第13話

 最近ではそこに、姉弟二人で頻繁に通っている。

 だが、今回は何故か面識がない者からの呼び出しだった。

 いや、面識がないと言っても、知らないわけではない。

 カ・シュウレイを保護した狐、森口律の養い子の、水月の名での呼び出しだったからだ。

「何だか、物騒な気配の子なんだけど、一人の判断なのかな?」

 旅行の数日後、再び弟と日本に降り立ったシュウレイが、首を傾げながら言う疑問には答えず、セキレイは別な不安を持っていた。

 何故、この場所をその少年が知っているのか。

 それが、一番不思議だった。

 既に常連になったその画廊の事務所に入ると、物凄い勢いで振り返った者がいた。

 大きな男だ。

 セキレイの頭一つ分は高い背丈と、倍以上ある胴体の、恐ろしく威圧的な印象の大男だ。

 それが、三人いた。

 その三人が、揃って血走った目で振り返り、セキレイは思わず後ずさってしまった。

 実際は、従業員たちより小柄なのに、知らない大男を前に竦んでしまった弟を庇うように立ち、シュウレイがやんわりと笑顔を向ける。

「えっと、お邪魔します?」

「ああ。あんたらの客だから、気遣い無用だ」

 不機嫌そうに奥の机から答えたのは、この画廊の主だ。

 つじながれと名乗る男は、立ち上がって奥の部屋へと向かって行く。

 その間に客用のソファに腰かけた二人に、丁寧に茶を出した者がいる。

 濃い栗毛のその男は、恰幅のいい体を揺らしながら一礼した。

「お呼びのお客様も、奥にいるので。少々お待ちください」

「……」

「それから、お前さん達も、座ってろ。威圧感が半端ないから」

 立ったままの大男三人に、いささか乱暴な言葉を投げると、三人は逆らうことなく大人しく向かい側に座った。

 それを見届けてから、栗毛の男が姉弟に向き直る。

「申し訳ない。紹介が遅れました。私は、源六げんろく、と申します。まあ、あなた方が思う通りの者です」

「ああ、初めまして。カ・セキレイと、シュウレイだ」

「はい。それは存じ上げています」

 物腰が柔らかい、源六と名乗った男は、小さくなって座った三人を一瞥した。

「彼らは、先日より預かっている、三兄弟です。落ち着きがなくて、申し訳ない。先程までは、年齢に相応した連中だったんですが」

 一度奥に絵を見に行ってから、様子がおかしいと言い、男は三人に紹介を促した。

 それを受け、年嵩の大男が名乗る。

「……先日より、この地に身を寄せている、時雨と、隣から氷雨、春雨、だ」

「はあ。鹿さんの兄弟、かな?」

 年の差はあるようだが、同腹で父親も同じなようだ。

 うちの父親とは大違いだと、少しだけ冷静になったセキレイが考えている横で、シュウレイがやんわりと頷いている。

 その姉を、氷雨と紹介された男は、泣きそうな目で睨んでいた。

 それに首を傾げるシュウレイを、今度はセキレイが庇うように声をかける。

「何だ? 初対面でその態度。喧嘩を売っているようにしか、見えないんだが」

「……済まない。重ね重ね失礼な事を。説明させてもらう前に、色々と、尋ねたいことがある」

 時雨と名乗った男が、ゆっくりと謝罪しながら、女を見返した。

「私に?」

 無言で頷き、部屋の奥の方に目をやると、丁度ながれが、一枚の額縁を抱えて戻って来た。

 その後ろに、小柄な少年がいる。

 それが、呼び出した当の少年だと見止め、シュウレイが笑顔になった。

「大きくなったねっ。お久しぶり」

「ああ。元気そうだな」

「うん。今日は、どうしたの?」

 優しい笑顔を浮かべた水月に、既視感を覚えながら、シュウレイが笑顔で問うと、少年は笑顔のままテーブルの前に歩み寄った。

 ながれがテーブルの上に置いた絵画を見下ろし、ずばり問う。

「これは、お前の子、だな?」

「子?」

 三人の大男が、声を揃えて叫んだ。

 いきなり図星を刺され、慌てるシュウレイよりも、氷雨の方が取り乱す。

「ちょっと待て、じゃあ、あの鍼も……誰かの子供の、成れの果てだったとっ?」

「鍼? ああ、成程。どうやって、術師の頭格を、怪しまれずに短命にしていたのか、昔から疑問だったが、そう言う事か。爺さんは、それ位自分で調べろなんて言っていたが、こういう発覚もありだな」

