。まあ、大丈夫だ。武道については、私に心得がある。戦う時は、お前の躰で私が戦う。お前は見ているだけで良い」

 祖父さまはきっぱりと言い切った。

 言い切られても困る。痛いのはきっと俺の躰だ。あの世には、天才や鬼才が腐るほど行ってる筈なのに、戦いと言う野蛮な方法しか捻り出せなかったのか。まあ確かに、相対性理論や純粋理性批判じゃ、脱獄者の捕獲には役に立たないだろうな。

「では、そう言うことで、宜しく頼む」

「待った。さっき言ってた祖父ちゃんの相棒って、全然見当はつかないんですか?」

「うむ、私にもさっぱり分からない。色々考えたのだが、相棒になりそうな知り合いが多くてな。分かったら知らせる」

「そんなので間に合うんですか?」

「時間制限はない。捕縛するまではお前に付き合って貰う。それが嫌なら、しっかり仕事することだ。お前なら出来る」

「祖父ちゃん」

 と言った時にはもう遅かった。祖父さまは影も形もなく消えていた。

 いつもいつも、突然出てきたと思ったら突然消えてしまうんだからな。勝手なもんだ。しかしこれは、とんだ迷惑だなんて言ってられなくなった。どうすればいいんだ。戻って来い祖父さま。

「かなり、面倒なことになっちまったぞ」

 宗次郎は頭を抱えた。

 とその時、宗次郎は、ある事に気付いた。

「琴美の中に入った、琴美の祖母は、これも脱獄者の一人か」

 この事である。

 これは、面倒どころじゃないぞ。

「琴美に、ちゃんと話すしかないな」

 待てよ、もしも琴美の祖母が、祖父さまの言う脱獄者なら、彼女の中に祖母がいる時はまずいか。修三に乗り移った北川のおぞましい姿が、宗次郎の脳裏に浮かんでいる。何かとんでもないことが起きるかも知れない。少なくとも、祖父さまが俺の中に居る時の方が良さそうだ。それに、これで宗次郎にふりかかってきた一連の異常な出来事がつながった。だがこれからだ。宗次郎はどうするか決めかねたまま、そそくさと大学を後にした。


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