04 腕
「あちぃ……」
オレは今、街中を歩いている。
真夏の日差しが輝く、人通りの少ない平日。
これだけなら、なんと平和なことだろう。
「暑いですね」
オレの腕には——春野が抱きついていた。
両腕でしっかりと掴まれている。歩きづらいし、めっちゃ蒸れて鬱陶しい。
「お前のせいだろ……」
「夏は暑いものですよ、柳川さん?」
「くそォ……」
ただ散歩に出ただけなのに、どうしてこうなったのだろう?
少し前に交わした春野とのやりとりを思い出す。
「なぁ、散歩してきていいか?」
二度寝から覚めると、昼過ぎになっていた。
三角座りのまま眠っていた春野は「散歩でふか?」とあくびを噛み殺しながら言った。
「何をしに行くんですか?」
「理由はない。ただ、なんとなく」
ここから逃げたいというのもあるが、とにかく身体を動かしたい気分だった。
春野は目をぱちぱちとさせて考え込んでいた。
彼女からすれば、オレが外に出たら逃げると考えるだろう。
普通に考えて、オレの要望はもちろん通るはずが——。
「いいですよ」
通った。
意外過ぎて拍子抜けする。
「いいのか?」
「ただし、ひとつだけ条件があります」
「条件?」
「私も行きます」
思わぬ条件だった。
「おいおい、春野は……」
「たぶん、まだ大丈夫ですから」
まだ、というのは『事件が発覚していない』ということだろう。
「そ、そうか……」
しかしこれは、チャンスかもしれない。
もしも、彼女の事件が発覚していれば?
誰かがオレの代わりに通報してくれるはずだろう。
オレはただ外に出たいだけで、それさえ叶えばなんだっていい。
そしてチャンスが来れば——そのまま逃げてもいいわけだ。
どう考えても、こちらが超有利である。
「いいぞ。ただし、オレからもひとつだけ条件がある」
だから、念には念を入れておこう。
ただの散歩になるように。そして、チャンスをものにするために。
「その条件とは?」
「包丁は持つな」
仕方ないですね、と春野は言った。
こうして散歩に出たまでは良かったのだが。
状況は変わらないどころか、悪くなってしまったのだった。
「おい……なにも抱きつかなくていいだろ!」
「だって、包丁がないんですもん」
拗ねたように言う春野。
春野はもちろん血まみれの制服ではなく、オレの私服を着ていた。
黒のTシャツに黒のスラックス、黒いキャップ。
彼女に選ばせた結果、全身が黒になった。
それといつもの白いマスク。どう見ても怪しい人だ。
「それに、腕を組んでいればカップルに見えますし。カモフラージュに」
「ならねぇよ……大人と女子高生とか、ダメなやつだろ」
「『えんこう』ってやつですか?」
いきなり生々しい言葉が出てきて、オレは面をくらう。
「ガキが援交なんて言葉使うな」
「あ、今は『パパ活』でしたっけ」
「そういう問題じゃねぇ!!」
ガキのくせに、知ったような口を。
「腕組んでたら、間違えられるだろ」
「じゃあ私たちは『えんこう』をしてる、と?」
「傍から見れば被害者はお前だぜ」
「本当は逆なんですけどね」
しかしまぁ、カップルに見えるとかはさておき。
こうして春野に抱きつかれているせいで——。
(当たってん、だよなぁ)
むにゅっとした、おっぱいの柔らかさ。
彼女はやはり、大きいのである。
大きいならば、柔らかい——当然のことだ。
(女子高生相手になに考えてんだ、オレは……)
犯罪者はどちらなのか、つくづくわからなくなる。
「女子高生と歩けて幸せですね、柳川さん?」
クスクスと笑う様子の春野。
こちらの考えを見透かしているようなからかい方だ。
包丁もないくせにヤケに高圧的だ。自分が有利とでと思ってるのだろう。
「んなわけあるか。早く離れろ」
「そしたら逃げるんですよね?」
「…………」
確かに考えてみれば、不利なのはオレの方だ。
こう抱きつかれていれば、簡単には逃げられない。