 一人頷く源六は、盆で口元を隠しながら言ったが、小声ではなかったため丸聞こえだ。

 鋭い目で自分を見るセキレイを見つけ、苦笑する。

「あんたの姉上が、関与していたとは思わない」

「当たり前だっ。大体、どういう事だ? その鍼と言うのは、何の事だ?」

「それについては、そっちの白変種に聞いた方が、まだいい」

 水月は立ったまま、氷雨を顎で指す。

「そいつはまだ、呪いの影響で無力化しているからな。言いやすいだろう?」

 そう話を振られた男は、別な衝撃で声が出ないようだ。

 代わりに、時雨が重い口を開いた。

「……百年ほど前、こいつが人間と所帯を持つと、報告して来た」

 人間社会を見学しに行った弟は、そこで愛しい女を見つけた。

「子供も出来たと。生まれてから里に一緒に戻ってきたいと、そんな報告の後、連絡が途絶えた」

 長候補だった氷雨が、何の連絡も寄こさなくなり、心配していた兄弟と里の親族は、居所を突き止めて向かった先の小屋で、連れ添った女らしい遺体を見つけたが、弟の姿を見つけられなかった。

 行方を探し続けて数年後、人間の術師の使いと言う、肉食の獣が里に訪ねて来た。

 警戒する里の者たちに、ここの住民を預かっていると、その男は伝えた。

「数年前、その術師の領域内で倒れている氷雨を、北森家の人間が見つけ、保護してくれていた。その時もまだ意識がなく、その姿かたちから、我らの血縁だろうと判断し、里を探してくれていたらしい」

 自分たちの里は、野生の鹿たちの縄張りよりも、奥にある。

 だから、見つけるのに長い時間をかけた。

 それにもかかわらず、氷雨は眠り続けていた。

「その上、姿を人の形に留められない程、衰弱したままだった」

 今は、形どれる程に回復し、動くことも出来るが、それ以上の力は戻らなかった。

「それが、呪いのせいと指摘されて、思い出した」

 ようやく、氷雨が言葉を絞り出した。

 様々な記憶が、その指摘を裏付ける。

「……女が産み落としてくれた子の泣き声を、外で聞いて小屋に飛び込んだ時、女は死んでいた」

 産褥死ではなかった。

 何者かが首を絞めた跡が、首にはっきりと残っていたのだ。

 混乱した男に静かに近づいたのは、産気づいた女のために呼んだ、近くの村の産婆だった。

 振り返った男に、何も言わず細長い鍼を向けてきたところで、意識が途絶えている。

「その鍼が、妙に赤黒く光った。その絵の、剣の色のように」

 刺された後記憶は曖昧だが、恐らくは本能で逃れて力尽きたのだろう。

 目覚めて北森家の人間に聞いたところ、あの辺りは今の林家に組している家々が細々と暮らしている村が多いらしい。

 産婆も、その関係で氷雨の正体に気付いたのだろう。

「女を殺されたらしいのもそうだが、生まれたはずの私の子が、そいつの手にかかったと思うと……どうしても、恨まずにはいられなかった」

 だから、北森家に仕える事にしたのだ。

 そう覚悟を決めた兄弟に、時雨と春雨も同調し、里を離れた。

「この絵の中のこれが、あなたの子だというのなら、連れて行かれた子は、この形で、どこかで生きているという事か?」

 すがるような目を向けられ、その目を受けたシュウレイは言葉を詰まらせた。

 殆どその当時の意識がない女は、何とも答えることができない。

 それを察し、水月が静かに言う。

「この剣が、どう言う経緯で絵画に埋まっているのかは知らないが、作られる理由が考え通りならば、お前の子供も、そう長くは存続していないだろう。この剣が無事なのは、偶然だな」

