第41話
綾はマンションを出ると、歩きながら空を見上げた。
青く澄んだどこまでも続く空。
見とれるくらいに美しいと感じた。
そして綾は思う。
同じこの青空の下、彼も今、自分と同じ場所を目指してくれている。
それだけで幸せだった……幸せすぎて、もう踊りだしたいくらい。
そんな浮かれた心を何とか押さえつけながら、綾はスマホで時間を確認する。
十二時十二分。約束の時間は一時。
目的地はそんなに遠くはない。歩きでも後十五分もあれば着く。だから少しばかり早く着いてしまうだろう。
本当なら、もう少し家でのんびりしてから出発すればよかったのだが、少しでも早く目的地に向かいたくて仕方がなかったのだから仕方がない。
そんな綾の隣を野球のユニフォームを着た二人の少年が通り過ぎていく。
今から試合だろうか……そんなことを考えながら少しの間、立ち止まって二人の少年を目で追った。
彼らが今日の試合で勝てますように……綾は心からそう願って、再び目的地に向かって歩き出す。
足取りは驚くほど軽い。
他にも多くの人たちとすれ違った。
犬の散歩をしている老夫婦。自転車を二人乗りしている小学生くらいの男の子たち。シャドーボクシングをしながらジョギングしている男の人。
そんな人たちとすれ違うたびに、綾は彼らの幸せを祈った。
幸せだった……
世界中の人々に分け与えたとしても有り余るくらいの幸に包まれていた。
視界に広がる世界の全てが輝いている。
壁にスプレーで描かれた悪質ないたずら書き。今ならそんなものも素敵なアートに見える。
ゴミ袋に集るカラスの群れ。彼らの幸せも願いたいと思う。彼らがおいしい昼ご飯を見つけだせればいいなと心から思える。
今の綾は視界に広がる世界の全てから幸せを感じ、その全ての幸せを願える。それくらいに幸せに包まれていた。
幸せの理由……
恋人が出来た。この世に生を受けて二十六年。初めて彼氏が出来た。
今日は初デート。
今、彼との待ち合わせの場所に向かっている。
もちろんデートも綾の二十六年の人生の中で始めての出来事。
でも、別にこれまでそういう話が全くなかったわけではない。綾は少し真面目過ぎるところはあったが整った顔立ちのため、そういう誘いは何度となく受けた。
しかし、そんな気にはなれなかった。
その理由は自分でもわからなかった。恋愛に興味がなかったわけではない。実際、ハッピーエンドの恋愛映画は大好きだった。
それでもそんな気にはなれなかった。
告白を受けるたびに心をかすめる、この人ではない……という想い。
いつも心のどこかにあった、足りない、満たされることのない想い。
自分の欠片を求めているような、誰かが自分を探してくれているような不思議な感覚。
でも……その理由も最近わかった。
綾は彼を待っていたのだ。生まれたそのときから、彼に出会うことを待っていた。
いや、むしろ彼に会うためだけに生まれてきた……
自分より六つも年下の彼。
初めて見たとき、笑顔を浮かべている彼と目の合ったその瞬間にわかった。自分が彼を愛していると。彼を探していたのだと。
そんなことを考えているといつの間にか目的地に辿り着いていた。
そこは彼と最初に出会った場所。
病院の前。個人の小さな病院ではなく、大きな大学の付属病院。
時計を見ると、やっぱり約束の時間より三十分くらい早い。綾は病院内の庭にあるベンチに腰掛けながら空を見上げた……
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