第12話
翌朝、同級生たちと合流した四人の男子学生は、何事もなかったかのように修学旅行を続けた。
それを見守り、帰りのフェリ―に乗ったのを確認し、女子会も兼ねた旅行も解散となった。
「……」
一昨夜から合流した優は、律と雅と共に、遠ざかっていくフェリーに大きく手を振る二人の女を見守りながら、静かに呟く。
「予定が、大幅に狂っちゃったわ」
「あの人たちが、術師の争いに巻き込まれに行くとはな」
一体、何をどうしたら、そうなるのだと、律も苦々しい気持ちのようだ。
「……」
優しい笑顔を浮かべ、雅は口を閉ざしたままだ。
下手に口を挟むと、墓穴を掘りそうだと感じての沈黙だ。
堤家の先代当主の弟が、自分たちの案内役になってくれたのは、本当に偶然で珊瑚ともそれまで面識がなかった。
だが、堤家の事は話した以上のことを、知らされていた。
恵が、堤家を断絶に導こうとするわけも、林家を深く恨んでいる訳も知らされているからこそ、堤家全体に対して敢て、棘のある反応をする事を、前々から決めていた。
志門が旅行に参加している事と、古谷家を含む過保護な家々が、それを了承した事を知ったのは旅行初日だったが、その完全な取り囲みが、本腰を入れている事を、雅に知らせてくれた。
一昨日の夕方、寿が恵の名を出した時、その棘を出すのを忘れ、ついつい心配を表情に出しそうになり、必死に顔を顰めた。
敵を欺くには、まずは味方から。
ここで不審に思われては、恵の覚悟もそれを手伝っているであろう若者も、動きにくくなる。
女子会の面々は動かなかったから、それ以上心配はしなかったが、動きが早すぎると、正直焦ってしまった。
しかもその夜、合流して来た優を見て、その優を送って来た男を見て、他の三人よりも大きな衝撃を受けた。
聞くと、どうやら堤家と北森家の膿みだしに、男が数人巻き込まれたらしい。
流石に、大丈夫だったのかと、肝が冷えた。
よくよく聞いて見ると、その犯罪の場には恵はおらず、子供たちも無事だろうと判断されたらしい。
その場に、優が現れてしまった事が、女子会の面々の前に凌が出て来た理由らしい。
それを説明され、律が珍しく慌てて優を見つめた。
それを見た優が、居心地悪そうに首を竦め、代わりに凌が笑って言った。
「心配するな。意外にも淀んだ気持ちには、なっていない」
「ほ、本当ですか?」
「お前を敵に回すのは、気が進まない」
静かに言う大男を、後ろの方で見つめながら、雅は大体の事情を把握した。
彼らの事情の方は、入り組んだ物だろうから把握以前の問題だ。
だが、今回焦ったように動き出した、堤の当主の従兄を手伝う人物の思惑が、完全に分かった。
「……これは、責任重大だな」
一人になったタイミングで、ついついそう言葉を漏らしてしまった。
どこかでぽろりと、襤褸を吐いてしまったら、この動きが全て水の泡になってしまうと言っても、過言ではない程、画策の対象が鋭すぎるのだ。
だが、これを最後まで守り切れば、この件の最終段階に、知らせが来る可能性が、大きくなる。
問題は、身近のどの男女にまで、その襤褸を出さないようにするか、なのだが……。
フェリーを見送った足で、国際空港まで向かい、まずはシュウレイを国から送り出す便に乗せる。
優が、帰りは一緒だから、あまり心配することはないが、やはり暫く寝食を共にすると、情が移る。
「また、一緒に遊ぼうねえ」
涙ながらに言われ、ついつい頷いてしまった。
姉妹の背中を見送りながら、早くも後悔している雅に、寿が短く言った。
「無理は、しなくてもいいわよ。あなた、意外に人見知りだから、無理される方が心配だわ」
「意外には、余計です」
それに、人と付き合うのは、別に苦手ではない。
単に、大勢の人の中に放り込まれると、どう反応していいのか分からず、疲れてしまうだけで。
そう言った雅に、律が大きく同調した。