 その言葉に、源六が頷く。

「林家が、何故、力が衰えている筈なのに、滅びるどころか勢力を拡大させているのか。その理由は、裏での始末を請け負う仕事を、秘かに続けているからだ」

 原因不明の死を迎える、政関係者の中にも、その標的はいたが、それだけが勢力を拡大していた理由ではない。

「代替わりごとに、当主の障害になり得る敵対者を、葬って来たのが大きく影響していると言われていた。だが、どう言う手で葬っているのかが、よく分かっていなかった」

 大まかな予想はあった。

 術師なのだから、術家の守りをすり抜けられる程の、強い呪いが伝わっているのだろうと、無関係ながらも予想していた。

「向こう側の連中の不義の子が、犠牲になっているというのも聞いてはいたが、こちらの我らの親族には係わりなかったからな。他人事の野次馬根性で、面白半分に予想は立てていた」

 だが、自分もその祖父である源五郎げんごろうも、深くは調べず考えもしなかった。

「本当ならば、その剣の正体も、知らぬままでいる気だったんだが、余計な事をしてくれたな、あんた」

 立ったままの水月を、同じく立ったまま睨み、源六が苦々しく文句を言う。

 それを受けた少年は、罪悪感の欠片もなく、優しく笑ったままだ。

「こうやって保護しているからには、知っているべきことだ。というより、オレは、ここまで期待していなかった」

 水月は、この地の近場の空港に降り立ち、二人の大人と別れたその足で、この画廊に現れた。

 昔の知己が、未だこの地を中心に動いていると、ある事件の時に知ったからだ。

 一通りの鹿の兄弟たちの経緯を聞いた後、何の約束もなくこの地に向かわせることにしたのは、その知己に彼らの身柄を押し付ける為だった。

 だが、事後報告に来た水月を待っていたのは、その知己ではなく、代わりにその孫が不満そうな顔で待っていた。

「……ロクたちを、ガキの頃に押し付けてきた奴か、あんた?」

 一応、話は通っているようだと、笑った少年に、男は苦い顔をした。

「通ってないぞ。急に、年層の高いのを三人も押し付けるとは、どう言う了見だ?」

「年層が高いからこそ、手がかからない分、引き取りやすかろう?」

 少年は軽く反論してから、尋ねた。

「で、源の字は、一緒じゃないのか?」

「今はまだ、忙しいんだ」

「弁護士の仕事で、か? よくもまあ、資格もないのがばれないもんだな。この間見た時は、貫禄も何も見受けられなかったが、少しは落ち着いているのか?」

 あの祖父の知己かと目を見張り、源六は素直に答えた。

「保護する連中のために、老体に鞭打って動き出した位だから、多少はまだ貫禄が残っているはずだ。いい加減さは、時々出てくるが」

 要は、若い頃はそれなりの貫禄がある時期もあったという事かと、水月は想像しようとして失敗した。

「化けるのが苦手過ぎて、人間にダメだししていた頃が印象深すぎて、オレには想像が出来ないな」

「ああ……十中八九、想像通りだな。本当に時々、老練な獣の貫禄が出る人だ。今も、昔も」

 何とも実りのない会話だったが、水月がただの子供でない上に、祖父の事をよく知っているのは分かったと、源六は画廊の事務所へと迎え入れた。

 一応、鹿の三兄弟には話を聞いたが、押し付けた側の方の言い分も聞きたいと思ったのだ。

 だが、その室内の入った水月は、何かに気付いて目を険しくした。

 絵を飾ってある奥の方に、目が向かっている。

「……」

「絵に、興味があるか? オレの主が、死ぬ迄に残した作品が、飾ってある。売りもんはないが」

 不機嫌そうに顔を顰めたまま、ながれの姿の獣が茶を出しながら、接客用の文句を並べた。

 社交辞令の一環だったのだが、少年はソファに腰を落とす前に立ち上がった。

「……見せてくれ」

 緊迫したあの時の声を思い出すと、まだ震えが走る。

 絵をこちらに持って来て以降、すぐに元の場所に座って避難したながれと、まだ立ち尽くしたままの源六が、揃って首を竦めてしまうのにも構わず、水月は優しい笑顔のままで、絵の中の赤い刃肌の剣をそっと撫でた。

