第18話
青い空……
雲の上に横になって、夢と現実との狭間を行き来しながら、虚ろな目でフウは空を眺めていた。
――青い、青い空。フウの視界の中には雲ひとつ見当たらない。
その視界に広がる一面の青の中、不意に黒い点が生まれた。
黒い点は真っ直ぐにフウの下に向かってくる。だんだんと大きくなってきた。
しかし今のフウにそのことを考えるだけの意識はない。薄く開かれた瞼の間から、少しだけ覗いた瞳で、何も考えないまま空を眺めていた。
そんな半分寝ている状態のフウを他所に、黒い点はどんどん大きくなっていく。
「おーーーい!」
黒い点が叫んだ。それはリースの声。
「うん?」
フウは自分でも意識しないまま、返事のような声を閉じたままの口から押し出すと、目をパチリと開けた。
昔からフウの寝起きはすこぶるいい。目が覚めた瞬間から脳はフル回転しだす。寝る前に考えていたことの続きを起きたその瞬間に考えられるくらいだ。
「あ……リース。どうしたの?」
目を開くと、目の前にリースがいたのでとりあえず聞いてみる。
「どうもしない。フウとサンを見つけたから遊びに来てやった」
必要以上に羽をパタパタと忙しくはためかせ、しっぽを上向きにピーンと立ててリースは少し偉そうに笑った。
「なあ、昼寝なんてしてないでさ。どっか、遊びにいこう。別にお仕事でもいいからさ」
「うん。僕は別にかまわないんだけど……一つ問題があるんだ」
言って、フウは横で寝ているサンに目をやる。サンはすーすーと寝息を立てながら、日向で眠る猫のように体を丸めて気持ち良さそうに眠っていた。
「問題って?」
「サンが寝てる……」
「ん? 起こせばいいじゃん」
リースは不思議そうに首を傾けて言う。
「じゃあ、起こしてみてよ」
「おう。任せとけ。これくらいは楽勝だ。ほら、あれ、朝食前って奴だな」
そして、気合一発!
「起っきろぉーーー!」
サンの耳元でリースは叫んだ。
「…………………」
かなり大きな声であったにも関わらず、サンは眠っている。ピクリともせず、すーすーとわずかに寝息を立てていた。
「だーかーらーー、起きろってーー」
言いながら、リースはサンの手を引っ張って無理やり立たせようとする。
ちょうど、体の半分が起き上がって座っているみたいな体勢になったとき、急にサンの目がパチリと大きく開いた。
「起きろー」
リースは手を離し、普通の大きさで言ってみる。
ニッコリ。リースの言葉にサンは座ったまま、満面の笑みを返した。しかし、そのままもう一度横になると気持ちよさそうに寝息を立て始めてしまう。
「えっと……今の笑顔は何?」
リースはフウのほうを向いて問う。
「わかんない」
フウは首をふるふると振りながら答えた。
「ようし! こうなったら、ポチを呼ぼう。ポチはいつも俺様を起こしてくれる。起しのプロだ。全自動目覚ましと言っても過言ではない。と、いうことでポチっ!」
リースがポチの名を呼ぶ。
「呼ばれて飛び出て、にゃにゃにゃにゃ~~ん!」
謎のセリフと共に、猫型目覚ましことポチが現れた。なぜか白い布地の目がキラキラと輝いている。
「どうかですにゃ? 今の登場。しびれたですかにゃ? ポチ的にはこの登場は、ほぼ満点に近いと思うですにゃ」
『……………』
「……駄目だったですかにゃ?」
心配そうにポチは首を傾げる。
「はい……」
恐る恐る、手を上げてみるフウ。
「はい、フウ」
挙手したフウをポチは指名する。
「えと……登場もどうかと思うのですが。それよりその語尾が大変気になるのですけど……」
なぜか、フウは敬語。
「ああ、これですにゃ。んと、前回のとき、ぬいぐるみ扱いされて大変傷ついたですにゃ。それもこれもポチのキャラが弱かったからですにゃ。だから、猫らしく語尾ににゃを付ける方向でキャラを立てていくと、先日のリース様との会議で可決されたのですにゃ。どうですかにゃ? かわいいですかにゃ? 語尾萌えですかにゃ?」
にゃ、と言いながら、同意を求めて首を傾げるポチ。
「いいっしょ? キャラ立ちまくりっしょ? 確かにあの登場シーンはどうかと思うんだけど。この語尾はいいと思うのですよ。リース様は!」
リースはご満悦の笑顔。
「うん」