「分かる。私の場合は、ついつい、人間全員の個別の匂いを、把握しようとしてしまっていたから、疲れてしまっていたんだが」
「あ、それもあります。人間と同じ姿を取れるんだからと、気負ってしまうんです」
「そうか。なら、個別ではなく、人間か否かと男女だけで分ければいい。随分と楽になるぞ」
そう教えた白狐は、苦笑して付け加えた。
「その男女に、分けられない者や、人間らしい匂いすら薄い者も、まれにいるが」
あちらを立てれば……という奴らしい。
成程と頷き、律ともそこで別れた。
来た時と同じように、母親と二人、地元行きの便に乗り、数日ぶりに家に戻った。
荷ほどきは明日にして、まずは手土産を持って古谷家所有の山へと向かう。
そこで待っていたのは、居候と化している優男だったが、何故か恐ろしく疲れ果て、居間の炬燵机に突っ伏していた。
その傍に、関西地域の土産袋が、無造作に置かれている。
それを見て、思わず目に剣が籠った。
「……エン」
優しい声音で名を呼ばれ、珍しく顔を跳ね上げた男が振り返った。
雅を見止めて笑顔になり、挨拶する前に女が言う。
「君、関西の松本さんの所の社宅に、泊ってたのか?」
ピンポイントで言い当てられ、挨拶する言葉が出てこない男の傍に座り、その慌てる顔を見上げた。
「あの旦那方と、一緒だったんだね? 優さんの事を、誤魔化すために? 大変だったね」
お互いに。
溜息を吐きながらそうしみじみと言った雅に、エンも何かを察した。
「あなたの方も、大変だったんですね」
「まあ、主に、襤褸を吐かないようにする苦労、だけどね」
しかも、旅行が進むごとに、その度合いが増したと嘆く女に、男はああと頷いた。
「……多分、そう言う思惑でしょうね。少なくとも、オキは」
こちらが必死に誤魔化そうとしていた優の所在も、あっさりと明かしたのはこれから始まる林家との抗争に巻き込ませないための、オキの画策の一端だ。
「多分、それと同時に、律さんやあの旦那方も、けん制する目的があるんだろうね。恵君のやろうとしている事は、本当に危ない事だから」
「それなんですが、一体あの子は、何をする気なんですか? キィは、知らない方がいいと言って、教えてくれませんでした」
二回目に訪ねた時は、水月も一緒だった為、訊くに訊けなかった。
そう言って話を促すエンに、雅は眉を寄せた。
「うん、知らない方がいいかも。知ったら、やきもきする。私も、志門君が引き取られた事情の時に知って、後悔してるから」
「……その事情、古谷の人や、その周囲も知っているんですか?」
「術師の家柄で、堤に関係した子たちは、知っている筈。特に、志門君は……恵君の、遺恨を知っているから」
つまり、当主の少女を襲われた事だけが、決意した理由ではないという事だ。
「優さんも、その辺りは心当たりないらしいんですが、おおっぴらに話せない事情が、堤家にはあるんですね」
「御神体と言われている物の事も、その事情の一つだよ。今は、古谷家の祭壇の奥に、安置されてる」
その昔、堤家の何代か前の女の当主が、大蛇を封印した壺。
雌の大蛇であるそれは、その昔、とある男に懸想し、執念深く求婚した。
依頼を受けた堤家当主は、何とか封印を施したが、それ以来、時々駄々洩れる執念に似た気配を、当主が命を削って抑え込んで来た。
男の当主では、毎回寿命どころか一気に命を取られてしまうため、当主は女に限る事を決めた。
後を継いだ息子が、呆気なく蛇の気配の前に敗れた事を受けた、対策だった。
そこまで対策をしても、代々の当主は、寿命が短い。
先代までは、四十の年を迎える事は、全くと言ってもいいほどなかったという。
「今は、毒気を抜いて、本来の大きさまで縮めている最中だって、セイが言ったけど、どうやって抜いてるんだろうね」
「蠱毒や式神と違う、妖物ですよね? 毒気が、溜まるものなのでしょうか?」
