two
「それにしても偶然だな。きみがちょうどわしの家に行こうとしておったなんて」
ハンドルを握りながら、博士は上機嫌そうです。
「ええ、月が……」
ぼくは、窓ごしに月を見あげました。
「なるほど、今日は満月だからな。ようやく心が決まったというわけじゃな」
ぼくはあわてて首を横に振りました。この博士はとにかくせっかちなのです。
「まだ、行くと決めたわけではないんです。ただ、もう少しお話を聞いてみたいと思ったのです。夜はかならずおうちにいらっしゃるとおっしゃってましたから」
「ふうむ。今夜は最後の部品が仕あがったのを取りに行っておったのでな。なにしろ頑固なやつで、届けろと言ってもききやしない」
「最後の……ということは……」
「そう」
博士はぼくのほうに顔をむけて、ニヤリと悪人顔で笑いました。
「今夜でついに完成だ。ということは、きみもすぐに腹を決めねばならん、ということだな」
「博士、博士、前を見てください」
ぼくはあわてて言いました。あぶなくてしょうがありません。
博士の家は、お屋敷まちをこえた、高台のうえにあります。
かなり大きな建物ですが、隣近所がありません。岩だらけのゴツゴツした高台に住もうという人はあんまりいなかったのでしょう。
コンクリートとガラスが交互に壁面をつくっています。のっぺりとした、塔のような建物です。そう、灯台に似ているかもしれません。でも、このあたりにはもちろん海はないのです。
トラックは、その灯台のような建物のなかに入っていきました。そこはガレージ兼博士の研究室にもなっているのです。
ひろい部屋です。天井はみあげるほどに高くて、天井が開閉するガラスの窓になっているのです。星がたくさん見えました。
「さて、ポロリくん、よかったら荷物をおろすのを手伝ってくれんかね」
「いいですよ」
ぼくはうなずきました。外套の腕まくりをしようとすると、
「そのまえに、外套と帽子をとったほうがよいのではないのかね? 今夜はちと蒸し暑いぞ」
と、博士が言いました。ぼくはちょっとためらいましたが、博士はぼくのことをよく知っているし、深雪さんも言ってくれたことがあります。
『恥ずかしがることなんかないのよ。ポロリさんはポロリさんだもの。もっと堂々とすればいいのよ』
深雪さんのやさしい顔が思い出されます。ぼくは思いきって帽子を取りました。なにかが跳ねあがる感じが頭の上でします。あたりの音がとたんに鮮明さを増しました。時計のカチカチという音や、建物の外で風がゆるゆると動いている感じさえ伝わってきます。
そして、外套をぬぎます。壁ぎわに姿見があって、ぼくの姿が映っています。白いワイシャツに蝶ネクタイ、びろうどのチョッキに、幅広のズボン。そして、子供用の革靴。幅広のズボンをはいているのは、ぼくの脚がちょっと後ろに折れ曲がっているからで、子供用の靴なのはぼくの足がとってもちいさいからです。
ぼくは、黒眼鏡をとりました。赤くてまるい瞳が自分自身を睨んでいます。ぼくはすぐに目をそらしました。
「おおい、そろそろ手伝ってくれんかね。こいつはすごく重いんだ」
博士がトラックの荷台にのぼって、腰をかがめながら大声をはりあげています。ぼくはあわてて外套かけに自分の外套をひっかけて、博士のところに向かいました。あわてていたので、ぴょんぴょんと跳ねるような感じになります。
それから、半時間ほど、博士を手伝いました。
荷台に載っていたのは、ぶあつい布で覆われた二枚の丸い板でした。それぞれ、一尋くらいはあるのでしょう。かなり大きくて、重いものです。ぼくがいなければ、博士はぎっくり腰になっていたかもしれません。
「いやはや、ポロリくんが来てくれたのは天のお導きかもしれんな。おかげで、今夜じゅうに作業が終えられるわい」
博士はうれしそうでした。
そして、二枚の板のうち、白い布をかけたほうをまず選び、それをゴンドラの舳先の部分に取りつけはじめました。
――そう、それはゴンドラとしか呼びようがないでしょう。
博士の研究所のまんなかには、鉄パイプで組んだ台があって、その上に、ちいさな船のようなものが置かれています。せいぜい二人か、三人乗るのがやっとというような大きさです。表面はちょっとくすんだ黄金色に塗られていて、そして、こまかい模様がうっすらと彫られています。
船にはちいさな屋根がついていて、さらにその上には金属製の大きな箱がくっついているのでした。
博士は、ゴンドラの舳先での作業を終えると、次に黒い布がかけられた板をゴンドラの側に運びました。
「いいかね、下から押しあげておるようにな」
ぼくはパイプ台の下にもぐらされ、重い板を下から持ちあげなくてはなりませんでした。どうやら、ゴンドラの真下に板を取りつけたいようです。
「ところで、どうして布を取らないのですか?」
ぼくは、板の重さにへきえきしながら、博士に質問しました。
博士は夢中になってナットを締めあげています。
「布? ああ、それは安全装置じゃよ。この板が必要になるのはまだ先のことだからなあ」
と、わかったようなわからないようなことを言います。
ぼくは質問をあきらめました。作業にかかると、博士は他人の言葉が耳に入らなくなってしまうのです。
博士は、板にかけられた布を固定する紐を、ゴンドラの舷側に結びつけました。その紐をほどけば、布は外れるようになっているのです。
ややあって、博士の満足そうな声が聞こえました。
「できた……ついに」
博士は、じっと天井を見あげていました。
おりしも満月が天頂にさしかかっていました。蒼い光が研究室に降りそそいでいます。
ぼくの心にも不思議な共鳴が響いてくる感じがしました。
「ポロリくん、完成したよ。これが月に往く船だ」
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