05 指
『いい天気ですね。雲のない快晴です』
「え、ええ。そうですね……」
天気の話。
その後の会話を円滑にするための、便利な話題だ。
『今日はお出かけですか?』
「あ、はい。せっかくなので散歩でもしようかと……」
『そちらの女性は?』
もう片方の警官が春野に近づいた。
まぁ当然、彼らが気になっているのは平日に出歩いている女子高生の方だろう。
ましてや、大人の男と一緒にいればなおさらだ。
どんなに服装を変えようとも、マスクをしていても、春野は明らかに若く見える。
「…………」
春野はクレープを持ったまま固まっていた。
ついでに腕もオレに組んだままだ。それは離せよ。
しかしここで、オレは急にひらめいた。
(これ……チャンスじゃねぇか?)
突然訪れた、思ってもみなかった機会。
ここでオレが「こいつは殺人JKです」と言えば?
——春野は捕まり、オレは助かるだろう。
そして、ワケのわからない女子高生とここでおさらば。
戻ってくるのは、ひとりの平和な暮らし。
(よし……いける! あばよ、殺人JK!)
そう確信した。
「あのっ! 実は——」
「私は、この人の恋人です」
「へ……あァ!?」
かぶせてきた春野の言葉に、オレは固まった。
警官ふたりの顔が、みるみるうちに引きつっていく。
「でも、話を聞いてくれなくて……無理やり私をこうして……ぐすん」
春野は本当に泣いているような湿った声を出した。
そんな芸当もできるのかよ。
『どういうことですか?』
「い、いや! そのっ……」
一瞬にして、状況は最悪になった。
違いますこいつは人殺しで——そう伝えたところで、オレのほうが頭のおかしい奴になる。
こいつ……殺人よりもありえそうな話題でオレに釘を差しやがった。
「この子は……あのっ、その……親戚! そう、親戚の子なんです!」
オレはとっさに言い訳をした。
警官の顔がさらに固くなっていく。
『親戚、ですか?』
「学校が休みだったんで、オレが『散歩に行こう』と説得しまして。こうして無理やり連れてきたんです。いつも引きこもってばかりで心配だったんで……すごい抵抗されましたけど、クレープ食べてようやく機嫌を直してくれたんです、はい……」
めちゃくちゃ早口になってしまった。
警官は『やばい奴』を見るような目でオレを見ていた。そりゃそうだ。
『恋人というのは?』
「まだ抵抗してるんでしょうね。なかなか懐かれなくて困ってますよォ……」
クソ、なんでオレがこんな目に。
『あなたの名前は?』
警官が春野にそう訊いた。
「小林マキです」
春野は間を置かずに名乗った。全くの偽名だった。
それに小林って、オレの同期の名字をパクったな。
『小林さん……なるほど。身分証はありますか?』
「家に忘れてきました。すみません」
『わかりました。では代わりにあなたのを』
オレはしぶしぶ、自分の運転免許証を渡した。
警官は「柳川さんね……」と確認を取ると「ありがとうございます」と返した。
『お取り込み中、すみませんでした』
お取り込んではいないのである。
警官ふたりは会釈をすると、去り際にオレに言った。
『柳川さん。しっかりとその子を守ってくださいね。最近、物騒なので』
「ハハ……ちゃんと守りますよォ」
思ってもいない言葉を、オレは苦笑いで言った。
警官が見えなくなってから、オレの怒りが爆発した。
「てめぇ……オレのことを盾にしやがったな! なァにが恋人だ!」
「ちゃんと言えば良かったですね。『パパ活』って」
「うるせぇ! おかげでオレまで嘘ついちまっただろ!」
「お互い様ですよ。柳川さんだって、私のことを喋りかけましたよね?」
図星。
「そりゃあそうするに決まってんだろ」
「そういえば……家にこんな物があったんですけど」
春野がそう言うと、チキチキと硬い音がした。
気付いた時には、オレの首筋にカッターナイフが当てられていた。
「妙なこと、しないほうがいいですよ?」
「……お前、ほんとロクな死に方しねぇぞ」
でしょうね、と春野は言った。
「今、私には刃物があります」
公園を後にし、オレたちは街中に戻ってきた。
昼になるとさらに暑くなっていた。
「見ればわかるが」
「要望、訊いてくれますよね?」
春野は刃物を持つと人が変わるらしい。
力というのは恐ろしいものだ。
「内容によるだろ。オレが叶えられないものは無理だ」
「では大丈夫ですね」
何をもってそう言うのか。
飯は食ったし、何か欲しいものでもあるのだろうか?
