第7話 宗次郎帰郷する

宗次郎帰郷する

 福岡空港は、強烈な夏の陽射しの下で、がらんとした陰影を落としていた。

 まあ、羽田や成田の騒々しさや煩わしさがないだけ、宗次郎にはありがたいと言うものだ。空港には弟の修三が迎えに来ていて、相変わらずのんきそうな笑いを浮かべていたが、なかなか油断がならない男なのだ。

 兄の正太郎は、総領らしい律儀一辺倒の性格だが、修三は三男らしい甘え方が上手く、人を逸らさない隙のなさを身につけている。 実際、自分で始めた小さな設計事務所は、妻の父親の後ろ盾を得て今はかなり羽振りがいい。

「外車か?」

 宗次郎が訊くと、

「アウディだよ。兄貴は車になんて興味ないだろ?」

「うん、走れば良いんだ。それに東京はそんなに車を必要としないからな」

「まあ、こっちはそう言う訳にはいかないし、一応クライアントへの見栄もあるからな」

「ふん、車がステータスって訳か。運転させろよ」

「冗談じゃない。兄貴、向こうじゃ車に乗ってないんだろうが」

「外国とかじゃ乗るよ。年代物のランドローバーとかが多いけどな」

「駄目だこりゃ。さ、乗って。運転はさせないからな」

 修三はそそくさと運転席におさまった。

 車は高速に乗り、熊本方面へ向かう。

 薮坂家は、、久留米絣で有名な久留米を過ぎ、八女茶で少し名を知られた八女市の中央、二の堀内にある。古い建物で、今は長男の正太郎が住んでいる。

 薮坂家は、地元の山林王と呼ばれていたそうな。

 山林から産出する木材が、莫大な富を生み出し、富は農地や荒れ地を購入する資金となり、更に富を生み出す。勿論、富の根源となる山林は、曾祖父が一代で築いたものではない。先祖代々の財産である。曾祖父はその財産を最大限に有効活用して、藪坂家史上最高の富を生み出したのだ。曾祖父が築き上げた最盛期を、私たち子孫は、藪坂家有頂天時代と呼んでいる。

 曾祖父は、唯、我武者羅がむしゃらに富を集積していただけではないと付け加えて措かねば、片手落ちだと言われそうだ。つまり、買い漁った田地や荒れ地の整備や開墾を通して、多くの雇用を生み出し、山林でも雇用の安定化をもたらし地元に貢献したのである。他にも多くの地場産業や伝統工芸に出資して、やはり地元を潤していたと言わねばならない。

 だが、曾祖父の有頂天時代もここまでだった。

 次に曾祖父が乗り出したのは、銀行と鉄道である。

 これは、藪坂家の命運を賭けた大事業だった。

 地方銀行の設立と、この頃から盛んになった私有鉄道の開設。当時最も最先端と標榜された事業だった。いや、慌ててはいけない。これで失敗したとは一概には言えないところが、藪坂家が背負う因果の巡りと言うものだろう。銀行も鉄道も、実に順調な進展を見せたのだから。では何が原因かと言うと、開通した鉄道の需要は驚くほど高まり、更なる軌道の延長が求められた。その工事の途中、開通した路線で列車事故が起こったのである。

 ここで、藪坂家の因果が姿を現す。

 曾祖父は、事故の賠償を全て背負ってしまったのだ。これが何ともしがたい藪坂家の因果なのだ。財産の半分以上を失ったのは、実に藪坂家代々が持つ因果の表われだった。

 銀行は閉鎖され、鉄道事業からは撤退を余儀なくされた曾祖父は、後を長男の蔵之介に託し、無念のうちにこの世を去った。かくしてまだ十代だった祖父蔵之介の双肩に、藪坂家の興廃がしかかったのである。

 運命の悪戯か、藪坂家が辿らねばならなかった宿命か、祖父は徴兵され、東京の士官学校へと放り込まれた。士官学校を出た祖父はすぐに部隊に編成され、戦地へ送り出された。日露戦争である。祖父の配属は、最前線の激戦地だった。戦争から戻った祖父は寡黙になり、鬱々として過ごした。一度だけ東京へ行ったが、二ヶ月程して戻り更に寡黙な男になった。二年後に祖母と結婚し、父や伯父、叔母達がが生まれた。長生きはしなかった。祖父が死んだのは、戦争から戻った八年後のことである。全く事業に身を入れず、これで藪坂家の命運は尽きたのである。

八女インターを下りるとすぐ、薮坂ハウジングと薮坂不動産の大きな新しい看板が見えた。

「親父もお袋も元気なもんだな」

 看板を見て宗次郎が言った。

「ああ、看板ね。親父の鶴のひと声だよ。親父はやる気満々だからな。ま、それくらいでなきゃ、祖(じ)父(い)さんが残した負債を返済するなんて出来なかったさ。財産を食い潰したあとの負債だから、それ程でかいもんじゃなかったってのも幸いしたんだろうけどな」

