第6話 孫娘の名は琴美
孫娘の名は琴美
翌日に来たメールに添付された書類の中身は、琴美のメールに書かれていた内容を裏付けるものだった。琴美はスカイプのアカウントを持っていたし、宗次郎も当然持っている。すぐにでもスカイプで話したかったが、七月いっぱいはゴルフの大会であちこち移動するらしく、大会が終わってからのことにしようと決定した。
書類の内容を隅々まで慎重に確認したうえで、小西老人は先日屋敷を壊してマンションにすると宣言した弁護士と連絡を取った。
「それは、私の言葉が足りなかったようです。書類に在る通りの条件で、マンション建設を予定しております。但し、リニューアル期間は母屋と離れともに、居住することは出来ないと言うことです。その間の住居に関しては、社長と現在検討中であることもお伝えしておきます。只、前回はまだその辺りの事務的手続きがはっきりしていなかった為、回答を差し控えた次第です。全てについて考えておりますので、御心配には及びません」
相手は隙のない返事を返して来た。
結局、状況は何も変わらないと言うことだ。
七月の末に入ると、猛烈な暑さが全国を覆った。
太平洋高気圧の上に、更にシベリヤ高気圧がかぶさり、連日三十八度を超える日が続く。
まるで焼き物窯の中を歩いているようだ。
宗次郎は大学の研究室へ出掛け、帰ってからは小西夫妻にパソコンの使い方を教えると言う日々を送った。
琴美とメールするようになって、小西老人はすぐさま宗次郎を連れ、新宿へパソコンを買いに行ったのだった。
七月の末。琴美からメールが来た。スカイプでの通話を、明日やっとできると知らせてきたのだ。
小西夫妻の新しいパソコンが、食堂のテーブルに置かれている。その前に小西夫妻が全身を緊張させて座っている。右横から、宗次郎がスカイプを立ち上げた。すぐに琴美の姿がモニターに浮かんだ。
おおっ。小西老人が声をあげて身をのけぞらせる。
「小西のおじさま、時子さん。琴美です」
「琴美ちゃん、見える? 元気そうでよかった」
時子さんがモニターに顔を近づけて、とびっきりの笑顔になる。
モニターの向こうで、琴美の嬉しそうな笑いがはじけた。
挨拶と互いの近況報告が終わったとき、小西夫妻をおしのけて、クロベエが割りこんできた。
「クロベエ!」
目をまんまるにして、琴美がクロベエへ手を差し伸べた。その笑顔ははつらつとして、輝いている。はしゃいでいるときの女子学生と同じだ。宗次郎は思った。いや、まさに女子高生とはこういうものなんだ。白い肌と大きな瞳が、琴美の印象を柔らかく明るいものにしている。
「キュウン……」
今まで聞いたことのない、恐ろしく可愛い声でクロベエが鳴いた。
「クロベエ、もう少ししたら帰るからね」
琴美の言葉に反応して、クロベエがまた甘えた声で鳴く。
この犬公め、甘える相手を知ってやがる。宗次郎はにやりとした。
クロベエを真ん中にして、小西夫妻と琴美の通話は三十分以上続いている。
宗次郎はパソコンのそばをはなれ、のんびりと冷たい麦茶を飲んでいた。スカイプを思いついてよかった。あの嬉しそうな小西老人の顔はどうだ。時々、涙をぬぐいながら話す時子さんの幸せそうなことと言ったら。
「どうしたの、琴美ちゃんっ」
突然、時子さんが悲鳴をあげてパソコンにしがみついた。
「宗ちゃん」
ひきつった目で小西老人が宗次郎へ叫ぶ。
あわててモニターをのそくと、まっさおな顔で躰を震わせている琴美の姿があった。語りかける間もなく、スカイプは切断された。
「宗ちゃん、何があったんだ? なにか変なもの送ったんじゃねえだろうな? パソコンにもウイルスってのがあるって、宗ちゃん言ったろ?」
宗次郎の肩をすごい力でつかんで揺さぶってくる。
「大丈夫です。それより、何があったんですか?」
「琴美ちゃんが、急にうつむいたと思ったら、からだが震えだして」
時子さんの躰も震えている。
「琴美さん、なにか病気だとかありませんか」
「なにもないはずよ。宗ちゃん、どうすればいいの?」
時子さんがしがみついてくる。
「僕にも分かりませんが、もう一度スカイプつないでみましょう」
こんな時は、意外と冷静になれるものだと思いながら、宗次郎はスカイプをつなごうとしたが、琴美からの反応はなかった。急いでメールを送る。返信を待つしかない。
一時間近くかかって、どうにか小西夫妻をなだめることができた。
「宗ちゃん、できるだけ早くスカなんとかを出してくれよ。琴美ちゃんの顔を見るまで安心できないからさ。頼むよ」
「分かりました。僕も心配ですから。なんとかやってみます」
宗次郎は答えて、もう一度メールを送った。
琴美からの返信がきたのは、二時間後だった。もう一度スカイプをつないでくれと書かれていた。すぐにスカイプをつなぐ。
モニターに琴美が映った。
「さっきはごめんなさい。なんだか急にめまいがして。驚いたでしょ?」
落ち着いた声で琴美が謝った。
「ほんとに大丈夫なの?」
「なんともなかったんだね」
「大丈夫。心配しないで。昨日までの疲れが出たのかもしれない。もう全然へーきだから」
「そんならよかった。いやあ、びっくりして腰ぬかすところだったよ」
小西夫妻の顔にやっと笑いがもどった。
「これから毎日でもスカイプで話せるから。ちゃんと元気だって、おじさまと時子さんに見てもらえるから安心してね」
少し照れた表情で、琴美が答えている。優しい子なんだ。宗次郎も笑みをもらした。だが、背中をぞくりとしたものが這いおりた。
(まさか……)
一瞬見た三時間前の琴美の表情と、今の何の屈託もない顔。宗次郎と同じことが琴美にもおこっている。いや、そんなはずはない。けれど否定できない何かを感じる。何かが、訳の分からない何かが動いている。宗次郎の中で、この思いは打ち消しがたいものになっていた。
次の日からほぼ毎日、小西夫妻と琴美の通話は続いた。琴美に先日のような異変がおこっていないか確認しては胸をなでおろす小西夫妻だった。あれから琴美に異変はおこっていないようだ。
八月の中旬には、祖父の七十回忌の為に田舎に帰らなければならない。その前に、小西夫妻にメールのやり取りとスカイプでの通話が出来るようにした。結局それは、宗次郎が田舎の福岡へ戻る前日まで続けられた。万が一のために、小西夫妻には宗次郎のメルアドとスカイプのアカウントを伝えた。日が経つにつれ、宗次郎を襲った異変と琴美に起こった異変がつながっているように思えてならない。不安な予感を胸に、宗次郎は東京を後にした。
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