もし力づくで逃げたとしても、待っているのは他人の目。「あいつ女の子相手にひどいことしてる!」とオレは非難されるだろう。たとえ「こいつは人殺しです」と力説しても、おかしいのはオレの方になる。
「どこにも逃しませんよ。絶対に離しませんから」
やっぱりこの女子高生、かなり頭が回る。
しかも『なりふり構わない』のが、めちゃくちゃ手強い。
生まれた時代が違ったら、さぞ大物になっていただろう。
「オレはどこにも逃げねぇよ……ただ散歩してぇだけだ」
熱い日差しがじりじりとアスファルトを焼いている。
生ぬるい風が、オレたちを通り過ぎていった。
「…………」
「…………」
春野の靴音とともに、オレは歩き続ける。
外に出たはいいが、やることは何もないのだ。
今までだって休日に外出したところで、飯を買うか食うかぐらいだった。
娯楽というものが、オレにはわからなくなっていた。
「…………」
「…………」
黙って歩いていると、少しずつ自然の緑が増えてきた。
都会に住んでおきながら、少し歩けば別の風景がある。
そんな当たり前のことに、今さら気付いた。
「歩いてばかりですけど」
「それが目的だからな」
「だいぶ遠くまで来ましたね」
時計を見ると、家を出てから1時間が経っていた。
「飯食うか?」
「いりません」
「素直になれよ。今は包丁もないんだぞ」
う、と言葉に詰まる春野。
「でも、お金が……」
「いいよそんぐらい。財布も持ってないんだろ」
春野は小さくうなずいた。
あたりを探すと、公園にキッチンカーが停まっていた。クレープ屋だった。
メニュー看板を見ると、ウィンナーやチキンなど食べごたえのある物もある。
「すいません、この『ガツモリデラックス』をひとつと……」
横を見ると、春野は看板をじっと見つめていた。
すぐに決まると思ったが……そのまま1分が経った。
オレの袖をギュッと握り、目移りしている。どうやら悩んでいるらしい。
「おい、早くしろよ」
店員の女性も笑顔を1分間キープしていた。
それでも、春野はなかなか決まらない。
「たくさんある中から選ぶの、苦手なんです」
「なんでもいいだろ」
「すぐに決まる人が羨ましいですよ」
なんとも女子高生らしいな、とオレは再び思う。
「『ガツモリ』でいいか?」
「わかりましたから……じゃあ、バナナチョコで」
昼時に甘い物とは、理解ができない。
店員はオーダーが入ると、あっという間にクレープをふたつ作った。
ああいった動きを眺めていると癒やされるものだ。
『おまたせしました。ふたりの仲がお熱いうちにどうぞ』
「ハハ……ありがとうございます」
気を利かせた店員の言葉に、オレは苦笑いをするしかなかった。
「カップルに見えてますね、これは」
「うるせぇ」
クレープを受け取り、オレたちは公園のベンチに座った。
小鳥が地面を歩いている、のどかな風景だ。
「おい、いいかげん離れろよ」
「逃げ……」
「ねぇっての」
女子高生と腕を組んでクレープか。
普通なら嬉しい状況なんだろうな、普通なら。
「はむっ」
オレはクレープにかみついた。
薄い生地に包まれた唐揚げが香ばしく、レタスがみずみずしい。
「んおぅ、うんめェなぁ」
「柳川さんって、なんでもおいしそうに食べますね」
「それしか楽しみがなかったからな」
春野はあのマスクのずらし方で器用にクレープを食べていた。
「そっちはどうだ?」
「ふ……普通です」
「そりゃよかった」
なんでオレは人殺しの女子高生とクレープを食べているんだろうな?
しかしクレープは美味いので、よしとしよう。
『お食事中すみません』
「んぁ?」
クレープを食べ終えようとした時、後ろから声をかけられた。
座ったまま振り向くと、そこに立っていたのは。
『お話、よろしいですか?』
ふたりの警察官だった。
(うわァッ!!?)
こういうのは——なぜか、タイミングがいいものである。
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