第11話 帰って来た孫娘は異様だった
次の日は朝から晴れ渡り、蝉の声が時雨れていた。
朝早くから、小西夫妻は落ち着きがない。
時子さんは、お茶が矢鱈熱すぎたり、味噌汁が薄かったりする。
小西老人は、七時くらいからいそいそと門の前まで出て、左右を見渡している。
宗次郎はクロベエの朝の訪問を受け、熱烈な親愛の舌に顔を濡らした。
孫娘の琴美が戻ったのは、午前十一時ちょっと前だった。
門の前に出ていた小西老人が、あたふたと駆け戻って来て、
「時子、時子!」
奥へ向かって叫んだ。小西老人の努力は、十六回目にして実った。
声を聞きつけた時子さんが、転がるように廊下を走り抜け、サンダルをつっかけるのももどかしく、小西老人の横に並んだ、
宗次郎も台所から出て、廊下の端の辺りに立った。琴美とは初対面の宗次郎が、小西夫妻が待ち望んだ琴美との再会を、邪魔することはないと考えたからだ。
前庭に、一台のタクシーが止まった。
ドアが開き、琴美らしい若い女性が出て来た。
身長は百六十前後だろう。ストーンウオッシュのジーンズに、白いベアトップチューブと言う姿だ。十九歳の肌が、陽射しを撥ね輝いている。
今時の娘だ。宗次郎は、琴美の格好を観察しながら思った。
運転手は、トランクからゴルフバッグとパステルグリーンのトランクを式台に運び、丁寧に頭を下げ車を発進させ門を出て行った。二日前に、幾つかの大きな荷物が届いている。
「お帰りなさい、琴美ちゃん」
時子さんが、いつもより高い、喜びを満載した声と満面の笑みで迎え、
「お帰りなさい」
いつもより重々しい声と態度で、だが溶けるような笑顔で小西老人が迎えた。
琴美が軽く頷き微笑んだ。それから、屋根の方を見上げ、ぐるりと見渡すと、式台へ向かって歩き出した。
その後ろで、小西夫妻が顔を見合わせ、怪訝なそれでいて思い詰めたような顔をしている。宗次郎の位置からは、小西夫妻のそんな姿は見えなかった。
「おや……?」
宗次郎は、式台の前に立ったその姿を見て、思わず首をかしげた。
メールアドレスを控えた文字から受けた、宗次郎が教えている学生達と重なっていた琴美のイメージが、あまりにも目の前の姿とかけ離れていたからだ。スカイプで見た顔ともまた違った雰囲気である。
すっと伸びた背筋と、心持ち引いた顎。たおやかだが凛とした匂いが漂っている。
顔立ちや着ているものは間違いなく今時の女の子なのだが、顔つきが宗次郎が知っているものとは違っていた。何処がどうだとは言えないのだが、現代を育ってきたと思えない、やはり凛とした静けさと落ち着きがある。琴美が醸し出すものが、たしかに内側から出てくるものだと言うことだけは宗次郎にも判った。
小西夫妻は、琴美が式台に着く前に駆け戻り、琴美を式台で待っている。
「ご苦労様です」
小西夫妻に声を懸けて、すっと頭を下げる。
声は若く可愛らしいのだが、その口調にはずしりとした重みがあった。
宗次郎は、背筋がぞくっとした。悪寒ではない。何か、この世のものでない、いや、今の時代にそぐわないものが、突然目の前に現れた気にさせられたからだ。
小西夫妻はと見ると、琴美を迎えた朗らかな態度とは打って変わり、緊張した面持ちで手をつき、丁重に頭を下げている。
「お、お帰りなさいませ」
「ただいま、帰りました」
小西夫妻の横を静かに抜け、琴美は廊下を奥へ向かって歩いて行く。
その後を、小西夫妻が畏まってついていくのも、宗次郎には何処か不思議なものに見えた。宗次郎もあとに続いた。
琴美は仏間に入り、仏壇の扉を開くと、慣れた手つきで灯明に火をともし、線香を立てると、手を合わせ目を閉じた。琴美の後ろに並んだ小西夫妻も、神妙な顔で祈っている。少し離れて座った宗次郎の合掌はすぐに解かれた。と言うより、琴美の祈りが長い。また手を合わせるのも変なので、宗次郎は仏間をきょろきょろと見回した。宗次郎が仏間に入るのは二度目である。下宿が決まった時に一度、ご挨拶と言うことでお参りしたが、それ以来のことだ。
この家は、小西夫妻の掃除が行き届き、どこもかしこも気持ちがいい。仏間も例外ではなかった。仏壇の右横の長押には、会社の創立者である、琴美の祖父と祖母の写真が飾られている。
(ふん、家の祖父さまとは大いに違うな)
白髪で、穏やかな笑みを浮かべる、琴美の祖父の写真を眺めながら、宗次郎はにやりとした。器の違いと言うやつか。あれ、待てよ、祖父さまは、どんな顔だったっけ?
目を戻すと、前に並んだ小西夫妻は、膝に手を置いている。二人の祈りも終わったらしい。琴美は? と少し身を乗り出して見ると、まだ手を合わせたままだ。時差ぼけで居眠りでもしているんじゃないのか? と自分の経験に合わせ、更に身を乗り出した宗次郎は、はっとして躰を引っ込めた。
琴美の頬に、涙が光っていた。
琴美の意外な姿を見て、宗次郎は全く別の事を考えている。
心の中で何かがそそのかす。そうだ。確かめる価値はある。宗次郎は決めた。
長い祈りが終わり、琴美はそれとなく涙のあとを拭うと、すっと立ち上がり、庭に面した障子を開いた。その所作にも、何処か隙のない毅然とした落ち着きと美しさがある。
部屋を出ると後ろ手にドアを閉める今時の若い女性のようながさつさはない。宗次郎は首を捻った。
「庭も奇麗に手入れが行き届いて……」
外廊下に出た琴美が、しみじみと言った。
「あら、あの奥の石にも、苔がついたのね」
「はい。あの石は、社長が随分気に入られていたものです」
何故か、小西老人、神妙に答えている。緊張までしているようだ。
「疲れたでしょう、琴美さん。冷たいお茶でも?」
琴美の名前を呼ぶのさえ憚るような調子で、時子さんが訊いた。
「有り難う、時子さん。頂いたら少し休みますから、しばらくは構わないで下さいね」
答えて、琴美は庭に目を戻した。
その時、宗次郎は確かに見た。琴美の口が幽かに動き、何かを呟いている。何度かそれが繰り返され、やがて琴美はため息をついた。
まだ断定することは出来ないが、宗次郎の中で確信に近いものが、姿を現しつつあった。
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