二人して首を傾げ、答えがないままに話は続く。
「その壺も、林家は狙ってたみたいで、今は、守る意味でも古谷家にあるんだ」
狙われた時に、従妹に怪我をさせてしまった恵は、たまりにたまっていた怒りが、爆発した。
怒り任せに式神を返し、林家当主を病人にまで追いつめ、一時期は本当に後つぎの継承がないまま、あの家は断絶する憂き目にあっていたらしい。
が、それでは、今迄の遺恨が晴れないと思い直し、恵は志門と共にやって来たセイに、相談をした。
「……矢張り、オキの後ろに、あの子がいたんですね」
そう予想した後、どう誤魔化すか、本当に大変だった。
エンが、一気に疲れた顔で呟いた。
それを見て、雅が天井を仰ぐ。
「……話し過ぎたね。あの子の関与を明るみにしたら、私が知っている事を全て話さないと、君も気が済まないだろう」
溜息を吐く女を、エンは困ったように見下ろした。
その通りだが、無理に話させるのも躊躇う、そんな沈黙に、雅は再び溜息を吐いた。
「……林家は、家の周囲に、分厚い壁を作っている事で、有名な家なんだそうだ」
普通に、来客として入るのは、問題ない。
どんな術師でも、それこそ妖物でも、招き入れられない限りはその壁の内側に入れないのは、術を駆使する家柄としては定番の守護だ。
大きく他と違うのは、ある儀式の度に、その壁が厚くなる事だ。
「壁の一枚一枚は、ごく薄いもので、それこそ新しい壁は弱いものらしい。それだけ、あの家の術師としての力は、弱まっているんだ」
だが、初代から数代目までが張った壁は、物理攻撃をかました妖物を、霧散させるほどに強力だった。
「それを、恵君は破る決意をした」
捕まることを覚悟して。
同じように遺恨のある妖たちを中に侵入させることで、無差別に人間を手にかける予想をしながら、己が犠牲になる事も覚悟して。
「内側から、徐々に引きはがす機会を得るために、そう決断した。その為の、訣別行為だったんだと思う」
従姉弟や父親とも縁を切ったと、そう見せかけるための。
「それは、危険では? 堤の乗っ取りを企てた家に、わざと捕まる気なんですよね? そう簡単に、招き入れられるはずが……」
「招き入れられるだろう理由が、あるんだよ。恵君には」
雅は、困惑する男に、重い口調で真実を告げた。
「恵君の母親は、林家現当主の、実の妹なんだ。現当主の息子は一人。代替わりの儀式をする血縁者が、一人も育たなかった。だから、駆け落ち同然で嫁いだ、妹の子供の存在を思い出したんだよ」
その過程で、堤も乗っ取ろうと画策したのが、あの襲撃だった。
「代替わりする時の儀式には、どうしても儀式を行う者がいるらしいんだけど、血縁者で、次代とも年が近い男児が、運悪く生まれなかったらしい」
今の当主の儀式の際の、不手際も原因だった。
「その不手際のせいで、予備の子も作れず、それでも楽観視していたんだけど、世代交代を考える年になって慌てて、妹の存在を思い出したらしい」
その不手際が何だったのかは、知られていない。
恵の母親は嫁いできた時、夫とその姉である堤家先代当主に、事情は話したらしいし、恵も成人してから父親に知らされたらしいのだが、余り外聞のいい話ではないと、説明を拒否されてしまった。
「予備の子、と言っているからには、外聞が良くない事情も、大体想像つきますね」
「まあ、そっと見守っておいて、何かしらの報告があったら動くというのが、今やれそうな事なんだけど……」
右手で頬杖を突き、頷いたエンの肩に、そっと頭をもたれかけながら、雅も頷いて続けた。
「この国にキィさんが、来てるんだね?」
「ええ」
「お師匠様の所に、戻ったって聞いてたのに」
「ええ。実は、そのお師匠さんが、こちらに移住して来たらしいんです」
まったりと懐いて来る女をそのままに、男は穏やかに答えた。