「……これのお蔭で、未だにあの愚行を続けていると、知れたからな。遠慮する必要は、なさそうだ」

 既視感はあれど、どこの場面なのか思い出せないシュウレイを見つめ、少年は優しく問う。

「あんた、うちの律に、保護されたという話だったな?」

 自分がまだ記憶が曖昧で、ただ森口家に居ついているだけだった頃の話だ。

「どういう経緯だったのか、言える範囲で教えて欲しいんだが」

 ようやく、声変わりが落ち着き始めた位の少年に、しっかりとした口調で言われ、女は戸惑いながらも答えた。

「それが、よく覚えてないんだよ。意識が戻ったのは律さんの所だったけど、その前は、何度目かの子供が奪われた時が最後で、そこから殆ど記憶がない」

 時々、水の上に息継ぎをしに浮かぶように、意識が明快になる事はあっても、すぐに沈んでいった。

「そうか。お前さんと顔を合わせた時は、それどころではなかった上に、その症状を見ていなかったせいで、気づかなかったが……」

 頷いた水月は、再び優しい声で問いかけた。

「もしやお前さん、血の錬金術師なる奴と、懇ろになってたか?」

 セキレイが湯飲みを滑らせ、中身を零して慌てている横で、シュウレイが目を見張った。

「あ、熱っっ」

「あいつの事、知ってるのっ?」

 思わず悲鳴を上げた弟の声に、姉の叫びに似た問い返しが重なる。

 向かいに座る時雨が、慌ててテーブルにある布巾で零れた茶を拭きながら、セキレイを介抱する様を横目に、春雨が露骨に眉を寄せる。

「何だ? その大仰な呼び名は?」

「奴自身が、名乗りを上げる時に使っている二つ名だ。お前の言う通り、大仰なんだが、誰も指摘して正すことができないでいる」

 理由は、敵対した者から、いつも抜群の逃げ足で逃走してしまうためだ。

「本名も、存在してはいるようだが、お前さんと添っている間の名は、本名だったか?」

「分からない。でも、私に名乗ってた名は……」

 そう言って女が告げた名に、水月は小さく笑った。

「ああ、本名だな。と言っても、その本物につけられた名、だ」

 困惑の空気が漂う中、少年は立ち尽くしたまま絵画を見下ろしている。

「……初めは、只の影武者として作られた存在だったそうだ。それに意思が宿り、恨みだけが先走りした挙句、やんわりとした作り主の言い分すら、聞き分けられなくなった。やがてその場から行方が消え、また借りされた本物の能力を駆使し、暗躍するようになった」

