幕末信長伝 ~上に立つ者の覚悟~

橋本洋一

上に立つ者の覚悟

「ノブさん。こんなところにいたんですか?」


 時は幕末。

 壬生村にある八木邸にて顔色の悪い美少年、沖田総司は縁側で横になって猫と戯れている五十路の男に話しかけた。


「なんだ、総司か。何用ぞ?」

「土方さん、怒っていますよ。とっくに会議が行われる時刻なのに、ノブさん来ないんだもん」

「で、あるか。すまん、忘れていた」


 五十路の男はすうっと身を起こして立ち上がった。

 年齢の割に鍛えられた身体をしていて、生々しい古傷が目立つ。

 髪は髷にせず、後ろに一本で縛っていた。

 口髭はだらしがないように整えていて、壮年でありながら美男子と言う言葉が似合う。

 目もきらきらと輝いていて、生気が宿っていた。


「忘れていたって……私、何度も言ったじゃないですか。その度に頷いていたじゃありませんか」

「何度も言われたから忘れたのだ」

「もう。結局そうなんだから。怒られるの私なんですよ?」

「是非もなし。ささっと行くぞ」


 沖田の小言を聞き流して、土方の待つ部屋へ向かう。

 その際、壬生浪士組の隊士たちに頭を下げられる。

 彼は隊士の姿をしていない。真っ赤な着物と黒の袴を着ていた。


「遅いぞ、ノブ。何遍遅れれば気が済むんだ」


 部屋に入るなり、怒声を放ったのは鬼の副長――土方歳三である。

 上座には壬生浪士組の局長の近藤勇が渋い顔で座っていた。

 そして土方と対するように、副長の山南敬助が正座している。


「すまぬ。寝ていた」

「てめえ――」

「うん? どうした物知り。元気がなさそうだが」


 毎回遅れるノブを庇う言葉を必ずかける山南――物知りとは山南のことらしい――のそれがなかったことに違和感を覚える男。

 山南は「沖田くん。襖を」とやや緊張した声で言う。

 沖田が襖を閉めると土方が苛立ちながら口火を切った。


「てめえはそういうところ目敏いんだよな」

「目敏いだけではなく、賢くもある。そうか、いよいよ――芹沢を討つのか」


 男が何気なく言った言葉に場の緊張感が否応なく高まる。

 土方は「……化け物か、お前」と怖れを感じさせる目を向けた。


「だいたいは分かる。竹千代の子孫から新たな名をもらった――確か、『新選組』だったな」

「それを機に、私たちは芹沢一派を討つつもりです」


 山南の強張った声に「ならさっさとやればいい」と男は即座に返した。


「実行役は決まっているのか?」

「私と土方くん、沖田くんと斉藤くん、そして原田くんでやろうと思います」

「儂の出番は無さそうだな。では何故呼んだ?」

「あなたは芹沢さんのことを買っていた。もし忠告でもされたら……」


 山南に男は「そんなことせん」と否定した。


「せっかくの居場所を自ら投げ出すつもりはない」

「はっ。自分が良ければ芹沢はどうなってもいいのかよ」

「あやつは少々やりすぎだ。壬生浪士組……いや、これからの新選組には不要であろう」


 男はあっさりと芹沢を見捨てた。

 そして「権六。お前は躊躇しているのか?」と近藤に水を向けた。


「……芹沢さんはあれでも出来たお方だ。斬りたくはなかった」

「だが斬るのだろう? これからのために」


 男はいやらしい笑いを浮かべながら「後悔するのはまだ早いぞ」と苦い顔をしている近藤に告げる。


「お前は自分が頭になるために、芹沢を斬るのだ。ついでに水戸派の連中もな」

「…………」

「自らの地位を守るために、同志を斬る……うなされるぞ」


 近藤は目を閉じた。

 土方は「近藤さんも覚悟の上だ」と睨んだ。


「てめえに言われることではない」

「ふひひひ。儂は一向宗相手に何度も命じたからな。そのときの光景は良かったぞ。まだ年若いおぬしらには刺激が強いが」

「……化け物だな」


 場が凍ると錯覚するほど、冷え切ったのを見て「話が逸れましたよ」と沖田が手を鳴らす。


「ノブさんにやってもらいたいこと、あるんですよね」

「不本意だけどな。山南がどうしてもと押すんだ」

「土方くん。近藤局長の発案であることは、君も承知しているはずだ」


 山南の穏やかながら強い言葉に土方は「分かっている」と面倒くさそうに頷いた。


「ノブ。芹沢を斬ったらあんたを副長にする」

「組織固めか? しかし相談役の儂を副長にしたら角が立つだろう」

「誰も文句言わねえよ。というより芹沢一派が死んで、誰が文句言えるんだ?」


 土方は「それに幹部だけじゃなくて、平隊士にも知られているんだ」と男に言う。


「あんたが――あの織田信長だってことはな」


 男――織田信長は不敵な笑みを浮かべて「ふひひひ。隠すことなどしていないからな」と応じた。


「いいだろう。副長になってやる。だが、一つ言っておくぞ、近藤勇」


 信長はあだ名ではなく、近藤勇と言った。

 近藤は「なんですか?」と目を開けて信長と合わす。


「芹沢を斬ったらおぬしが頭だ。新選組のな。いずれ苛烈な決断をしなければならん。芹沢に任せていたことを担うようになる」

「…………」

「弱音など吐けぬ。ただ懊悩するしかない」


 近藤は信長が、新選組の頭になれるかと問うのが分かった。

 もし情けないことを言えば自分が頭に成り代わるつもりだとも分かった。

 目の前の織田信長ならば、それが可能だ。


「全て――覚悟の上です」


 近藤は全てを受け入れた。

 非道なことをすることも、頭として生きることも。


「……ふひひひ」


 信長は笑っただけで、何も言わず部屋から出ていった。


「あ。ノブさん、待ってくださいよ」


 沖田が追いかけていく。

 山南はようやく笑顔になって「ほら。良かったでしょう?」と土方に言う。


「近藤さんに覚悟を促してくれた。私や君では無理だった」

「……気に入らねえけどよ。あの野郎はこういうとき役立つ」


 土方のぼやきに近藤は「なあ、トシ。山南さん」と渋い声で言った。


「あの人が頭のほうがいいんじゃないか?」

「覚悟決めたんじゃねえのかよ」

「決めたさ。だけど、迷いもある」


 山南は「やめておきましょう」とやんわりと反対した。


「ノブさんを頭にしたら、本能寺が繰り返されることになります」

「……否定できないな」

「それに、あの方は頭をやりたがらないでしょう」


 山南の言葉に近藤と土方は疑問を思った。


「本気になれば、壬生浪士組の頃から頭になれていたはずです。しかしそれをしないのは……」

「しないのは何故だ?」

「私にも分かりかねますが、きっと居心地が良いのでしょうね」


 曖昧な言い方に近藤と土方は首を捻った。

 山南自身、言ったものの、判然としないことだった。



◆◇◆◇



 それから数日後。

 芹沢鴨ら、水戸派は暗殺される。

 そして新たに新選組となった彼らの副長には、織田信長が就任することになる。

 運命の池田屋事件まで一年も無かった――

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