「どうやら、目星がついたようなんですよ。あの、例の紛い物の、今の居場所に」
「へえ……。もしかして、例の術師の家々の抗争、関連してるのかな?」
「もしそうなら、オレたちが下手に関わったら、逆に不味い失敗をしそうですよね」
うーんと、二人仲良く唸りながら、久し振りにまったりと、水入らずの時を楽しむ。
そのまま、黙ってしまった二人の時間は、不意に終わった。
「……帰ったのなら、一言挨拶してから、通り過ぎなさいよ」
廊下側の開け放たれた障子の向こうを、抜き足差し足でやって来たセイが、居間の方を一瞥して通り過ぎかかっていたのだが、雅の振り向かないままの優しい声が、それを止めた。
大きな麻袋を背負ったまま、天井を仰いだ若者は、無感情に言い訳する。
「……眠っているのなら、起こさない方がいいと思ったんだけど」
「君じゃあるまいし、こんな体制では、眠れないよ」
言いながらようやく身を起こし、振り返った女の方が先に、挨拶した。
「お邪魔してるよ、それから、お帰り」
「ただいま。それから、あんたも帰って来たの、さっきだろ? お帰り」
そう返してから、セイは視線をエンの方に向けた。
「帰りは、飛行機だったのか?」
「……」
女子の面々を見送ってから帰ったにしては、早いと思っての問いかけだったが、雅もそれを思い出して男の顔を覗きこんだ。
「窓際じゃなかったから、大丈夫だった、とか?」
「いえ。真ん中でも、同じくらい大丈夫じゃなかったです」
道理で、必要以上に疲れて見えた訳だ。
同情した雅に、エンは力なく笑いながら、周囲に置かれた紙袋を指さした。
「……無事に、こちらの空港に着いた時、何故かお二人に、土産をしこたま渡されました」
「ああ、それは……」
二重に哀れだ。
完全に、男の弱点は知られてしまった。
しかも、ばれたくないはずの人たちに。
「まあ、そう言う時も、あるよ。気を落とさないで」
「……慰め方が、下手過ぎませんか?」
「御免。私も、お土産で取り繕うしか、考え付かない」
困って笑う女と、それを察して力なく笑う男を、廊下に立ったまま見つめていたセイは、静かに頭を掻いた。
今回、住みかであるここに戻ったのは、二人が旅行から戻るのを見計らったからではない。
だが、丁度いい所だったなと、若者は頷いて声をかけた。
「エン、寄生虫は、一緒に調理してもいいかな?」
「駄目に決まってるだろう」
即答だった。
勢いよく振り向く男の、僅かに青かった顔に、血の気が戻った。
それを見ながら、セイは首を傾げた。
「蠱毒の場合でも、そうなのか?」
「そもそも、蠱毒を調理するのは、一般的じゃない。お前、そんな質問をするという事は、まさかまた……」
思い当たった時には、雅の顔が輝いていた。
「今度は、何の蠱毒っ?」
「てんぷらの種類を訊くかのように、訊くものじゃないでしょうっ」
この問題では、まだエンの方が混乱してしまう。
高所から生還した後の衝撃が、完全に抜けるほどだから、いい薬を見つけたものだ。
セイはそんな事を思いながら、目を輝かせる女の前で、麻袋からそれを取り出した。
もう、動かないのだが、通常のそれよりも何倍大きい。
「……腹の中に、寄生虫を飼ってるだろ、蟷螂って。このまま調理しても、いいかな?」
「ちょっと待って? 蠱毒って、こういう虫も、使えたんだっけ?」
雅が凝視して首を傾げるが、実際にこうして存在しているので、使えたんだろうとセイは判断した。
「使えたみたいだ。堤特有の作り方かもしれないけど」
分家にも、こういう奇特な真似のできる奴が、一応は存続していた。
「そうなんだ、志門君が、蜘蛛をあんな風に使うのも、堤の方の血なんだね」
「いや、あれは直と二人して、遊び心で作った代物だ。意外に使えるらしい」
血は関係ないのか。
まだ蟷螂を凝視しながら、雅は力なく呟いた。
「術師って、何でもかんでも、凶器や守りに使うんだね。理解に苦しむ」