 そこまで言ってから、二人の姉弟に目を向けた。

「お前さん達の父親が、大昔教えてくれた情報だ。本当に大昔だから、少しは変わっているだろうが、やっている事は同じらしい」

 その情報を元に、本物の「血」を扱う者を知る者を尋ね、大体の真相も知った。

「一種の商売として、血で作成した武器を取引材料としているらしい。もうずいぶん昔から。その合間に、珍しい素材での作成も手掛けている」

 それは、装飾品としての作品だが、本人は作り出した後すぐに興味を失くし、売り払われてしまう。

 嗜好家を一人一人当たるのは、かなりの労力を労した。

 万が一、武器として使われては、すぐにかき消えてしまうから、本当に焦った。

「かき消える?」

 氷雨の呟きに、シュウレイが頷く。

「あいつの作る武器は、殆どが一回しか使えない物なんだよ。完全に長く使うことができるのは、その武器となった人の、血縁者。それ以外では、使った途端、かき消える」

「……つまり、氷雨さんを刺した鍼は、それだったという事か?」

 ながれが顔を顰めながら問うと、水月は振り返りもせずに答えた。

「その体にかかっている呪い、覚えがある」

 最も、種類は違う。

 だが、かけた者の形跡は同じだった。

「妖しのものを呪縛するそれも、標的を狂わせて殺戮行為をさせるようかけたそれと、同じ気配がある。それに、情を交わすほどの仲だったのならば、一種の呪いとして血を内部に流し込み、そっちの娘の動きを鈍らせていた可能性もある」