「で、その要望ってのはなんだ?」
「あの服が欲しいです」
春野が指差したのは、ショーウィンドウに飾られたドレスだった。
淡いベージュをしていて、フリルが付いている。
映画のお姫様が着るようなドレスで、普段めったに着られないようなものだ。
「……あれが欲しいのか?」
オレがドレスを眺めていると、春野はくすくすと笑い出した。
「なんて、冗談ですよ。私には似合いそうも」
「いいぞ」
「ないですし……え?」
目をぱちぱちとする春野に、オレは首をかしげる。
自分から要求しておきながら、どうしたというのか。
「買ってくれるんですか?」
「なんだよ。いらないなら言うな」
「だって、私のわがままですよ?」
「脅されてるやつに拒否権なんかねぇだろ」
「ただのカッターナイフですし……」
「ごちゃごちゃとうるせぇな」
オレは春野の手を強引に引いた。
ひゃっ、と可愛らしい悲鳴が上がる。
「ま、待ってくださいっ、おじさんっ!」
「買うぞ。もう決めたからな」
店に入ると、ショップ店員がオレたちを迎え入れた。
ここまでくれば引き下がれないだろう。
案の定、春野は黙ってうつむいていた。
「あのショーウィンドウのドレスをください」
『かしこまりました。ご試着なさいますか?』
「お願いします」
「ちょっと、おじさん……」
「ほら、とっとと着てこい」
「わっ!」
オレが背中を押すと、春野は慌てたまま店員に連れられていった。
「ふぅ…………さて」
ようやくひとりになれた。
オレがこうした理由は、ひとつだけだ。
(逃げるぞ)
踵を返して出入り口へ向かう。
あいつに憎まれようと、どうでもいい。
人を殺したなら、早く罪をつぐなってこい。
もう一生、オレに関わるな。
(ひっさしぶりにシコるかァ)
そんなことを考えていた時。
ふと、あるものが目に入った——いや、入ってしまった。
「…………あ?」
それは、黒いドレスを着たマネキンだった。
先ほどのベージュのドレスと同じような、きれいなドレスで。
ちょうど春野と同じぐらいのサイズだった。
(…………)
オレは無意識に、その黒いドレスを着ている春野を想像してしまった。
(おい、なにしてんだ、オレ?)
脳裏に浮かんだ、血まみれの制服ではない、きれいなドレス姿の春野。
これを着た彼女を人殺しだとわかるはずがない。
間違いなく「普通のきれいな人」に見えるだろう。
(今が逃げるチャンスだろ?)
春野は冗談でも「ドレスが欲しい」と言った。
その本心は、考えなくてもわかる。
今の自分を忘れ、新しい自分になりたいという願い——。
(違う。考えるな)
春野は女子高生で、まだ子どもで。
そんな子どもが、自分のしたいことをできないでいる。
自分を押し殺して、我慢して。
トースト1枚、クレープ1個、ドレス1着ですら、素直になれない。
(やめろ、やめろ、やめろ)
人を殺してしまった女子高生。
その原因は、なんだ。
(同情するな……)
悪いのは——本当に春野なのか?
『お連れ様、終わりましたよ』
店員の声に、オレはとっさに振り向いてしまった。
「あ……」
そこにいたのは。
上目遣いでオレを見る、ドレス姿の春野だった。
「…………」
ベージュのドレス、白いマスク、たおやかな黒髪の春野。
彼女のドレス姿は、正直に言うと——美しかった。
それはただ、きれいなのではない。
春野の境遇を想像したことで、したいことをしている彼女の姿は、輝いて見えた。
「……あの、どうですか……?」
恥ずかしそうに言う春野に、オレも顔が熱くなってくる。
「あ、あぁ。似合ってるぞ……」
ちくしょう、どうしてオレは。
こんな人殺しに、こんなにもドキドキしているんだ?
「こういうの……私には派手すぎ、ますかね……」
「いや……いいと思うぞ……」
「そうですか……? なんだか、足元がふわふわします……」
「ドレスなんかそんなもんだろ……」
なんだコレ。
なんだこの感情。
オレは今、春野のことをどう思っているんだ?
『これほどお似合いな方は見たことありません。いかがですか?』
売り文句を並べる店員に、オレはハッとした。
「じゃあ、お願いします」
『かしこまりました』
会計をしようとするオレに、春野は隣で両指を絡めていた。
改めて並んでみると、春野のはずなのに春野じゃなくなったみたいで。
オレの心臓は、まだドキドキしている。
「……おじさん」
「なんだよ」
「その……ありがとう、ございます」
「……なんてことねぇよ」
やっぱり、春野は普通の女子高生だ。
ただ少々、輝き過ぎてはいるが。
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