「……それを、どうにかして食おうとしている方は、どうなんですか」
まあ、それは、自分も考えているのだがと、女の言葉に力なく突っ込みを入れながら、エンは出された特大の昆虫を見つめた。
「寄生虫は、腹から絞り出して、火を通して見るか。毒取りは、済ませたんだよな?」
「ああ。オキがやってくれた」
「そこまでやったんなら、寄生虫の駆除までやって欲しかった。一緒に調理してくれる気満々になってるじゃないか、エンが」
「食べないつもり、だったんですか?」
呆れた顔になった女に、男が意外そうに目を見開く。
そんなエンと目を合わせ、雅は笑顔になった。
「そんなわけないだろ。君が調理してくれるんだから、食べないと勿体ない」
それに穏やかに笑みを返した男は、立ち上がりながら麻の大袋と昆虫を受け取り、中を覗きこむ。
「三匹か。意外に大きい形で残ってるんだな。バッタ程定番ではないが、まあ、何とかなるか」
そんな独り言を言う所を見ると、どこかにおすそ分けする気のようだ。
やはり、寄生虫は駆除しておくべきだったかもしれないと、内心後悔しながらも、セイは対策を模索している。
「どうせなら、セキレイさんの所に、おすそ分けしてくれ。あそこなら、食中毒に効く薬位、簡単に手に入るだろ」
「ああ、そうだな……?」
頷きながらも、エンは台所の方へと去って行った。
それを見送ってから、雅が気になった事を尋ねる。
「あの人、こちらにいるのか?」
「まだいない。でも……」
男の背中を見送りながら、若者は無感情に続けた。
「近日中に、姉弟そろって、来日すると思う。呼び出しを受けて」
「……」
誰に、何の為に呼ばれるのか。
その辺りは曖昧だ。
つまり、答える気はないという事だ。
大きく溜息を吐いてから、雅は別な事を訊いた。
「恵君は、うまく侵入させられそう?」
「難しい」
てっきり、肯定的な即答が来ると思ったのだが、若者は無感情なまま首を振った。
「予想以上に、あの家は劣化してるんだ。壁を破って行っても、中々気づかないかも」
その根拠は、自分が実行したことが、全く騒がれなかったことにあった。
「オキが、優さんの元に行ってる間に、一枚剥がして見たんだ」
「……何を?」
「一番外側の、壁」
それは、初代が渾身の力を込めて、作り出した壁だと聞いている。
「剝がしたって、どうやって?」
「視える人には視えるんだけどあの壁、綺麗な丸いドーム型に、敷地を覆ってるんだ」
透明な、蜘蛛の巣のベールのような壁がドーム型に、幾重にもうっすらと覆っている。
あれがもし、万人の目に見えているのなら、世界遺産に登録されても、納得できる風景だった。
「まあ、視えない人の方が多いのなら、壊しても問題ないだろう」
余り感傷に浸る若者ではないから、世間的な意見を口にしただけだ。
それを知る雅も、同意見なのでさらりと流し、話を促した。
「そう言う形なら、丸くする過程でどこか二重に重なっていて、そこに隙間が出来てるんじゃないかと思って探したら、あった」
それを広げ、一気に引き剝がした。
その衝撃は、中にもかなり影響しただろうに、全く反応がなかった。
「反応したのは、周囲で様子を伺ってた奴らだけだ」
林家は、代々の儀式の過程で、様々な妖しの者を敵に回して来た。
その壁から内側には入れないから、いつかできるかもしれない綻びを見逃すまいと、執念で待ち続けている者が、今でも多い。
引っぺがしたその壁を、無感情に細々と破る様を、駆け付けた連中が呆然と見ている所に、麻袋を背負ったオキが戻って来た。
頭ごなしに叱られた挙句、暫く近づくなと追い返されてしまった。
「……剥がすのはいいけど、ちょっと静かな方法を考えた方が、よさそうだね」
「でも、わざと捕まる為には、大袈裟にした方がいいと思ったんだ」