 そこまで出来るのならば、他にも呪いの種類は、存在するかも知れないと言われ、源六が苦い顔になった。

「大体の予想が、整って来たんだが……この先も、聞いていなければいけないか?」

 出来れば、関わりたくないと暗に言う男に、水月は軽く手を振って見せた。

「遅すぎるきらいがあるが、ここまでの話を外に漏らさないと誓ってくれるのなら、構わんぞ」

「ふざけんな、こら、ロクっ。オレ一人に、この状況を聞き流せとっ?」

 あっさりと言い切る少年に、ながれが源六を睨む。

 そんな画家の従士に、苦笑を返した。

「じゃあ、場所を変えて貰え。こちらとしても、人間同士のくだらない争いに、自分から突っ込みたくない。フユたちが巻き込まれるだけでも、大変迷惑なんだ」

「それが出来ないから、こうして固まって見てるしかないんだよっ」

 嘆くながれと源六に構わず、時雨が真顔で呟いた。

「……呪いを仕込む法も、何か分かっているのか?」

「作成者本人が仕込む場合もあるが、術師ならばできた武器に仕込む位は出来るだろう」

 どちらにしても、使った者が世を去っても、呪いが残るところを見ると、それを存続させる武器の作成者が死なぬ限り、解呪は出来ないのだろう。

「武器自体が無くなっても、それは同じなのだろう。だから、お前のそれも、作成者が死ねば、すぐに解けるはずだ」

「……あいつ、何処にいるの?」

 固い声の女に、水月は小さく笑った。

「既に、予想はつくだろう。その獣を今の状態にした者の家が、大々的に匿っている。そうとしか、思えない」

「でも、それが、攪乱させるための噂だったら?」

 例の産婆が、林家の分家だというのは、北森家の情報だ。

 少し前まで裏稼業にまで手を伸ばしていた連中を、信用してもいいのか。

「北森家は、弱くなってしまった家を保護する形で吸収し、大きくなった家柄だ。あの家が堅気になる時、少なからず森口家も手を差しのべたと、確認して来た」

 優を元祖とする家だが、律は身内贔屓する程甘くない。

 入念に調査をし、法に障る行いでもみ消せるぎりぎりを提示し、少しずつ改善させ、それを手助けしたと聞いた。

 もみ消せない所は、優が闇から闇に葬ったと聞いた時、意外に成長したなと感心したものだった。

「……北森家は、荒くれ者の抗争を一通り収めてからこっち、随分と堅実になった。数十年仕えていただけの我らの見解だ」

 時雨がそう言い切り、少年も頷いた。

「まだ情報が偏っているきらいがあるが、それははっきりとしている。一般人と変わらぬ立場の堤の若造が、何も考えずに内側に乗り込もうなどとは、考えないだろう」

「ああ。あいつは、知り合った頃からずっと、林家を調べていた。それに……」

 春雨が勢いよく返してから、すぐに勢いを失くした。

 嫌そうに顔を顰めるのを見て、その場の全員が首を傾げる。

「妙な奴まで、味方につけてしまっているから、我らが出る幕は、ないかもしれん」

「あ、ああ……」

 頷くというよりも、思い出したように相槌を打った兄が、気の抜けた返しをする。

「妙な奴? 誰かと一緒なのか?」

 同じ志の者が一緒ならば、心強かろうと頷く水月に、時雨は聞き慣れる通り名を口にした。

「……術師泣かせ」

「え? 誰?」

 シュウレイがきょとんとする傍で、源六がお盆を取り落とした。

「な、何だとっ?」

 思わず完全に取り乱した男は、向かいの水月の目が細まったのを見て我に返る。

「いや、まさか、ここでそいつが関わって来るとは……」

 必死で取り繕ったのは、その少年の背後で、妙に静かに見つめて来るながれと目が合ったせいだ。

「誰だ? その術師泣かせとは?」

 静かに訊く水月に、源六は咳払いして話し出した。

「東京がまだ江戸と呼ばれていた頃の、お伽噺のような噂の主だ。その容姿から、実在が疑われていた人物で……」

 主にその人物を恐れたのは、力を持つ妖しと人間の術師だった。

「どちらの力も、ほぼ跳ね返すどころか、全く効果がなく、逆に素手でそれを受け止めた挙句返せるらしい」

 呪文すら、首を傾げてやり過ごし、襲う式神は指で弾いてしまう。

「……それは、人間が、か?」

 疑いの目で確認する少年に、妖しの男達は全員が一斉に頷いた。

 その揃った動作に目を見張ったセキレイの目線の先で、自分のデスクの椅子に座ったままのながれが、苦笑して呟く。

「まあ、あれを、人間に分類してもいいのか、悩むところだが」

「ああ」

 源六も頷くのを見て、シュウレイが目を丸くした。

「知ってるの?」

「まあ、意外に近所に、住みかを構えていると、分かったからな」

 曖昧に答え、咳払いした源六は、急に話を戻した。

「そう言う事なら、のんびりとしていても、あの家はいずれ報いを受けるだろう」

「というか、意外に情の深い奴なんだな。お前や爺さんに聞いた話だと、全く笑わない、何を考えているか分からない奴だ、という話だったじゃないか」

「……こちら側からの情報しか、我らには持てないからな。向こう側の情報をもったら、また印象は違うだろう」

 知っているどころか、気安い相手のような口調に、カ姉弟が顔を見合わせる。

 水月の方は、別な人物を思い浮かべて小さく笑った。

「条件の合う人を、一人思い出したが、そんな昔からこの国にいるとは、聞いていないな。別人か」

 銀髪の大男を思い浮かべた少年は、深く考えて頷く。

「うん、別人だ。あれは、人間の域は軽く超えているからな」

「いや、あんたも軽々と越えてたぞ」

 自分を棚上げしている水月の言い分に、ついつい春雨が言ってしまう。

 余計な事を言うなと肘で小突いた時雨は、黙り込んでいる氷雨を一瞥し、改めて切り出した。

「その、術師泣かせが、恵に会いに行った時に一緒だった」

「……」

「林家への遺恨を晴らしたいなら、捨て駒になれと。それが出来ないのなら、さっさと失せろと言われた」

 恵の従弟とその友人を模した何かを、敢て見えるように運ぶ役を、三人はその時急遽やる羽目になった。

 更に急な話になったのは、足止めを買ってくれた、奇妙な牢人者の幽霊の参戦だった。

「捨て駒になるのは、子供たちを引き渡した後と、予定していたからな。足止めまで必要かと軽く見ていたんだが、確かにあんたとあの大男相手では、引き渡す前に終わってた」

「随分、行き当たりばったりだね」

 シュウレイが首を傾げるのに頷き、水月は凌の見解を口にした。

「凌の旦那は、元々その三人も使う気はなかったのではと、そう言っていた。紛い物を作れるのなら、会った事のあるその三人も、すぐに作れるはずだと。断られることを前提にして、訊いたのではと」

