第13話 ぎこちない食卓

ぎこちない食卓

 最初は自分自身だった。田舎に帰るともう一度、今度ははっきりと症状が現れ、弟の修三までが変な奴に憑依された。そして東京に戻った途端、初対面の琴美に、祖母らしき人が乗り移った。これを単なる偶然と見做して、見過ごしていいのだろうか。だけど俺は、霊媒師でもなければ、霊能者でもない。金縛りにあったことも、幽霊を見たこともない。

 こんな時に限って、疑問に答えてくれそうなたった一人の存在は、影も形も見せないんだからな。祖父さま、出てこい。

「ああ、お腹空いた」

 琴美は、どさりと椅子に腰を下ろした。ショートパンツにタンクトップ姿だ。すぐにアイフォンをいじり出す。風呂に入り、メイクを落とした琴美は、端正な顔立ちをしている。ボーイッシュなきりっとした顔立ちである。メイクしない方が綺麗だな。

 その姿を見ながら、時子さんが戸惑い、それでも何処か安心したような表情になっている。

 小西老人が時子さんと宗次郎を見て、苦笑いを浮かべた。どちらにしても、妙な空気が漂っている。

 今、目の前に居る琴美は、最初見た時の時代にそぐわない雰囲気など、何処にもまとっていない。今時の女の子に見える。

「琴美ちゃん、つい引き合わせるの忘れてたけど、こちらが、藪坂宗次郎さんだ」

 小西老人が言った。

 アイフォンから目を上げた琴美が、じっと宗次郎を見る。

「ああ、おじ様にメールを教えてくださった。藪坂先生ですね」

 琴美は立ち上がり、

「松島琴美です」

 ぺこりと頭を下げる。

 宗次郎も急いで立ち上がり、

「藪坂宗次郎です」

 軽く頭を下げた。

 琴美は柔らかい身ごなし椅子に座り、くすっと笑った。

「思ってたより、若く見えるんですね、藪坂先生って」

 首をかしげるようにして、琴美がまたにこりとした。

「あ、それは、嬉しい言葉ですね」

「本当ですよ。まだ二十代後半に見えますよ」

 琴美の言葉に、宗次郎何故か赤面している。

 宗次郎は、自分にちょっと腹が立っているのだ。若い女の子に、若いですねと言われて、ちょっとだが嬉しくなった自分が恥ずかしく、腹立たしくもある宗次郎だった。だが、確かに悪い気はしない。

「さあ、出来ました」

 時子さんが、刺身を並べた大皿を、テーブルの真ん中に置いた。

 それを見て、琴美がすっと立ち上がり、味噌汁をつぎ始めた。

「琴美ちゃん、座ってなさい。私がやるから」

「いいの、いいの。私はお客さんじゃないんだから。やって当たり前」

 へえ、結構しっかりしてるんだ。宗次郎は、琴美に好感を持った。母親から、しっかり躾けされたんだろうな。そうか、小さい頃に両親を亡くしているから、これは祖母の躾けになるんだろうな。根はきちんとした育てられ方をしたんだろう。俺は男兄弟だから、こんな情景はなかったな。宗次郎はちょっと寂しくなった。

 最初に宗次郎、次に小西老人、それから時子さんの分、最後に自分の前に味噌汁を置く。それから、お盆の上にご飯茶碗を並べ、味噌汁と同じ順番で置いた。

 その間に、時子さんは漬物や里芋の煮付けなどを並べる。

「頂きます」

 皆が声を揃えた。

 琴美は、箸の上の方を右手で持ち、下側に左手を添え、右手を返して箸を持った。軽やかで美しい動きが自然だった。

「おば様のお漬物、めっちゃ美味しい。これが食べたかったんだ」

 だの、

「本物の御(お)味(み)御(お)汁(つけ)、久し振り。ううん、美味い!」

 だの、琴美が連発する美味いが爆発した。美味いの爆発の中、琴美は旺盛な食欲を見せた。三杯目は、残った刺身で茶漬けにし、時子さんの漬物をバリバリやりながら、豪快に掻き込んだ。

 小西夫妻は、そんな琴美を当惑の目で見ている。

 小西夫妻の気持ちが手に取るように分かる。帰って来てすぐの琴美と今旺盛な食欲を見せる琴美では、あまりにギャップがありすぎる。

 琴美と言う新しい因子(ファクター)が加わり、予測を許さない状況が生まれたようだ。

 時子と二人で茶碗を洗うと、琴美は目を輝かせ、

「おじ様、練習用のネットを、庭に張ってもいい?」

 小西老人に訊いた。

「いいよ。手伝うよ」

 小西老人がいそいそと立ち上がる。

「僕も手伝いましょう」

「悪いな、宗ちゃん」

「おじ様、藪坂先生のこと、宗ちゃんって呼ぶんですか。じゃあ私、宗ちゃん先生って呼ぼうかな」

 ちょっと待て。いきなりそこへ飛ぶのか。宗次郎はかなり慌てた。周章狼狽とは、これを言うのだろう。

「おっいいね。宗ちゃん先生か」

「小西さん……」

 まあ、いいか。こうなったら何とでも呼んでくれ。宗次郎は開き直ることにした。琴美が此処にいる間だけのことだ。そんなに長い期間じゃないだろう。

 キャンプしたことのない者がテントを立てるような要領の悪さで、小西老人と宗次郎は練習用のネットを立てた。前もって送られた大きな荷物のひとつが、この練習用ネットだったのだ。

「ありがとう、おじ様、宗ちゃん先生ありがとう」

 いいえ、どういたしまして。宗次郎は汗を拭きながら、琴美が芝マットの上にゴルフボールを転がし、アイアンのクラブを取り出すのを見ていた。早速練習するらしい。

 琴美は軽くクラブを振ると、ボールを足許に置いた。流石に、表情が引き締まり、目が強い光を放っている。力が抜けたゆっくりしたスイングに思えたが、ボールは金属的な音を残し、低い弾道を描いてネットの真ん中へ突き刺さった。

 その善し悪しは、素人でゴルフは全くやったことのない宗次郎には皆目分からなかったが、打ち終わった後の姿が美しいと思った。五十球ほど打ち終わったが、終わる気配はない。一体どれくらい打てばいいのか。いつの間にきたのか、クロベエも琴美が打つ球を目で追っている。

「宗ちゃん。汗かいたから、汗流して、もう一杯やるか」

 小西老人が言った。小西老人も少し飽きてきたらしい。

「いいですね」

 潮時とみて、宗次郎は小西老人の誘いに乗った。

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