「君が、する事じゃなったはずだろう? それに、気づいて欲しい連中は無反応で、妖しの連中が集まったという事は……」
無感情に言い返す若者に、雅は別な問題を指摘しようとして、言葉を吞み込んだ。
恐らく、オキがそれに気づき、うまく対処しているはずだ。
この子に知らせるまでもない。
「……何か、不味かったか?」
「何でも、ない」
言葉を吞み込まれたのに気づき、セイが首を傾げて問いかけたが、雅は優しい笑顔で誤魔化した。
そして、一つ思いついた事を口にする。
「君の手際が良すぎて、衝撃が壁を剥がされた時の物と、分からなかったんじゃないのか? それなら、恵君のやり方なら、すぐに分かるかも」
人の手で破るのなら、セイがやるのとは違って完全に荒業になる。
「私も、雑にやったんだけど」
「うん、君の雑と、他の人の雑は、違うから」
どう違うと突っ込まれると答えられないが、それを声音で察する若者は、一応頷いてその話を収めた。
「じゃあ、少し間をおいて、恵にも試させてみよう。それで、うまく事が運べばいいけど」
さらりと言うセイは、計画を捨てる気はないようだ。
見守る立場の雅は、注意を促した。
「わざと捕まるのはいいけど、君も気を付けて。さっきエンが言ってたんだ。キィさんのお師匠様、あの辺りに在住してるらしい。例の奴が、北森家か林家か、どちらかにいるらしいんだ」
「ああ。知ってる。どちらにいるのかも、分かってる。だから、あの家に入り込むんだ」
ついでに、紛い物と呼ばれて追われる奴の、正体にも見当がついている。
そう言った若者を見上げた女に、セイは目を合わせた無感情に続けた。
「本物と言われるあの人は、その紛い物を自分の手元に捕まえて、消滅させたいらしいんだけど、私は、そうしたくない」
はっきりとした、意思表示だった。
「恨む者が多いのに、簡単に消滅させるより、全てを無駄な状態にして、力を削いで消す。その為に、まずは懐に入りたい」
そうするために、今回は色々と画策した。
優と凌が、けん制し合える状態になったのは計画の内だが、もう一つ、有難い予定外があった。
それが、例の草食の獣たちだったのだが、うまい具合に水月が食いついてくれた。
後はもう一人、何とか遠ざけたいと考えているのだが、これが中々、難しい。
「……確か、鏡さんがその紛い物の被害に遭って、憤った優さんと律さんが、その行方を追っているって話だったね。優さんがあの旦那に見つかった事で、自由に調べられる体じゃなくなった。律さんも、元々仕事の合間に探していたそうだから、真相に行きつくまでは、時間がかかる。一番自由に動けるのは、被害に遭って一番憤っているはずの、鏡さん本人か……」
「セキレイさんが、ある人の調査の方に、巻き込まれる可能性がある。その関係で多少は時間稼ぎできる。その間に、あの壁を全て壊して、妖したちをなだれ込ませたい」
この問題は時間を稼ぐことだけが、大事ではない。
一方では、逆に時間がない。
「林家の当主の寿命は、持って二三年。長持ちさせるために、恵が返した式は引きはがして来たけど、力の有無のせいで、意外に弊害があったらしい。死去が早まれば、その分早く、儀式の準備が始まる」
「? まだ、準備はしてないのか?」
「大まかなものは、当主が一定の年になってから始まっているんだけど、一つだけ、作るに当たって儀式のときに大きくなり過ぎてはいけないものが、ある。これは、現当主が死亡してから作業を始め、儀式の二月前にそれを材料に、作り出されるらしい」
作業が始まる前に、恵をあの内側に入れ、弱い場所から秘かに壁を破っていく。
「怒りに我を忘れた連中が、人間と混血を見分けられるとも、思えないから。作業が始まった後になってしまったら、余計な犠牲が増える」
「……」
今、嫌な単語があったのだが。
雅は、無感情な言葉に眉を寄せた。