 何故だか、黒幕の正体を察しているような言い方だったのだが、深く訊くような気分ではなかった少年は、只相槌を打っただけだった。

「堤の家に残った父親と、家を離れた従妹たちから、目を逸らすことも視野に入れていたんだろう。切り離される北森の末端の中に、恵も紛れていると見せた」

 実際は、高校生たちと遊び、無事送り届けた。

 恵の従弟は、少しだけ事情を察しているようだが、他の少年たちは只楽しんできたようだった。

「そう言えば、本当は私たちもフェリーでこっちに戻る心算だったんだけど、それじゃあ二度手間じゃないかって言われて、船着き場までで見守りはお開きになったんだよ」

 三泊四日の予定が、前日に前倒しになり、フェリーはキャンセルした。

「そうらしいな。だから、急遽オレたちも、飛行機で戻る事になった」

 こちらは、列車で戻る心算だったようだが、もう隠す必要はないと、堂々と飛行機を使い、急用が出来た水月も便上した。

 その為に起きた弊害は、意外な事実も明らかにしたが、あの後雅の男は、ちゃんと立ち直れただろうか。

 残念そうなシュウレイの言葉に、水月が何やら思い出しながら頷くのを見て、女は首を傾げた。

 それに気づき、少年が呆れた顔になる。

「旦那は言わなかったのか? というより、何故、先の修学旅行での事を、今話題にしているのか、疑問に思わなかったのか?」

「あれ? あなたは、高校生でしょ? 修学旅行に行く歳でしょ?」

「春に、とっくに行って来た。試験勉強の気晴らしに、旦那たちと合流したんだ」

 事情を知った律の叱責は、意外にもなかった。

 優を見つけられたことが、余程ショックだったらしい。

 今の所、そちらに気を配っている律は、水月の思いに気付いた様子はない。

 だからこそ、再びこちらに向かい、有力な手掛かりになる姉弟に接触することができた。

 今のうちに、独自の情報網を、最大限にしておきたいというのが、狙いだった。

「さて、お前さん達を呼び出した目的を話す前に、もう一つだけ、確認したい」

 優しく響く声に顔を上げたセキレイは、息を呑んだ。

「お前、もしや……」

 何かに思い当たって顔を引き攣らせる弟は、そのまま固まってしまった。

 そんな男に構わず、水月が優しく確認した。

「鏡月と、手を組んでいないか?」

「な、何で、それを……」

 あの男の息子の割に、馬鹿正直な男は、声を絞り出した。

「この部屋に、あの子の匂いも残っている。意外に頻繁に、訪ねて来ているようだ。同じものを持っている身として、気にしているんだろう」

 優しく笑う少年は、前で天井を仰ぐ源六を一瞥し、再び言った。

「鏡月に流している情報、それと合わせて、別な情報も欲しい」

「それは……」

「勿論、あの子に内密でなくとも、一向に構わん。何なら、先にあの子と連絡を取って、ここで話し合ってもいい」

 妙に緩い頼みに、セキレイが不審を顔に出すと、少年は優しい笑顔に苦いものを混ぜた。

「いや、大体の思惑は、明らかになったんだが、それを確かめる為に、接触するのも不味いと思うんだ。だから、傍観しながら、画策に嵌まっておくつもりだ」

 意味不明な言葉に、二組の兄弟たちが顔を見合わせる中、水月は後ろを振り返った。

 机に肘をついたまま、目を剝いているながれの方を見、ゆっくりと言う。

「こういう大人の助っ人が、一人くらいいてもいいだろう?」

「……」

 何も言えない男から、再び前方に向き直った水月は、きょとんとする一同と共に、更なる話を進め始めた。

 その間に、ながれの座る背中越しの窓から、黒い影が外へと抜け出す。

「……」

 窓の外で背筋を伸ばしながら、長毛の黒猫が大きく欠伸をした。

 欠伸と共に、安堵の溜息も吐く。

 数百年のブランクがある人とは思えない程、一を聞いて十を察する人だ。

 正式に学生をしていた時期も永く、その分賢くなってしまったようだ。

 永年の遺恨の相手が現れたのに、怒りにもまれずにこちらの思惑を察し、一番動いて欲しくない者の牽制も、買って出てくれた。

「助かる。後は、こちらの力量次第だ」

 小さく言って、オキはその場を離れた。

 水月が、思惑に乗ってくれたことを、己の主に報告するために。


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