フウはとりあえず、頷いておくことにした。確かに一家に一台置いておきたくなるようなかわいらしさではあるし問題はないと、フウは思う。
「で~、どうしてポチは呼ばれたんですかにゃ?」
「あ、忘れてた。そこで寝ている、サンを起して」
言いながら、リースはサンを指差す。
サンはやっぱり、小さな寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ていた。
「起せばいいんですかにゃ? ポチはあれですよ、起すの得意ですよ。いっつも、リース様起してますし」
『…………』
ポチの言葉に二人は驚きの表情を向ける。
「どうしたんですか? めーそんなにひんむいて、変な顔になってるですよ?」
そう言って、不思議そうに首を傾げて、少し考えるそぶりを見せる。失敗に気が付いたのか、そのまま静止してポチは動かなくなった。
そして……
「コホン…………頑張って起すですにゃ~~!」
一つ咳払いして、手も足も尻尾もいっぱいに伸ばして、精一杯かわいらしく言った。
「起きるですニャーー」
大声を出しながら、小さな手で、サンの顔をペシペシと叩く。
しかし――起きる気配はまったくない。
「仕方ないですにゃ。優しくして起きないのなら、必殺技をお見舞いするですにゃよ。朝が弱いリース様も一発で起きる奥義ですにゃ」
そう言い終えると、ふわふわと少しずつポチは上へと浮かんでいく。そして、三メートルくらいの高さまで上ると、ポチは止まって、頭を下に向けた。
「いくですニャーー」
叫んで、ポチは急降下してくる。真っ直ぐにサンに向かって――
ボスッ! 音と共に、ポチは頭からサンのお腹にめり込んだ。
「ぅ…………」
流石のサンもその衝撃を受けて、目を開く。そしてお腹の上にあるポチの尻尾を掴んで、のっそりと立ち上がった。
「えっ? あれっ? サンにょわ~~」
虚ろな目をしたサンは、ポチの尻尾を掴んだままぶんぶんと振り回す。
「ぅん~~……うん!」
眠たそうな声を溢しながら、サンはポチを雲の上に叩き付ける。
「にゃぶっ!」
べちん! と、音を上げて白い雲の上にへばりつくポチ。
その姿を虚ろな目で見下ろすサン。
今度は、翼を広げ少し浮かび上がると、そのままポチの上に降り立った。
「おぶっ……」
再び響く、ポチの悲痛な声。
そして――
「ふふ……」
サンはポチを踏みしだく。笑顔で嬉しそうに、左右の足を交互に動かしていた。
「ぶ、にゃ……や、やめてです、ごめんにゃさいです。で、出ます……中身が出ちゃいますよ? に、にょわ~~」
それから――数分後。
未だサンはポチの上で足踏みを続け、虚ろな笑顔を浮かべている。
「…………」
ついにポチは悲鳴すら出さなくなり、サンの足の下でピクピクと痙攣を始めた。
『…………』
その姿を何も言わず、ただ呆然と見守るフウとリースの二人。ちょっと震えていた。
「ど……どうしよう?」
泣きそうな顔でリースはフウを見つめる。
「どうしようもない、どうしようもないんだ……僕たちには出来ることなんて何もない。だからせめて、祈ろう。ポチの無事とサンの目覚めを……」
悲しそうに、悔しそうに、硬くこぶしを握り締めて、フウはリースの視線から逃れるようにうつむくと、そう言った。
その態度から、目の前で起きている悲劇を止める術を持たない、非力な自分を責めているフウの思いがリースにも痛いほど伝わってくる。
だからリースはもう何も言うことは出来ない。
リースは祈る。ただそれだけが、自分の使い魔にしてやれることだったから。
自分たちの主である魔王様に。そして初めて神にも祈りをささげた。天使のことを祈るのなら神様のほうが良さそうなので念のため。
「ぅん……」
少し呻くような声を上げて、サンが足踏みを止めた。そして虚ろだった目に、光が宿っていく。
「フウくん……おはよう。あ、リースも」
二人の願いが通じたのかサンが目を覚ました。
「起きた~~」
「助かった!」
フウとリースは抱き合って、サンが目を覚ましたことを心から喜び、歓喜の涙を流した。
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