 修三はちらりと宗次郎を見て、唇を歪めた。そして、

「兄貴は早くに家を出たから、そう言う苦労を知らないだろ」

 と付け加えた。

(煽ってきてるな、修三の奴)

 宗次郎は少しうんざりした気分になる。

 修三のように、地元に残って父親や兄と一緒に働いてきた訳じゃないが、負債の返済については、宗次郎も出来るだけの出資はしてきた。もしかすると、仕事が上手くいっていないのかも知れないと宗次郎は思った。

 地方の旧家が昔の勢いをなくし、形骸化していくのは止められない。その意味では、薮坂家は何とか時代の流れを読み、早めに林業から撤退して新しい道を模索し成功していると言っていいだろう。

「仕事の方、どうなんだ?」

 宗次郎が訊くと、

「仕事は増えてる」

「そうか、それで親父もやる気満々なんだ」

「それが、よくない訳よ」

「どうして?」

「いつまで経っても、俺と兄貴の言うことを受け入れないんだよ。もっと先を読んで動かなきゃって思うけど、親父にはもうそれが出来ないのかも知れないな」

 ああ、そう言うことか、宗次郎はなんとなく修三が抱える鬱屈うっくつが判ったような気がした。

「そろそろ、土地を買い漁るのは止めて欲しいんだけどな、親父はまだいけると思ってる。親父は、リスクに対しての感覚が薄いんだ。嫌になるよ。リスクマネジメントを考えて欲しいよ」

「親父のリスク管理の欠如って言いたいのか?」

 修三は、ああ、とため息をつき、アクセルを踏み込んだ。

 八女は城下町だったが、直角に曲がった通りに旧街道の匂いをわずかに残すだけで、堀は埋め立てられ道路になった。城下町の名残は何処にもない。悲しいことである。車は古い町家が並ぶ一角に入った。大正から昭和初期にかけて建てられた家々が続く。

 通りの中央左に、ひときわ大きな建物がふたつ並んでいるのが見えてきた。修三がスピードを落とす。手前の建物の表には、縦書きで、藪坂家迎賓館と墨書された一枚板の看板が掛けられている。昔は名前の通り、藪坂家に来る賓客ひんきゃくの宿泊に使っていたが、今は市の管理になっている。車はその前を通り過ぎ、次の建物の先の冠木門を左に曲がった。ここからが、藪坂家の現在の家である。修三は、建物の前の広場に無造作に車を停めた。

「兄貴は、何年ぶりだ、家に帰ったの」

「六年ぶりだな」

「そうか、ま、何にも変わっちゃいないけど、やっぱり懐かしいもんかね?」

「そりゃ、懐かしいさ」

 と答える宗次郎の声を、修三は聞いていなかった。

 玄関の引き戸を開け、

「母さん、宗次郎兄(にい)が帰ったぞ」

 中へ向かって叫んでいる。

 人が出たり戻ったりすると、人が集まり宴会が催されるのは、何処も同じ心理なのだろう。

 この日宗次郎は、質問の嵐にもみくちゃにされ、宴会の渦(うず)潮(しお)に呑み込まれていった。嵐は二日目の夜も吹き荒れ、見知らぬ親戚が、宗次郎の結婚問題について、弾劾と諮問と言う雷雨で宗次郎を襲った。当然、その中に、宗次郎の両親がいたことは言わずもがなである。

(俺は嵐の中の小舟だ)

 これ以上に飲めないと言う限界を超えた酒を浴びながら、帰郷二日目にして、小西夫妻を懐かしんでいる自分を発見した。クロベエの毎朝の訪問が、どれだけ優しさに満ちたものであったか。あの穏やかで心地よい日常は、何処に消え果てたのか。

 それでも宗次郎は毎日、祖父の書斎に行き、飾られた祖父の肖像画を眺めた。残念ながら、祖父さまは何も語りかけてこなかったし、微笑んでもくれなかった。

 三日目は、祖父さまの七十回忌。

 七十回忌法要だけで終わるなら、これに越したことはないが、薮坂家である。法要の後は、早目の宴が始まるのだ。のんびりと昼寝したい時間帯である。何処か近くの料亭ででもやってくれれば気が楽だし、逃げ出しやすいのだが、無駄に家がでかいせいで、宴会は必ず家で行われる。宗次郎に逃げ場はなかった。

 今日はもう絶対に呑まない。堅い決意の許に挑んだ宴会だったが、敵は強者揃いだった。歴戦の古強者の前に、宗次郎はあっけなく守りを固めた牙城が落とされるのを見た。宗次郎にとって幸いだったのは、歴戦の親族達の敵は、宗次郎だけではなかったことである。宗次郎より攻め立てねばならない敵がいた。七十回忌を迎えた、祖父藪坂蔵之介である。酔い潰れた宗次郎は、早々に舞台から姿を消した。

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