four

「よし、それでは出発するぞ」


 博士が高らかに宣言しました。


 準備は前もってしてあったとみえ、博士はリュックをふたつ、<偉大なる我が輩号>のゴンドラに積みこんだだけです。あのふたつの部品さえ取りつければすべてが整うようにしてあったにちがいありません。


 ぼくたちはゴンドラに乗り込みました。椅子はふたつだけです。革を張ってはありますが、詰め物がうすくて、少々おしりが痛いようです。でも、ぜいたくは言っていられません。


「発進!」


 博士が、ゴンドラのなかにあるスイッチを押しました。


 ギチッ、ガシャッ、ゴトトン。


 いくつかの音がして、それから、


 プシュウウウウーッ。


 というなにかがふくらむ音がしました。


 と、ゴンドラがちいさく震えて、そして、パイプ台から離れたようです。


 ああ。


 屋根ごしに上を見て、ぼくは納得しました。


 ゴンドラの上におおきな風船がふくらんでいるのです。どうやら、あの金属製の箱には風船と、圧縮されたガス――たとえばヘリウム――が入っていたのでしょう。


 ゴンドラはゆっくりと上昇していきます。


「博士、でも、このままでは天井にぶつかってしまいますよ」


「だいじょうぶだ。ほら」


 博士は先端がカギ状になった長い竿を取り出しました。ゴンドラのなかに前もって入れてあったものです。いったいなんの用途があるかわからなかったのですが。


「これで、こうする」


 片手で器用に竿をあやつり、天井の窓ガラスの掛け金をはずしてしまいました。


 ギュムッ。


 風船が窓ガラスにあたり、それを押しあけていきます。


 博士は竿をつかって、窓が開くようにしていきます。


 なまぬるい風が耳にあたりました。そこがぼくにはいちばん敏感な場所なのです。


 ビョウッ。


 ひときわ強い風が耳をゆらしました。


 ゴンドラが建物の上に浮いていました。窓をぬけたのです。


「戸締まりはちゃんとしておかんとな」


 と、言いつつ、博士は竿を下に向けて、窓を閉めているようです。うまいものだと感心してしまいます。


「さあ、行こう、純金の月へ!」


 博士は快活に空にうかぶ黄金いろの円盤を指差しました。


 でも、ぼくは下を見つめていました。


 ぽつぽつと光が見えます。ぼくが暮らしていた町です。あの黒々とした広がりはきっと小学校です。その近くにある小さな光は深雪さんの家でしょう。ぼくは後悔しました。やっぱり今日はやめておくべきだったのです。明日の午後に深雪さんのところでお茶をごちそうになる約束をしていたのに。深雪さんのことですから、怒ったりはしないと思うのですが、きっとすごく心配することでしょう。


「あのう、博士。明日の午後までに一度もどってこれますかねえ?」


「もどる? 地球にかね?」


 博士は目をまるくしています。


「しかし、わしも月でいろいろ調べものをしたいのだがなあ。一週間は滞在したいと思っているだがね」


 ぼくはうなだれました。深雪さんに対するすまなさで胸がいっぱいになりました。

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