第30話



 優和はもう来ない。

 悲しかった。

 悲しくて悲しくて、昨日、優和の帰った後からずっと泣いていた。

 それでもまだ、涙は枯れることなく溢れてきた。

 昨日、詩菜は優和にもう会いに来ないでほしいと告げた。

 今までの照れ隠しの言葉とは違う、本気の想いだった。

 その想いは優和にもしっかりと伝わったはずだ。だから、優和はもう会いに来ることはない。

 それは詩菜自身が望んだこと。

 昨日までは毎日来てくれたのに。今日からはもう永遠に来ることはない。

 それは望んだ結果であったが、これまでに感じたことのないほどの悲しみを伴った。

 それでも、それは今出来る最善の選択。これ以上に幸せを得てしまえば、それに伴って不幸も大きくなっていく。幸せになればなるほどその幸せが続くことないことに対する悲しみが怒りが肥大していく。それはたぶん、手に入る幸せよりずっと大きな不幸。

 だからこれでよかったのだ――そうやって、詩菜は自分自身に言い聞かせる。

 悲しかった。初めて好きになった人、初めて幸せを与えてくれた人にもう会うことは出来ない。その事実は死にたいくらいに悲しかった。

 もう、生きることに意味などないようにさえ思えた。

 でも……それでいい。

 これで元に戻った。また、死を望めるようになった。

 これで半年後に訪れるであろう死を受け入れられる。

 どうせ半年後に失うことの定められた幸せなど詩菜には必要ないのだから。

 そんな詩菜の下にノックの音が訪れた。

 手で涙を拭うが、溢れる涙は止まらない。だから、返事もしない。

 すると、ドアは詩菜の許可を受けることなく開かれ、人が入ってきた。

 杉原先生だろうか? そんなことを思いながら、詩菜は客人の顔を見上げる。

 しかし、そこにいたのは――優和だった。

「ごめんね。どうしても伝えておきたいことがあったから」

「…………」

 詩菜は何も言わず、真っ赤な目で優和を見据える。涙がさらに溢れてきた。それが喜びのためなのか悲しみのせいなのかはわからない。あるいはその両方だったのかもしれない。

「聞いてほしい……」

 優和は真っ直ぐに詩菜を見つめて、優しい笑みを浮かべる。その目から一滴の涙が零れる。

「好きなんだ。俺も詩菜のことが好きなんだ。詩菜の笑顔を見られれば、それだけで幸せになれる。だから……もう会いに来るななんて悲しいこと言わないでくれよ。俺の幸せを取り上げないでほしい。俺も詩菜のことを愛してるんだ。だからこれからも毎日、詩菜に会いに来たい。それでさ、もし嫌じゃなかったら俺と付き合ってほしい」

 優和の言葉の意味がよくわからなかった。難しい言葉など使っていた気はしなかったが、それでも詩菜の脳のスペックでは処理し切れない情報が詰まっていた。

 詩菜は混乱した脳をフル回転させて考えてみる。

 確か今、聞き間違いではなければ、優和は自分のことを好きだと言った気がする。そして、付き合ってほしいとも言われた気がする。

 映画や本から引っ張ってきた知識によると――もしかしたら告白されたのかもしれない。

 そんなことは自分には関係ないことだと思っていた。映画や本の、物語の中でだけ起きる出来事だと思っていた。

 しかし今、自分の前で――

 詩菜は考える。考える。考える。

 確か、ここでハイと返事をすれば、恋人同士、彼氏彼女の関係になれるはずだ。

 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて涙が溢れた。

 これは嬉し涙。それはハッキリとわかった。

 どうしよう……詩菜は考える。

 何をどうすればいいのかまったくわからなかった。今、自分が何をすればいいのか。何を言えばいいのか。まったくわからない。

 だからもう……

 この頭は使い物にならない。何も考えられないし、何もわからない。

 だから、心のままに……

 詩菜はベッドから飛び出して、優和に抱きついた。

 強く、力いっぱい抱きしめた。

 嬉しかった。幸せだった。それこそ、今ここで死んでしまってもかまわないくらいに幸せだった。

「私も好き。優和が大好き。一緒にいたい。会いに来てほしい。ずっと一緒にいたい」

 優和の顔を見上げながら叫ぶ。

 その言葉に優和が笑顔を返してくれた。詩菜の大好きな笑顔。

 そして、優和も抱き返してくれた。

 嬉しかった。それに何よりも幸せだった。


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