立ち尽くしたままの同じくらいの体を、強引に部屋に招き入れて隣に座らせ、相槌を打ちながら話を聞いていたのだが、怪訝な顔で話す横顔を見つめてしまった。
「人間と混血って?」
「……」
「人間と何かの混血が、他にもいるって事、だよね?」
いるのは知っている。
自分もそうだし、身近でも何人か知っている。
疑問としてそれを口にしてしまったが、それが訊きたいのではなかった。
「林家に、そう言う血筋が、いるという事か?」
「今は、一人もいない」
セイはきっぱりと言い切った。
「今は? 昔はいたのか?」
「一定数、いたそうだ。入れ替わりは激しかったけど。でも、今は一人もいない」
話が見えなくなって目を瞬く女に、若者は無感情に言った。
「今の当主が代替わりの儀式をした後、その妹が、生き残ったその連中を、一斉に逃がした。逃げ遅れた者はいなかったと聞く。大概が、壁の外に居た者の、血縁者だったから」
結果、一人も残らなかった。
だからこそ、儀式をする者が育たず焦り、儀式に必要なものを作り出す準備も、出来ずにいるのだ。
「大昔は、儀式をする者も作られるものも、壊れる事前提の代物だったから、すんなりと代替わりはなされていたけど、今回は材料集めも難航、何よりも儀式のための人材も確保できなかった。まあ、この時点で、少し改定する必要性を感じてたんだろうね」
感じているだけで済ませず、実行していればよかったのだ。
少なくとも、妹の存在を思い出す前に、危機感を抱いて儀式そのものを、廃止することも出来たはずだ。
「従来の独自の掟に則り、儀式の遂行を決めてしまったからこそ、色々と焦っているみたいだ。まだ、大事な道具を作るところまで、考えが向いていない」
だが、いずれそれを思い出す。
その道具を作り出すために、例の紛い物がいるから。
「……」
「先代までの百年ほどは、当主とその側近の家系以外、その儀式は血縁者にすら知らされていなかった。それは、秘匿できる程、割り切った関係が成り立っていたかららしい。その辺りは、聞いただけで分からなかったから、説明不能なんだけど」
付け加えた所を見ると、割り切った関係とは色が関わる話の事だろう。
そこまでの説明で、雅は作り出される道具の材料に、思い当たった。
先代まで秘匿されていたという事は、その材料を作り出すための者が、決まっていたという事だ。
下手すると、儀式を行う当主の兄弟も、その者の腹かもしれない。
その他の、昔からいた混血も、入れ替わりが激しかったというから、その紛い物が家に都合のいい道具を作るために、使われていたのかもしれない。
「……」
当代で、それが明るみになったのは、代々使われた者がいなくなったか、一人を相手にするだけでは飽き足らなくなったか、どちらにしても、楽しい話ではない。
恵の母親が、その秘匿した部分を知り行動したことだけが、救いに感じる。
「一応、鏡月には、私が罠を張る旨は伝えてあるから、自分で動くことはないと思う」
全く違う罠の話をしておいたが、今後、鏡月の情報収集を手伝う男が、別な視点から情報を渡すようになるから、それで混乱してくれるのではと期待している。
「混乱し過ぎて、変な情報に踊らされるだけなら有難いけど、踊らされ過ぎて、こちらに目が向いてもらっても、困るんだ」
「成程。色々と、言いたいこともあるけど、私がやる事は決まった。それとなく、鏡さんを見ておけばいいね?」
どうしてこの子は、身近な人たちを、蚊帳の外に置きたがるのか。
そう思いながらも、雅は頷いた。
余り、深く気にして心配すると、その蚊帳の外にする対象になりかねないと、分かっている。
協力しながら様子を見、時々同じ立場の男を相談しながら、手を差しのべられるように動く。
雅は、優しい笑顔を浮かべたまま若者を見つめ、そう決心していた。
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